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クリント・イーストウッド91歳! 新作『クライ・マッチョ』へと続く「“マルパソ”=険しい道」を映画ポスターで振り返る

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ライター:#セルジオ石熊
クリント・イーストウッド91歳! 新作『クライ・マッチョ』へと続く「“マルパソ”=険しい道」を映画ポスターで振り返る

イーストウッド監督作=マルパソ作品

2020年、コロナ禍のニューメキシコ州で撮影されたクリント・イーストウッド90歳(撮影時)の主演最新作『クライ・マッチョ』は、「イーストウッド監督50周年記念作品」と銘打たれている。ワーナー・ブラザース本社が決めたのかもしれないが、これはどうにもクリント・イーストウッドらしくない。イーストウッドの映画は、常に<マルパソ・カンパニー>作品、あるいは<マルパソ・プロダクション>(マルパソ作品)とクレジットが出る。よく映画で見る「a film by~」とか「un film de~」、つまり「クリント・イーストウッド監督作品」とは決して表記されない。

映画はひとりでは作れない。イーストウッドは監督(あるいは製作や主演)を務めてはいるが、映画を作ったのは、あくまでマルパソ・カンパニー(※1988年にマルパソ・プロダクションに改名)、というわけだ。ついでに言えば、最近の映画の冒頭や巻末によく出てくる派手にCGを使った制作会社のロゴムービーなども、マルパソは作ったことはない(はずだ)。いつも本編が始まってしばらくすると、Malpaso(CompanyあるいはProductions)の文字が小さくサラリと出る。長年のイーストウッド・ファンが、おもわず嬉しくなる瞬間だ。

『クライ・マッチョ』CRY MACHO 2021 
アメリカ・インターナショナル版ワンシート・アドバンス / 2021年 ワーナー・ブラザース  
USA International 1sheet advance / 2021 Worner Bros. /102 X69cm

マルパソ・カンパニーが設立されたのは1968年、イーストウッドが出演したイタリア製西部劇=マカロニ・ウエスタン『荒野の用心棒』(1964年)、『夕陽のガンマン』(1965年)、『続・夕陽のガンマン/地獄の決斗』(1966年)がアメリカで大ヒットした直後だ。黒澤明との『荒野の用心棒』盗作訴訟問題のため、アメリカでの公開は三本まとめて1967年までずれ込んでいたのである。

このセルジオ・レオーネ監督による大傑作西部劇三部作は、すでに(アメリカ以外の)世界中で大ヒットし、イーストウッドは出演料に加えて三作目はアメリカでの収益の一部を受け取る契約をしていた。イーストウッド演じるさすらいのガンマンを「名前のない男」(映画の中ではそれぞれ名前はあるのだが)と宣伝した“ドル三部作”は、もちろんアメリカでも大ヒットし、イーストウッドの懐には大金が転がり込んだ。そこで、イーストウッドが設立したのが映画製作会社マルパソ・カンパニーだった。

『夕陽のガンマン』FOR A FEW DOLLARS MORE 1965
アメリカ版ワンシート / 1967年 ユナイト /
USA 1sheet / 1967 United Artist / 104 X69cm /

「マルパソ」の名の由来には諸説ある。スペイン語で「踏み違え」「つまづき」「悪い手」「険しい道」といった意味らしいのだが、『荒野の用心棒』出演のためにイタリア行きを決めた時に、マネージャーがイーストウッドに言った言葉だともされている。また、イーストウッドが購入したカリフォルニア州カーメルの土地が、たまたま「マルパソ川」に沿った土地だったからとも……。

自分の作品に「a film by」と入れるのが好きなアメリカ人監督クエンティン・タランティーノは、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(2019年)で、エージェントからイタリア映画出演を勧められて泣いてしまう元テレビの西部劇スターを主人公にした。のちにイタリアへ渡って成功を収めて帰国する、この主人公のモデルはイーストウッド以後の“イタリア出稼ぎスター”ではあるのだが、どうしても“世界一有名な出稼ぎガンマン”クリント・イーストウッドを思い起こさせる。

テレビシリーズ『ローハイド』(1959~1966年)で人気と地位を築いたものの、映画に主演する機会を得られなかったクリント・イーストウッドは、イタリアでの映画出演という「マルパソ」をあえて選んだ。マネージャーが言うまでもなく「悪い手」だったかもしれない。が、脚本を読んで、それが日本映画『用心棒』のリメイクだと気づいていたイーストウッド(『ローハイド』のプロモーションで1962年に来日したこともあった)は、「マルパソ」に賭けてみることにしたのだ。

