「ああ、俺は不幸だ(恍惚)」
『PITY ある不幸な男』は“不幸中毒”に陥った男の物語。
交通事故で昏睡状態となった妻を案じる男。最愛の妻が逝ってしまうのは時間の問題だ。彼は毎朝、ベッドの上で絶望して泣く。しかし、彼には元気付けてくれる仲間がいた。
行きつけのクリーニング屋の店主は、店を訪ねるたびに男に妻の容態を聞いて心配してくれる。同じマンションに住む女性は毎朝焼き立てのケーキを届けてくれるし、友人たちも何かと気を遣ってくれる。男の仕事は弁護士。パリッとした服装に紳士的な態度。皆それに値する対応をしてくれるのだ。
「ああ、皆が同情してくれる。気を遣ってくれる。俺は不幸だ」
そう思い涙を流す男。涙を流せば、自分が浄化されていくような気がした。もし涙が出なかったら、自分は破裂してしまうかもしれない。
しかし、彼の一人息子はポジティブだ。好きなピアノを弾き、あまり悲しんでいる様子もない。
「もっと悲しんでいいんだよ」
と男は言うが、息子は現実を受け入れて生きていくことを決心した様子。男はそんな息子を見ていると、泣くためのネタである悲しみが邪魔されるような気がした。そんな折、妻が目覚める。普通なら喜ばしいことだ。だが男にとっては、それこそが不幸だった。美味しいケーキはもう来ない。友人たちは妻の臨死体験話に夢中。誰も慰めてくれない、泣けない。このままでは俺は破裂してしまう。
そこで男は、“涙を流す”ため驚くべき行動に出る。そして本人も予想だにしていなかった結末を迎えることになる。
関連作品から見えてくる、ギリシャ映画の特性
本作は、ギリシャ・ポーランド合作。2018年サンダンス国際映画祭ワールドシネマドラマティックコンペティション部門でプレミア上映後、数々の映画祭に出品され話題を呼んだ。『籠の中の乙女』(2009年)や『ロブスター』(2015年)などヨルゴス・ランティモス作品を多く手掛け、アカデミー賞脚本賞にノミネートされた脚本家、エフティミス・フィリップとギリシャの新鋭監督、バビス・マクリディスの2人が組んだ、とても奇妙な不条理映画である。
映画を見る限り、ギリシャ人は習慣化した行動の改善を拒む傾向があるように思える。ネガティブな意味ではなく、自己を強く持っているという意味で。古代ギリシア時代、小さな都市国家に分かれて戦争を繰り返し、その後、他国に支配されつづけ、19世紀に独立回復したが国家内の政情が安定せず、つい50年弱前までは軍事独裁政権だった。荒れに荒れまくる社会では、確固たる自分を持っていないと生き抜けない。人の生活はすべて習慣で出来ており、習慣がアイデンティティを支えている。彼らはそのことを自覚しているのではないか? と。
エフティミス・フィリップ脚本作品を見ていくと気がつく。どの作品も「人の習慣を根底から覆す」ことに執着しているのだ。『籠の中の乙女』は“ある条件”を満たすまで、家から一歩も出されず社会から断絶されたまま育てられた兄妹の話。“ある条件”を満たしたときに彼らがとった行為は、まさに“習慣”が生み出す結果だ。
『ロブスター』は“子孫を残すことを義務づけられた世界”で、一定期間内に配偶者を見つけられなければ動物にされてしまう物語。この作品は“独身者”の習慣に根付いた行為が垣間見られる。不条理で奇妙奇天烈と評されることが多いエフティミス・フィリップ&ヨルゴス・ランティモス監督の作品。不条理の源は「人の自己を作り上げている習慣を破壊する行為が、どういう結果を生むのか」ではなかろうか。
バビス・マクリディスの前作『L』(2011年)も、似たような話だ。高級蜂蜜を運ぶドライバーの男。彼は働き詰めで、僅かな余暇は家族と一緒に過ごす。しかし、なぜか一緒には暮らさず車の中で生活している。そんなある日、彼は理由も無く蜂蜜運び業をクビにされてしまう。すると彼に対する世間の信頼度はガタ落ち。男はそんな不条理さに納得がいかず、自暴自棄となる……。なんだかエフティミス・フィリップ&ヨルゴス・ランティモス作品と大して変わらない印象ではないだろうか? こうなってくると、もはや“習慣の侵食”というプロットはギリシャ映画の特性と言ってしまっても良さそうだ。
“習慣の侵食”から生じる不条理感
少し古い映画の話もしておこう。『The Wife Killer』(原題:Eglima sto Kavouri)(1974年)は年増の妻エレンを暗殺し、若く新しい恋人と共に遺産をせしめようとする悪夫ジムの物語だ。悪夫は殺し屋を雇うが、なんと彼は精神を病んだ連続レイプ殺人犯。計画遂行後、ジムに消されることを恐れた彼は、エレンのそっくりさんを殺害するのだが……。
所謂ギリシャ製ジャッロ(探偵サスペンス)だ。これもまた習慣の侵食といえる。エレンは、まさか夫が自分の殺害を計画するなどと思っていないし、ジムは殺し屋が裏切るとも思っていない。殺し屋も自分の妄想を信じて疑わない。誰しもが“そうじゃないだろう!”という行動を取った結果、めちゃくちゃなオチを迎えることになるのだ。日本では無名の作品、知っていても“ジャッロ映画”という枠組みから大きく外れた作品として認知されている。
昔から、ギリシャ映画は“習慣の侵食”ゆえに感じる不条理感が持ち味で、その味は世界で随一と言い切って間違いない。
『PITY ある不幸な男』は、その極北にある映画だ。エフティミス・フィリップが脚本にかかわる作品は、何処かファンタジック要素(動物に変えられる、社会からの完全断絶、など)があるが、本作にはそれがない。つまり、不幸という麻薬に取り憑かれてしまったら、我々も本作の“男”と同じ行動を取ってしまうかもしれない……と思わせる、そんな雰囲気に背筋が冷たくなる一作だ。『L』も含めて、“リアル不条理”ともいえる作風を持つバビス・マクリディスの今後が楽しみである。
文:氏家譲寿(ナマニク)
『PITYある不幸な男』は2021年10月8日(金)よりヒューマントラストシネマ渋谷、池袋シネマ・ロサ、新宿シネマカリテほか全国公開
『PITYある不幸な男』
不幸なときだけ幸せを感じる男の物語。ティーンエイジャーの一人息子と、小綺麗な家に住み、健康で、礼儀正しく、概ね身だしなみは良い、一見何不自由ない弁護士の男性。しかし彼の妻は不慮の事故により昏睡状態に陥っている。彼の日々は妻を想ってベッドの隅で咽び泣き、取り乱すことから始まる。境遇を知り、毎朝ケーキを差し入れる隣人、割引をするクリーニング屋、気持ちに寄り添う秘書など同情心から親切になる周囲の人々。この出来事がもたらした悲しみはいつしか心の支えとなり、次第に依存してゆく。そんなある日、奇跡的に妻が目を覚まし、悲しみに暮れる日々に変化が訪れ……。楽園を失った男はやがて自分自身を見失い、暴走する。
制作年: | 2018 |
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監督: | |
脚本: | |
出演: |
2021年10月8日(金)よりヒューマントラストシネマ渋谷、池袋シネマ・ロサ、新宿シネマカリテほか全国公開