『生田斗真 挑む』尾上松也との友情“だけじゃない”表現者としての覚悟を追ったNetflixドキュメンタリー

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ライター:関口裕子
『生田斗真 挑む』尾上松也との友情“だけじゃない”表現者としての覚悟を追ったNetflixドキュメンタリー
Netflixドキュメンタリー『生田斗真 挑む』全世界独占配信中

生田斗真、歌舞伎に挑む

歌舞伎とは、役者を愉しむ文化だ。11歳でジャニーズ事務所に入所。CDデビューをせず、演技者としての道を選んだ生田斗真が取り組んだのは、そんな歌舞伎という演劇への挑戦だった。

生田が特別出演した歌舞伎初舞台の演目は、<尾上松也・歌舞伎自主公演 挑む Vol.10〜完〜 新作歌舞伎 赤胴鈴之助>。鈴之助の友・竜巻雷之進を演じる。高校の同級生である盟友・尾上松也が、2009年から行ってきた自主公演<挑む>シリーズの集大成となった作品だ。

Netflixドキュメンタリー『生田斗真 挑む』には、この作品に“挑む”生田斗真の姿と、20年来の友人となった歌舞伎役者との出会いと、ともにひとつの作品をおさめたことの意味が描かれる。

「やるべきこと」を見つけたい

生田斗真と尾上松也。彼らは、学生ながら何かのプロフェッショナルであるため、授業を受けがたい状況にある生徒のサポート制度がある高校に通っていた。クラスみんなが何らかのジャンルのプロ。でも、プロとして世間から求められる度合いはそれぞれ異なった。プロとしての需要がどの程度なのかは、欠席日数という残酷な形で顕著になった。

1996年、母親が履歴書を送ったことをきっかけにジャニーズ事務所に入った生田斗真は、翌年、NHK連続テレビ小説『あぐり AGURI』(1997年)の主人公夫妻の長男役で俳優デビュー。同時期にジャニーズJr.内ユニット・MAINのメンバーにも選出され、順風満帆のスタートを切る。当時の意識は部活動の延長。そこに女の子にキャーキャー言われるおまけもついた。小・中学校時代の自分に「プロ意識はなかった」と語る。

しかし、高校入学前に事態は急激に変化していく。それまでMAINで一緒に活動していた松本潤、相葉雅紀、二宮和也が、1999年に「嵐」としてCDデビューしたのだ。生田は、取り残されたようなもやもやする気持ちを抱えた。そんな生田の転機になったのは、事務所の先輩である松岡昌宏が主演した2002年の劇団☆新感線プロデュースの舞台「スサノオ~神の剣の物語」への出演だった。これで芝居の面白さを再発見し、舞台、芝居をメインにした表現者になりたいと方向性を定める。

“やるべきことを見つけたい”。そんなふうに意思を持って取り組めるようになったのは、高校生という“何者でもない”時代があったからなのではないかと思う。

生田と尾上松也の友情の物語、だけじゃない

“何者でもない”時代を送ったのは、生田だけではなかった。松也は5歳のときに、父・尾上松助の襲名披露に併せ、「伽羅先代萩」の足利鶴千代役で初舞台を踏んでいる。二代目尾上松也は初代を名乗った叔父の名跡。歌舞伎役者にはなったが、歌舞伎の世界の“格”というしきたりにより歌舞伎座で主役を張るのは難しく、若衆や女形などを演じ、演技を磨いた。

歌舞伎の世界のしきたりについて補足すると、二代目市川段四郎の3男であった二代目市川小太夫を父に持つ歌舞伎研究家・喜熨斗勝は、そのしきたりを「不条理だ」といっている。宗家・門弟筋、家名の格などが重んじられ、それらによって演じられる役、やってもよいとされることは限られる。現在は変わってきつつあるものの、実力さえあれば主役を勝ち取れるという世界ではないのだ。高校時代の生田は、尾上松也と一緒にいることが多かったが、「仕事の話は一切しなかった」という。

そんな松也は2005年、弱冠二十歳のときに父を失う。後見の存在も大切な歌舞伎界において、丸腰に近い形で父の一門と家族の生活も背負うこととなった。生田は「友だちが男になる瞬間を見た」と語っている。松也は、父・松助とも仲のよかった生田が葬儀で号泣していたことを明かすが、泣いていられない自分の代わりに涙する友人がいたから「踏ん張れた」のかもしれない。

父を亡くした松也は、本ドキュメンタリーの舞台となった自主公演<挑む>を2009年に立ち上げ、年1回のペースで公演を行い、精力的に研鑽を積んだ。一方、若手の登竜門である新春浅草歌舞伎の常連となり、頭角を現すようにも。

2013年の新春浅草歌舞伎<寿曽我対面>では主人公ともいえる曽我兄弟の弟・五郎時政に抜擢された。格に従い、ほとんど演じたことのなかった荒事(隈取を施した武将)の演技は十世坂東三津五郎につけてもらったという。2019年に演じた<義賢最期>の木曽先生義賢(源義賢)のときは、“戸板倒し”“仏倒れ”を使った立廻りの指導を片岡仁左衛門に受けたそうだ。

変えがたい環境の中ではあっても、松也は活路を見出すことを諦めなかった。自ら取りに行き、活動の場が拓かれれば、それを演じるための教えを当代一の役者に乞うた。生田が演じた『挑む』は、そんなふうにして用意した舞台だった。高校時代から彼を見てきた生田には既知のことであったと思う。

高校の頃から「歌舞伎を一緒にやりたい」と語り合っていたという2人。松也は、不条理でもある歌舞伎界の門戸を開くには、外部の、それも飛び切りのインパクトのある要素が必要だと理解していたのだろう。だからこそ、ジャニーズというまったく異なる世界で研鑽を積んだ生田を誘った。そして生田も、これまで培ってきた芝居を磨くためには、伝統文化をこそおさめておく必要があると理解していた。だから松也のオファーに応じたのだと思う。友情の物語だけでなく。

“ゲスト”ではなく、1人の歌舞伎役者として

10回目の<挑む>で演じられた「新作歌舞伎 赤胴鈴之助」は、松也の父・松助が尾上緑也を名乗っていた10歳の頃、KRテレビ(現TBS・1957~1959年)で主演し、大ヒットした少年向けドラマをベースにしている。吉永小百合も共演しており、これがテレビドラマ初出演であったようだ。そんな松也のひとかたならぬ思いのこもった新作歌舞伎の練習に、生田は松助の形見の稽古着で臨んだ。

しかし、歌舞伎の舞台練習は、大筋はあるものの、台詞も演出も稽古しながらどんどん変えていくスタイル。稽古場に立つときは台本を持って行かない(既に台詞が入っている)現代的スタイルに慣れていた生田は、とても戸惑ったようだ。

以前、市川猿之助が話していた。歌舞伎の場合、演出家はいても大まかな方向性を決めるのは主役。古典の内容やそれを表現する型は、歌舞伎役者なら誰もが理解しているものなので、わざわざ台詞入れの時間を取らず、稽古をしながら主役が表現したい作品へと創り上げていくのだと。生田はもちろんベースを共有していない。そんな彼が、よくワンポイントのゲスト出演ではなく、1人の歌舞伎役者として、竜巻雷之進役を完成まで導いたものと感服した。

松也は歌舞伎のイロハを小さい頃から学んできた。だが生田もジャニーズで踊りやアクロバット、歌を学んできたプロだ。ただし歌舞伎の荒事が腰を落とし、足を突っ張る重力を味方につけた表現なのに対し、ジャニーズは軽やかなステップ。もしかするとインパクトに欠けるように感じるかもしれない。でもそれはインパクトではなくケレンなのだ。そして、それは単なるアプローチの違い。生田が求められることを理解し、みるみる体現していく姿は、ドキュメンタリーならではの見どころであった。

映画の最後、千穐楽を迎え、感極まった松也が言葉を詰まらせる場面が映し出される。その横にいるのはもちろん生田だ。そのときの生田は松也を見ない。その表情にハッとさせられた。生田が、彼なりの方法で舞台をここまで導いたのだという自負を感じていることが伝わってきた。どんな表情であったのかは、ぜひ作品を観ていただければと思う。

文:関口裕子

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『生田斗真 挑む』

俳優・生田斗真が、長年の友人である歌舞伎役者・尾上松也とともに自身初の歌舞伎の舞台に挑戦する姿を追うドキュメンタリー。

出演:生田斗真 尾上松也

演出:相澤雄
エグゼクティブ・プロデューサー:藤島ジュリーK

制作年: 2022

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