イタリアから送られてきた脚本の題名は「THE MAGNIFICENT STRANGER」(素晴らしき流れ者)となっていた。それは黒澤の『七人の侍』(1954年)をハリウッドがリメイクした際の英語題名『THE MAGNIFICENT SEVEN』(1960年:邦題『荒野の七人』)からの引用だった。出演後、タイトルは『A FISTFUL OF DOLLARS(ひと握りのドルのために)』と変更された。そのおかげで、イタリアやヨーロッパ、日本で大ヒットしたことがハリウッドの映画情報誌で報道されても、イーストウッドは、それが自分が出演した映画だと気づかなかったという。

『クライ・マッチョ』の主人公はイーストウッドの原点『ローハイド』のカウボーイだ

『続・夕陽のガンマン/地獄の決斗』が(アメリカ以外で)大ヒットを記録した1966年、ヨーロッパで『素晴らしき流れ者』と題されたクリント・イーストウッド主演作が公開された。セルジオ・レオーネ西部劇で大人気となったイーストウッドでひと稼ぎしようと、テレビ西部劇『ローハイド』の2つのエピソード(第3シリーズの「悪夢の逃亡」と第7シリーズの「卑怯者の汚名」)を再編集して劇場用映画に仕上げたシロモノで、日本やアメリカでは上映されていない幻の映画だ。

『素晴らしき流れ者』IL MANIFICO STRANIERO
イタリア版2フォーリ ティーポB / ウニディス 1966年 / アート・フランコ・フィオレンツィ
Italy 2 fogli Tipo B / UNIDIS 1966 / 140 × 99cm / Art Work: Franco Fiorenzi

どちらも、本来シリーズの主演であるフェイバー隊長 (エリック・フレミング)が出演していないエピソードで、イーストウッド演じる副長ロディが主役になっていたのだ。白黒のテレビ映画をつなぎ合わせて90分ほどの作品になった『素晴らしき流れ者』は、カラーに色付けされたポスターや、イーストウッドがまるで『荒野の用心棒』のガンマンのように見える特大ポスターも用意された。

『素晴らしき流れ者<未>』IL MAGNIFICO STRANIERO
イタリア版4フォーリ / ウニディス 1966年 / アート:フランコ・フィオレンツィ
Italy 4 fogli / UNIDIS 1966 /199 ×140cm / Art Work: Franco Fiorenzi

「♪ローレン ローレン ローレン」……フランキー・レインが歌う主題歌(実際はRollin’ なので「ローリン」だけど)で有名なテレビシリーズ『ローハイド』は、もちろんイーストウッドの大出世作だ。1954年、24歳でユニバーサル社と契約したものの、鳴かず飛ばずで映画に数本に端役で出演しただけで解雇され、その後独立プロダクション作品やテレビシリーズに出演していたイーストウッドが、CBSテレビに勤めていた女性友達の紹介でオーディションを受け、見事に若手カウボーイ・ロディ役をつかんだのだ。牛の大軍をテキサスまで運ぶ男たちを描く、いわゆる「カウボーイ」もので、旅の途中で起こる様々な出来事や人々との出会いが描かれる元祖ロードムービーでもあった。

クリント・イーストウッドが『クライ・マッチョ』で演じる主人公マイクは元ロデオ・スターとされているが、ロデオ(=荒馬や牛に乗る技を競うコンテスト)はカウボーイが仕事の合間に楽しんだ遊びが発祥だ。つまり、マイクは『ローハイド』のロディと同じ「カウボーイ」なのである(21世紀の今、カウボーイという言葉は古いので、ロデオ・スターと説明されることになったのだろうか)。

