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「フランスで作品が高く評価されているのはクレイジーだね(笑)」イーストウッドが生い立ちから監督哲学まで語る!(2/3)

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ライター:#BANGER!!! 編集部
「フランスで作品が高く評価されているのはクレイジーだね(笑)」イーストウッドが生い立ちから監督哲学まで語る!(2/3)
『クリント・イーストウッドのマスタークラス in カンヌ映画祭』© TV FESTIVAL 2017/AFFIF
クリント・イーストウッド監督/主演最新作『運び屋』が2019年3月8日(金)に公開! ということで、2019年1月にCS映画専門チャンネル ムービープラスで放送されるイーストウッド御大が登壇した第70回カンヌ映画祭のマスタークラス(特別講義)を3回に分けて振り返っておきましょう。第2回は“監督”イーストウッドとして。

オランウータンとも共演! 監督としてのキャリア

『クリント・イーストウッドのマスタークラス in カンヌ映画祭』© TV FESTIVAL 2017/AFFIF

トゥーラン:1971年に初めて監督した『恐怖のメロディ』ですが、あの作品を監督したいと直談判したそうですね?

イーストウッド:ユニバーサルで出演した作品は好評だったので『恐怖のメロディ』の権利を買ってもらったんだが、直後に映画の撮影でイギリスに行ってしまってね。帰国して「この作品をやりたい」「監督したい」と言ったら、ルー・ワッサーマン(ユニバーサル・スタジオ元社長)も「いいよ」と。一緒にいたエージェントと2人で驚いたよ。「主演と監督をやりたい」と言ったら「OK」と言われたんだから。帰り道、エージェントと歩きながら「楽勝だったな」と言ったら、「給料を払う気はないそうだ」と教えてくれた(笑)。でも、それでいいと思ったね、金を払ってでも体験させてもらいたいと。うまくいけば次があるだろうしね。

トゥーラン:同じく予想外に大ヒットした作品についてお聞きします。『ダーティハリー』(1971年)です。この映画に出演しようと思った理由は?

イーストウッド:当時としてはブッ飛んだ話で、脚本が気に入った。それでドン(・シーゲル)に見せたら、彼も同じように気に入ってくれたよ。不適切だと考える人も多かったけどね。私はおもしろい作品だと思ったし、当時は大胆だった。理由はそんなところだ。大きな銃をぶっ放すのは子どもの夢だったし(笑)。

トゥーラン:『ダーティハリー』は5まで続きましたね。マカロニ・ウエスタンン同様、人気に火がつき驚きましたか?

イーストウッド:『ダーティハリー』の制作中は、ヒットするかまったくダメか、どちらかだと思っていた。いつもそう思ってるよ。ダメなら考え直すしかない。

トゥーラン:ソフィア・コッポラが『白い肌の異常な夜』(1971年)をリメイクしましたね(『The Beguiled/ビガイルド 欲望のめざめ』2017年)。あれはシーゲル監督にしては新しいタイプの映画でしたが、どう思いますか?

イーストウッド:私が脚本を読んでドンに提案したら、大いに気に入ったんだ。ドンはB級アクションの才能があったから、そればかりやっていたんだよ。それ以外のことはやる機会がなかったが、新しいことをやって失敗したら私のせいにできるだろ(笑)。

トゥーラン:そんな『白い肌の異常な夜』の思い出は?

イーストウッド:あの映画は、私がツアーに出た初めての作品だった。商業的な映画ではなかったがフランスで注目され、イタリアでも注目され、少しずつ知名度が上がっていったんだ。興行的には失敗したけどね。で、たまたまフランスの営業マンが作品を気に入ってくれたから、プロである彼らの力を借りてフランス・ツアーが実現した、というだけ。

トゥーラン:変わった役柄といえば、オランウータンとも共演しましたよね?

イーストウッド:あの作品(『ダーティファイター』1978年)は大コケすると言われていたんだ。エージェントも弁護士も、誰もが製作に反対だったね。「絶対にやめておけ」と言われたんだが、暴力的な作品ばかりやってきたから子ども向けのものを作りたかった。たまにはファミリー映画をやろう、と反対を押し切ってやったんだ。蓋を開けてみたら大ヒットさ。そこからいろんなジャンルの作品ができるようになったね。興行的には大成功でも批評家ウケは悪かったが(笑)。

トゥーラン:オランウータンとの共演については?

イーストウッド:オランウータンは……愛らしい動物だよ(笑)。そのほかルース・ゴードンなど、貴重なメンバーとも仕事ができた。学生時代の演劇みたいにバカなこともやったが、どうやら観客もそれを受け入れてくれたようだ。

トゥーラン:あまり話題に出ない作品に『ブロンコ・ビリー』(1980年)がありますね。

イーストウッド:あれも期待されていない作品だった。フランク・キャプラ風の作品を、代わりに自分で監督することにしたんだ。それほど商業的な映画じゃないが評判がよい地域もあったし、ナイーブな役柄が演じていて楽しかった。銃を撃つばかりだったからね。

トゥーラン:『マディソン郡の橋』(1995年)はどうでしょう?

イーストウッド:あれは変わった本だったな(ロバート・ジェームズ・ウォラー著/1992年刊)。初めて読んだときはなんとも思わなかったが、ふと思いついた。男の視点で物語が進み、女性と出会って恋に落ちるんだが、これは女性を中心に語るべきだと思ったんだ。その視点でやってみようということになり、メリル・ストリープに電話すると「原作はつまらない」と言われたが、脚本の方は気に入ってもらえて共演することになった。

トゥーラン:彼女との共演はいかがでしたか?

イーストウッド:ああ楽しかったよ、最高だった……なんかブレット・ラトナーみたいかな?(笑)
※ラトナー監督は多くの女優にセクハラで訴えられている

『硫黄島からの手紙』『父親たちの星条旗』撮影裏話

『クリント・イーストウッドのマスタークラス in カンヌ映画祭』© TV FESTIVAL 2017/AFFIF

トゥーラン:『ミスティック・リバー』(2003年)はダークな作品でしたね。

イーストウッド:きっかけは<USA Today>紙で原作が高評価だったことだ。話の内容に惹きつけられて読みたくなり、コストコに買いに走ったよ(笑)。すごくよかったね、翌週には制作を開始したくらいだ。

トゥーラン:<ワーナー・ブラザース>の説得に苦労したそうですが。

イーストウッド:最初はためらっていたが、本を読んでからは納得してもらえた。原作者のデニス・ルヘインはすばらしい。ショーン・ペンも、原作を読んだら「ビンゴ!」と乗り気になってくれたよ。すぐに皆の協力が得られたので、いい思い出だ。

トゥーラン:キャストが自主的にリハーサルをしたと聞きました。

イーストウッド:ショーンやティム(・ロビンス)が言い出したんだ。好きなだけやってくれと答えたよ(笑)。リハーサルなしで撮影してうまくいくときもあるが、この作品の役柄の場合はリハを繰り返すのがいいと思ったしね。だから、いろんな演技を試してもらったよ。最初のテイクは必ず撮影するんだ、初めてセリフを口にするときの役者の表情を見たいから。撮影は順調に進み楽しむことができたね。

トゥーラン:テイク数が少ないと言われてますが本当ですか?

イーストウッド:それは嘘だな(笑)。そのときによるね、最初のテイクで撮る努力はシーゲル監督に学んだ。彼はいつもそうしていたんだよ。自然にまかせるのが好きで、まずはやってみるという方針だ。何度もリハーサルを繰り返すと本番がつまらなくなる。私は一発目の表情が見たいから、そのために考えてもらう。このやり方を嫌う監督もいるが、私は今もそうしているよ。『ミリオンダラー・ベイビー』(2004年)など演技力を試される作品は、即興の演技を見るのが好きなんだ。うまくいかなければやり直せばいいし、実際そうしてきた。一発目がうまく撮れれば、全員がその波に乗れる。この方向でいこう、と自信が持てるんだ。役者にとってハードな場合もあるが、うまくいくこともある。

トゥーラン:『ミリオンダラー・ベイビー』には最初から乗り気でしたか?

イーストウッド:ああ、脚本が気に入ったし、私にできる役もあったしね(笑)。ストーリーがよくて、ヒラリー(・スワンク)やモーガン(・フリーマン)の配役もぴったりだった。私の意見は客観的ではないかもしれないけどね(笑)。

トゥーラン:『硫黄島からの手紙』と『父親たちの星条旗』(共に2006年)では硫黄島の戦いを両サイドから描きましたね。このアイディアはどこから?

イーストウッド:『父親たちの星条旗』を撮影中に硫黄島の本を読んでいたら、どの本でも米海兵隊大将が同じことを言っていた。日本兵が硫黄島でいかに勇敢に戦ったか、敵兵を褒め称える表現が繰り返されていたんだ。1940年代当時にしてはめずらしいことだと思う。それで興味を持ち、日本側の書物も読んでみた。彼らがどのようにして戦っていたのか? と。これを映画化する会社はないと思いつつ、どうしてもやりたくなった。そんな中、アイスランドで硫黄島のシーン撮影をした。硫黄島での撮影は許可されないから、アイスランドの砂浜を硫黄島に見立てたわけだ。その最中に脚本を準備し始めた。仕事として脚本を書くのは初めての若い女性(アイリス・ヤマシタ)がいいものを書いてくれたよ。それで、アイスランドでは「今の映像は他の作品用だ」などと指示を出しながら、2つの映画用に撮影することになった。『父親たちの星条旗』の撮影を終えて、すぐ取りかかったんだ。脚本も完成し、楽しんで制作できたよ。私は日本語が喋れないが、日本人俳優との撮影は楽しかった。ベテランもいたが新人の役者が多かったよ。この作品で2度目のLA映画批評家協会賞をもらったし(笑)。

トゥーラン:次のプロジェクト(『15時17分、パリ行き』2018年)はフランスの列車テロ事件が題材だそうですね。

イーストウッド:前から考えていた企画でね、現代社会で起きた大きな出来事だと思う。あの事件を基にした映画を考えているんだ。

トゥーラン:フランスでは昔からあなたの作品が高く評価されていますが、なぜだと思いますか?

イーストウッド:クレイジーだね(笑)。ああ、フランスもフランス人も大好きだよ。いつ来ても楽しく過ごしているし、次回作の制作も楽しみだ。

トゥーラン:カンヌ映画祭での受賞経験はないですが、気にしてないようですね。悔しくないですか?

イーストウッド:カンヌは審査員も経験した。だから受賞しない理由もわかる。6~8人の審査員が集うが好みや価値観はそれぞれで、そこを考慮する必要がある。全員の意見が一致することなどありえない。審査員メンバーで毎日一緒に何本もの映画を観るんだ。何本だったかな……大変なことだよ。ところがイタリア映画のひとつは、出だしが長編の楽曲演奏だった。ずっと続く音楽を聞きながら思ったよ、12分も音楽を聞かせるとは大胆な監督だな、と(笑)。ヒットしたキース・ジャレットのアルバム曲で、大いに気に入った審査員もいた。しかし、様々な映画の中からひとつを選ばなくてはならないし、私とは違う映画に投票する審査員もいる。だから受賞できないのも仕方ない。受賞を期待してカンヌに出品した作品もあったが、参加を楽しめればいい。なんだってそうだ。

トゥーラン:いい哲学ですね。

イーストウッド:自分の未来を真面目に考えすぎるのは危険なことだよ。

イーストウッド、役者になったきっかけは中学の課題?生い立ちから監督哲学まで語る!(1/3)

辞めるのは“好きじゃなくなった”とき?イーストウッドが生い立ちから監督哲学まで語る!(3/3)

【BANGER!!!×MoviePlus】第72回カンヌ映画祭特集

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『クリント・イーストウッドのマスタークラス in カンヌ映画祭』

第70回カンヌ映画祭のマスタークラス(特別講義)に、巨匠イーストウッド登場!多くのファンたちを前に、自身の作品や映画人生について語る。

制作年: 2017
出演: