韓国系アメリカ人として初のアカデミー主演男優賞ノミネート
第93回アカデミー賞のノミネーションが発表され、日本でも公開中の映画『ミナリ』(2020年)が作品賞など6部門で候補となった。そして、この映画でアカデミー主演男優賞候補となった俳優がスティーヴン・ユァン。1983年に大韓民国(以下、韓国)で生まれた彼は、韓国系アメリカ人として初めて主演男優賞にノミネートされた俳優となった。
1929年の第1回アカデミー賞授賞式以来、俳優部門では『戦場にかける橋』(1957年)の早川雪洲や『砲艦サンパブロ』(1966年)のマコ岩松、『ベスト・キッド』(1984年)のノリユキ・パット・モリタや『ラスト サムライ』(2003年)の渡辺謙、『バベル』(2006年)の菊地凛子などが助演部門で候補になったことはあるものの、受賞に関しては『サヨナラ』(1957年)のナンシー梅木や『キリング・フィールド』(1984年)のハイン・S・ニョールなど、その例はごく僅か。92年もの歴史があるアカデミー賞において、これまでアジア系の俳優たちがハリウッドで冷遇されてきたと指摘される所以だ。
スティーヴン・ユァンは、ドラマ『ウォーキング・デッド』(2010年~)に登場する善良な男性・グレン役で注目された。文明社会が崩壊し、ゾンビが闊歩する世界での生き残りを描く劇的なストーリーが世界中の視聴者を惹きつけたドラマだが、グレン役を獲得するに至った彼のキャリアもまた劇的だった。スティーヴンの両親は、彼が4~5歳の頃に韓国からカナダへ移住。その後、アメリカのミシガン州を転々としたのち、デトロイトで美容品店を営んでいる。成長したスティーヴンは、地元のカラマズー大学へ通うことになるのだが、そこで生まれた数珠繋ぎのような奇妙な縁が演技に目覚めるきっかけとなり、彼の人生を変えてゆくことになるのだ。ちなみに、スティーヴンが大学で専攻したのは演技ではなく心理学だった。彼の両親は、息子を医者にしたかったのである。
ティム・アレンとの縁で名優を輩出する有名劇団に参加!
新入生だったスティーヴン・ユァンは向かいに住んでいたケイシーという女性に誘われ、大学の劇団による即興劇を観劇。一瞬で虜になった彼は、この時の経験について「これは僕がやるべきことだ!」と啓示のようなものを受けたのだと述懐している。演技経験などないスティーヴンは、さっそく劇団のオーディションを受け、大学では演技のクラスを受講。初舞台では、なぜかコロンビア人の麻薬の売人役を演じた。演じることに対してスティーヴンは「即興を探求することは、自分自身を再発見することだった」とも語っている。実はこの劇団、ケイシーの兄であるジョーダン・クレッパーが主宰したものだった。ケイシーとジョーダンの父親は、『トイ・ストーリー』シリーズ(1995年~)でお馴染みのティム・アレンとかつてルールメイトだっただけでなく、ティムに紹介された従姉妹と結婚している。つまり、彼らの母親はティム・アレンと従兄弟の関係にあるというわけなのだ。
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— steven yeun (@steveyeun) February 25, 2021
そんな環境にいたクレッパー兄妹と大学で知り合ったスティーヴン・ユァンは、大学卒業後、ジョーダンを頼って、隣州であるイリノイ州のシカゴへ転居。即興とコメディを中心とする地元の小さな劇団に身を置いていた。その頃、ジョーダンはシカゴを拠点とする劇団<セカンド・シティ>に参加。<セカンド・シティ>は、『ブルース・ブラザース』(1980年)のジョン・ベルーシやダン・エイクロイド、ビル・マーレイやマイク・マイヤーズ、スティーヴ・カレルなどの一流コメディアンを輩出したことで知られている劇団だ。参加した人物たちの多くは<セカンド・シティ>を経て、今なお続く名物番組「サタデー・ナイト・ライブ」(以降「SNL」)に出演するという流れもあった。そんな偉大なる劇団に、スティーヴンは幸運にもジョーダン・クレッパーのツテによって、いきなり地方巡業の代役を得ることとなったのである。やがて、即興を教える側にまでになるのだが、彼の考えることは少し違っていた。「このままでは『SNL』に出演するようなコメディアンにはなれない」のだと。
スティーヴン・ユァンが<セカンド・シティ>に在籍していた2009年前後、アジア系のコメディアンもまた、ごく限られた存在だった。このことについて、「SNL」のレギュラー陣として初のアジア系キャストだったロブ・シュナイダーは、ライブドキュメンタリー『ロブ・シュナイダーのママはアジアン、子はメキシカン』(2020年:Netflix)の中で「みんな僕のことを見て“あいつは一体何人なんだ?”って首をかしげるんだ」と人種差別が横行していたハリウッドの現実に対する複雑な心境を語っていた。彼の母親はフィリピン系だが、父親はドイツ系だったため、長い間「アジア系として十分ではない」と世間から思われていたからだ。スティーヴンは「<セカンド・シティ>を通り過ぎた向こうに、「SNL」へと辿り着く道が見えなかった」とも振り返っている。彼は、アメリカのエンターテインメントの世界で、アジア系という出自をどう生かすべきか、模索していた。
トントン拍子で掴んだ『ウォーキング・デッド』のグレン役
スティーヴン・ユァンのフィルモグラフィをIMDbなどのデータベースで調べると、初期の出演作に「voice」と記載されている作品を散見する。当時は顔出しのない、ビデオゲームの「声」を演じていたからだった。2009年にシカゴを去り、西海岸へと向かった彼は一路ロサンゼルスへ。そして、オーディションでテレビドラマの端役を数作品で演じたのち、いきなり獲得したのが『ウォーキング・デッド』のグレン役だった。ロサンゼルスへ引っ越して、僅か半年のことだったという。この期間をスティーヴンは「Very fortunate six months」=「とても幸運な6ヶ月」と呼んでいるが、オーディションではグレンという役の背景を想像しながら演じるため、奇しくもその場で役立ったのは、彼が大学時代に啓示を受けた“即興”だった。そして<セカンド・シティ>も、コメディ劇団であっただけでなく、演出上では即興を重んじる劇団だったのである。
シーズン7で『ウォーキング・デッド』を“卒業”したスティーヴン・ユァンは、グレン役の「いい人」というイメージから脱却することを望んでいた。『Z inc.ゼット・インク』(2017年)は、『ウォーキング・デッド』の製作会社サークル・オブ・コンフュージョンによる企画。スティーヴンは、人間を凶暴化させるウィルスに感染した主人公の弁護士を演じている。監督のジョー・リンチは当時のインタビューで、ハリウッドのアクション映画でアジア系俳優が主演することに対して、資金調達の視点でリスクが伴うことを認めながら、スティーヴンを主役にすることを提案したと発言している。スティーヴン自身も脇役を演じるのだと思っていたというが、この映画で演じた凶暴ぶりは、「いい人」からの脱却にかなっていたのだとも解せる。
自身がハリウッドにおけるアジア系俳優であるという自覚は、同じ韓国出身であるポン・ジュノ監督の『Okja/オクジャ』(2017年)やイ・チャンドン監督の『バーニング 劇場版』(2018年)に出演することにも繋がってゆく。そして、韓国映画である『バーニング 劇場版』の場合は、「ハリウッドで成功した韓国系俳優が韓国映画に出演する」という点で、母国への凱旋のように迎えられたという経緯があった。同作は村上春樹の短編小説「納屋を焼く」を映画化した作品でありながら、韓国を舞台にしたことで物語にも変更が加えられた。そのため、納屋に火を点けるのが趣味という点と男女の関係だけを残した、別作品といった趣の作品になっている。この映画で謎の男・ベンを演じたスティーヴン・ユァンの起用について、イ・チャンドン監督は「韓国系アメリカ人であるスティーヴンが演じたら、彼のアメリカらしさが不協和音を生む。それは韓国社会における“よそ者”に見えるだろう」と考えた。
つまり、スティーヴンが模索していた「アジア系という出自をどう生かすべきか」という点が、彼にしか演じられない側面を持ち得たことにより、『バーニング 劇場版』で昇華された形となったのだ。彼が演じるベンが纏う底知れぬ不気味さと緊張感の由縁である。
ユァンが模索し続ける「私が“誰”であるか」
実は、スティーヴン・ユァンが『ミナリ』で演じた主人公ジェイコブ役にも、同様のことが指摘できる。劇中では明確に説明されていないのだが、ジェイコブは当時軍事政権だった韓国から新天地であるアメリカへと逃げてきたのではないか? と推し量れるような台詞が点在している。つまり、韓国とアメリカ、二つのアイデンティティが混在しながら、どちらにとっても“よそ者”なのだ。
このことと、スティーヴンの出自とは、奇妙な一致がある。アカデミー賞ノミネーション発表直前、アジア系俳優として初めて主演男優賞候補となる可能性について問われた彼は、「先例を作ったり、天井を打ち破る瞬間の一部になることは素晴らしいことですが、その瞬間に巻き込まれたくないという気持ちもある。私が理解しようとしているのは、私が“誰”であるかということだからです」と語っている。スティーヴンは、リー・アイザック・チョン監督が脚本に残した“余白”を埋めることで、ジェイコブという役を作り上げたのだという。
スティーヴン・ユァンの妻は、リー・アイザック・チョン監督といとこ同士の関係にある。前述通り、数珠繋ぎのような奇妙な縁によって、スティーヴンのフィルモグラフィは連なっているのだ。『ミナリ』は監督の幼少期の体験をモデルにした、1980年代のアメリカを舞台にした物語だが、4~5歳頃だった1980年代後半に韓国からアメリカへやってきたというスティーヴンの人生と奇しくも重なるのである。そこに横たわる“必然”こそが、彼の模索し続ける「私が“誰”であるか」ということに対する評釈のひとつだと思えるのだ。
文:松崎健夫
『ミナリ』は2021年3月19日(金)より東宝シネマズシャンテほか全国公開
『バーニング 劇場版』はCS映画専門チャンネル ムービープラスで2021年4月放送
【出典】
・The Second City
https://www.secondcity.com/people/other/steven-yeun/
https://www.secondcity.com/people/touring/jordan-klepper/
・Variety
・Interview Magazine.com
・Collider
・Newsweek日本版
・The Washington Post
『ミナリ』
1980年代、農業で成功することを夢みる韓国系移民のジェイコブは、アメリカはアーカンソー州の高原に、家族と共に引っ越してきた。荒れた土地とボロボロのトレーラーハウスを見た妻のモニカは、いつまでも心は少年の夫の冒険に危険な匂いを感じるが、しっかり者の長女アンと好奇心旺盛な弟のデビッドは、新しい土地に希望を見つけていく。
まもなく毒舌で破天荒な祖母も加わり、デビッドと一風変わった絆を結ぶ。だが、水が干上がり、作物は売れず、追い詰められた一家に、思いもしない事態が立ち上がる──。
制作年: | 2020 |
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監督: | |
出演: |
2021年3月19日(金)より公開中