『クライ・マッチョ』を見て感慨深いのは、91歳になったイーストウッドが、自分の出世作となったカウボーイ映画(テレビドラマ)の主人公を再び演じているかのように映ることだ。『クライ・マッチョ』の設定は1979年の話となっているが、ロデオ・スターだったのはいつ頃のことなのだろう。マイクの年齢がいくつなのかよくわからないが(演じているのは90歳のイーストウッドだけど原作では38歳!)、50年前とすれば、イーストウッドが生まれたころ、1930年前後になる。もしかすると、イーストウッドの父(名は同じクリント)をイメージできるかもしれない。父クリント・シニアはカウボーイではないが、セールスマン・探偵・森林業などさまざまな職業に就いて、大恐慌から第二次大戦にかけての苦しい時代に家族を養った。が、息子クリントが起業したマルパソ・カンパニーが軌道に乗った1970年、心臓発作で亡くなった。まだ64歳だった。イーストウッドは以後、自身の健康に気をつかうようになったという。

『クライ・マッチョ』© 2021 Warner Bros. Entertainment Inc. All Rights Reserved

『クライ・マッチョ』の“元カウボーイ”マイクは、恩義のある牧場主の頼みで、彼の息子をメキシコシティからテキサスまで連れてくる仕事を引き受ける。映画の中の「恩義」が何なのかは特に説明されないのだが、イーストウッドには恩義を大切にする男だ。こんなエピソードがある。『ローハイド』出演のきっかけを作ってくれた、20歳以上年上の女性ソニア・チャーナスを、イーストウッドはのちにマルパソ・カンパニーに雇い入れ、脚本家として『アウトロー』(1976年)に起用したのだ。逆に、ユニバーサル社でイーストウッドを解雇した男が、マルパソに入社を求めてきたときは門前払いをくらわしたそうな。痛快だ。

イーストウッドが演じた『ローハイド』のロディ役は、当初の脚本では19歳の若者の設定だったという。だが、すでに28歳で結婚もしていたイーストウッドは、私生活ではいろいろお盛んでガールフレンドが大勢いたらしい。家庭を顧みず、ヤンチャもしていたようだ(現在まで結婚は2回、6人の女性との間に8人の子どもがいることからも想像はできるだろう)。おかげで撮影に遅刻してくることもしばしばあり、主演のエリック・フレミングとの仲も険悪になっていたという。結局、イーストウッドはイタリアとスペインで『荒野の用心棒』に出演した後に撮影された最終第8シーズン(1965年)まで出演、それどころか第7シリーズで契約終了となったエリック・フレミングの後釜として「隊長」に昇格した。“若気の至り”から「マルパソ」の選択を経て、「隊長」となり国際的西部劇スターへと変貌した俳優クリント・イーストウッドは、『ローハイド』を通じて、成長を遂げたともいえるだろう。

“クライ・マッチョ”は、イーストウッドが連れ戻しに行く少年が飼っている闘鶏の名だ。少年は、いつか馬に乗って牧場主になりたいと夢を語る。それは、『ローハイド』のロディと同じ夢なのかもしれない。

『クライ・マッチョ』© 2021 Warner Bros. Entertainment Inc. All Rights Reserved

マルパソを旅をした仲間たち~イーストウッドのロードムービー

監督として50年、俳優として60数年のキャリアのあるイーストウッドは、これまでにもいろいろなキャラクターと一緒に旅をしてきた。マルパソ・カンパニー第2作『マンハッタン無宿』(1968年)では、アリゾナから大都会ニューヨークへ、凶悪犯(ドン・ストラウド)を連れ戻しにやってくるカウボーイハットの刑事を演じた。まあ、犯人とは仲がよさそうではなかったが、コワモテでニヒルな刑事像はのちの『ダーティハリー』(1971年)へ、カウボーイハットの刑事の設定はテレビ・シリーズ『警部マクロード』(1970~1977年)へ引き継がれた。

『マンハッタン無宿』COOGAN’S BLUFF 1968
フランス版モワイヤン / ユニヴァーサル / デザイン:ルネ・フラッキ
French Affiche Moyen / Universal 1969 / 57 x 76 cm / Artwork: Rene Ferracci

次いで『真昼の死闘』(1970年)では、メキシコを舞台に尼僧(シャーリー・マクレーン)を助けて珍道中をする流れ者ガンマンだ。音楽はエンニオ・モリコーネだし、まるでマカロニ・ウエスタンのような雰囲気なうえ、原題は『TWO MULES FOR SISTER SARA(シスター・サラの2頭のラバ)』。イーストウッドが『荒野の用心棒』でラバに乗って登場したことにひっかけているようで楽しいコメディ・ウエスタンだった。

2作とも監督はドン・シーゲル。のちにイーストウッドと『ダーティハリー』を大ヒットさせ、監督デビュー作『恐怖のメロディ』(1971年)には出演までしてくれた、恩義ある“師匠”だ。イーストウッドは『許されざる者』(1992年)で、セルジオ・レオーネとドン・シーゲルに献辞を捧げている。

『真昼の死闘』TWO MULES FOR SISTER SARA 1970
アメリカ版ワンシート / ユニヴァーサル
USA 1sheet / Universal 1970 /104 X69cm

『ダーティハリー2』(1973年)の脚本修正に加ったことでイーストウッドに認められ、マルパソ・カンパニー作品『サンダーボルト』(1974年)で監督デビューを飾ったのが、1978年の『ディア・ハンター』で見事アカデミー監督賞に輝くことになるマイケル・チミノだ。派手な銀行強盗コンビ、サンダーボルトとライトフットを43歳のイーストウッドと24歳のジェフ・ブリッジスが演じ、ブリッジスは第47回アカデミー賞の助演男優賞にノミネートされた。この2人の関係について、ブリッジスの女装場面があることもあって、バディを超えたゲイ的な雰囲気があると一部で言われていたが、のちにマイケル・チミノは、外見上はすっかり女性になっていた(真相は不明のまま2016年に他界)。

配給のユナイテッド・アーティストは、『サンダーボルト』をイーストウッドが巨大な機関砲を操る派手なポスターなどでアクションものとして売ったが、実は機関砲はなかなか出てこない、凸凹強盗コンビのニューシネマ的ロードムービーだった。アメリカ版ワンシートポスターは、数種類もデザインが用意され、方針が定まらない宣伝担当の苦悩がわかる。ここでは、もっとも内容に即していると思われるバージョンを紹介しよう。

『サンダーボルト』THUNDERBOLT AND LIGHTFOOT 1974
アメリカ版ワンシート スタイルB / ユナイト / アート:バーニー・レティック
USA 1sheet Style B / United Artist / 104 X69cm / Artwork :Birney Lettick

1979年(『クライ・マッチョ』の時代背景になっている年)、イーストウッドは旅回りのカウボーイ・ショーの一座のドタバタ道中を描いたロードムービー『ブロンコ・ビリー』(1980年)を撮影する。翌年公開されてヒットこそしなかったものの、イーストウッド自ら「キャリアの中で最も魅力的な作品の一つ」としているファン必見の快作だ。「♪みんなカウボーイと道化師が大好きさ」と歌われるカントリーソングの主題歌もよかった。また、ポスターも伝説的ポスター・デザイナー、ビル・ゴールドが、イラストとタイトル・ロゴをそれぞれ優秀なアーティストに発注して仕上げた見事なもの。

日本には、この映画のタイトルを冠した某ステーキハウス・チェーンがある。全世界のクリント・イーストウッド・ファンが“参拝”すべく、全店にこのポスターを掲示していただきたいと切にお願いしておきたい。

『ブロンコ・ビリー』BRONCO BILLY 1980
アメリカ版ワンシート / ワーナー・ブラザース / デザイン:ビル・ゴールド / イラスト:ロジャー・ヒュッセン / ロゴ:ヘラルド・ウエルタ

『ホンキートンク・マン』から『クライ・マッチョ』へ~そして「男は、伝説となった」~

50歳を越えたイーストウッドは、『センチメンタル・アドベンチャー』(1982年)で呑んだくれの中年カントリー歌手レッドを演じ、もちろん製作・監督を務めた。カントリー音楽の大イベントに参加するために甥の少年ホイットと共にナッシュビルへ旅をするのだが、ホイットを演じたのは当時13歳のイーストウッドの実の息子カイルだった。レッドは、この甥に「酒」「女」「車」を教える一方で、少年の意外な音楽的才能に感じ入ったりする。実際に、カイル・イーストウッドは音楽家となり、父の映画『硫黄島からの手紙』(2006年)、『グラン・トリノ』(2008年)などの音楽を担当。最近はジャズ・ミュージシャンとしてパリに暮らしている。

『センチメンタル・アドベンチャー』HONKYTONK MAN 1982
日本版半裁 / ワーナー・ブラザース / デザイン:檜垣紀六
Japan B2 / Warner Bros. 1982 / 72.5 X 51.5cm / Design: Kiroku Higaki

『センチメンタル・アドベンチャー』の時代背景は経済恐慌禍の1930年代で、旅の途中、レッドは食料にするために鶏を盗んで逮捕される。ホイットはたまたま映画館である西部劇映画のポスターを見て、そこにイラストで描かれていた方法で叔父のレッドを脱獄させる。実在するこの映画ポスターで確認したのだが、映画に登場したものとは肝心の部分が違っていた。物語に合わせてアレンジ・制作されたものなのだろうか(1934年の作品なので著作権もなさそうだ)。いずれにせよ、映画ポスターがイーストウッド映画の中で重要な役割を演じていたのは感慨深い。

また、レッドが道すがらみつけた大きな木桶を利用してひと風呂浴びるエピソードがある。そこへ牛が襲ってきてイーストウッドが裸で逃げ回るハメになるのだが、元『ローハイド』のカウボーイとは思えないなんとも情けない爆笑場面。イギリスでは、わざわざこのユーモラスな状況をフィーチャーしたポスターもデザインされた。

『センチメンタル・アドベンチャー』HONKYTONK MAN 1982
イギリス版ブリティッシュ・クアッド / ワーナー・ブラザース / アートワーク:トム・ボーヴェイ
UK Tom Beauvais / Warner Bros. 1983 / 104 X69cm / Artwork :Tom Beauvais

『センチメンタル・アドベンチャー』は、叔父と甥の旅を父親と息子が演じた素晴らしいロードムービーだ。途中、車が故障して足止めを食ったりもする。そして、叔父(父)は甥(息子)に人生(酒、女、車、音楽)を教え、去っていく。日本題名は、前年にヒットしたアイドル歌謡曲をアレンジしたらしきもので意味不明だが、原題は『HONKYTONK MAN(ホンキートンク・マン)』だ。ホンキートンクとは調子はずれの楽器のことで、1956年に同名のカントリー・ソング(表記は「Honky-Tonk Man」)をジョニー・ホートンが歌って全米でヒットさせていた。

イーストウッドが劇中で歌った主題歌「HONKYTONK MAN」は別の歌だが、実は、ジョニー・ホートン版をカバーして1986年に歌手デビューした男がいる。ドワイト・ヨーカムという。彼はグラミー賞を2度受賞する人気歌手となり、俳優としても活躍、西部劇映画を監督したこともある。そして『クライ・マッチョ』で、イーストウッド演じる老カウボーイが「恩義がある」と感謝する牧場主を演じた。

同じ「ホンキートンク・マン」で結ばれた2人が、カウボーイのロードムービー『クライ・マッチョ』で出会ったのは何かの奇縁だったのだろうか。

最後に、『センチメンタル・アドベンチャー』のアメリカおよびイギリス版ポスターに記された言葉を記憶しておこう。

「少年は、男になりつつあった 男は、伝説になる途中だった」

そのまま39年後の『クライ・マッチョ』に使ってもよい名文句だ。ただし、後半は「男は伝説になった」と変更すべきだろうが。

『センチメンタル・アドベンチャー』HONKYTONK MAN 1982
アメリカ版ワンシート / ワーナー・ブラザース / デザイン:ビル・ゴールド / アート:J・アイソム
USA 1sheet / Warner Bros. 1982 / 104 X69cm / Design: Bill Gold / Artwork :J. Isom

文:セルジオ石熊

ポスター提供:宮本美隆

『クライ・マッチョ』は2022年1月14日(金) 新宿ピカデリーほか全国公開

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『クライ・マッチョ』

アメリカ、テキサス。ロデオ界のスターだったマイクは落馬事故以来、数々の試練を乗り越えながら、孤独な独り暮らしをおくっていた。そんなある日、元雇い主から、別れた妻に引き取られている十代の息子ラフォをメキシコから連れ戻すという依頼を受ける。犯罪スレスレの誘拐の仕事。それでも、元雇い主に恩義があるマイクは引き受けた。男遊びに夢中な母に愛想をつかし、闘鶏用のニワトリとともにストリートで生きていたラフォはマイクとともに米国境への旅を始める。そんな彼らに迫るメキシコ警察や、ラフォの母が放った追手。先に進むべきか、留まるべきか? 少年とともに、今マイクは人生の岐路に立たされる――。

制作年: 2021
監督:
出演: