イーストウッド、役者になったきっかけは中学の課題?生い立ちから監督哲学まで語る!(1/3)

  • Facebook
  • Twitter
  • LINE
ライター:BANGER!!! 編集部
イーストウッド、役者になったきっかけは中学の課題?生い立ちから監督哲学まで語る!(1/3)
『クリント・イーストウッドのマスタークラス in カンヌ映画祭』© TV FESTIVAL 2017/AFFIF
クリント・イーストウッド監督/主演最新作『運び屋』が2019年3月8日(金)に公開! ということで、2019年1月にCS映画専門チャンネル ムービープラスで放送されるイーストウッド御大が登壇した第70回カンヌ映画祭のマスタークラス(特別講義)を3回に分けて振り返っておきましょう。自身の作品や映画人生について語る御大、その貴重な言葉の数々を引き出す聞き手はロサンゼルス・タイムズ紙のケネス・トゥーラン氏です!

西部劇ファンの少年からマカロニ・ウエスタンのヒーローになるまで

『クリント・イーストウッドのマスタークラス in カンヌ映画祭』© TV FESTIVAL 2017/AFFIF

多くの映画ファンが詰めかけたという、このマスタークラス。イーストウッド御大が登場するやスタンディングオベーションが鳴り止まず、貴重な講義への期待感が伝わってくる。このクラスの前日には御大の代表作のひとつ、リアルなウエスタン映画を追求した『許されざる者』(1992年)が上映されたそうで、まずはその辺りの話から……。

セルジオ・レオーネとドン・シーゲルから学んだこと

イーストウッド:最初の5分だけ観るつもりが意外とおもしろくて、最後まで観てしまったよ(笑)。25年ぶりに観たからね。そんなに昔だったとは思わなかった。せいぜい6年か8年かと。時が経つのは早いね。忘れていた部分もあったから楽しんで観ることができたよ。

トゥーラン:この作品の脚本と出会った経緯は?

イーストウッド:脚本家デヴィッド・ピープルズ(『ブレードランナー』ほか)のサンプル作品として1980年に手に入れた。脚本家を探していたときに、いい人材だと紹介されたんだ。私も気に入ったんだが別の脚本家に決まったので、ピープルズにはいつか別の仕事を頼もうということになった。そのサンプル脚本はワーナーが私の代わりに権利を買い取ってくれたので、私の最後の西部劇にちょうどいいと思って引出しにしまい込んでいたんだ。物語の本質と主人公の過去が最後にふさわしいと感じたね。そして、そのまま10年も経ってしまった(笑)。ある朝、脚本の存在を思い出して読み直したら、さらに気に入った。当時ジーン・ハックマンは暴力的な役は断っていたので、この作品のテーマは非暴力だと説得したよ。暴力に囲まれることで生まれる人の感情を描いているんだ。

トゥーラン:あなたの作品に共通して言えるのは白馬の王子のようなヒーローではなく、一味違う主人公が多いですね。配役の経緯について聞かせてください。あなたを訪ねる若者を演じたのはハリウッドで無名の役者(ジェームズ・ウールヴェット)でした。

イーストウッド:カナダ出身の若手俳優で、誰かが彼の映像を送ってくれて、それを見て気に入ったんだ。顔つきがよかったし、立ち振る舞いもよかったから採用した。モーガン・フリーマンは私の昔の作品『アウトロー』(1976年)のファンで、自分にできる役があればぜひ候補にしてくれと言われていた。出演をオファーしたら喜んで受けて引き受けてくれたよ。リチャード・ハリスは、バハマ旅行中に電話したら「地下室で映画を観てるところだ」と断られた。イタズラ電話だと勘違いされてしまったんだ(笑)。改めて説明したら、脚本を読む前に二つ返事で出演をOKしてくれたよ。

トゥーラン:セルジオ・レオーネとドン・シーゲルに作品を捧げましたね。師匠である2人の監督からはどんなことを学びましたか?

イーストウッド:何本も一緒に映画を撮ったからね。シリーズになった作品のほか、60年代に入っても一緒だった。セルジオ監督は不思議な人だったよ。映画のとらえ方が人とは違っていて多くを学んだ。ドン・シーゲルは非常に有能で効率的で、誰よりも撮影が早かった。早くて雑ということはなく、頭の回転がずば抜けて速かったんだ。2人の師匠と出会えて幸運だったよ。

トゥーラン:ドン・シーゲルの言葉をひとつ紹介させてください。「分析は停滞につながる」。

イーストウッド:そうだ、確かに分析しすぎると停滞する(笑)。あれこれ考えるよりも「とにかくやってみろ」と言っていたよ。監督が自信を失うとクルー全体の士気が下がってしまい、全員が立ち止まる。ドンは効率的に作業を進めたので皆の士気も常に高かった。怒りっぽかったけどね。プロデューサーについて、いつも文句を言っていた。「何もやってない」と。「監督や役者を雇ってくれる大事な存在だ」と伝えたよ、金の出入りも管理してくれるし(笑)。そんな風に、常にブッ飛んでいるタイプではあったね。

トゥーラン:西部劇は子どもの頃から好きでしたか?

イーストウッド:もちろん大好きだったよ。1930~40年代に育ったからね。子どもは皆、銃を片手に馬に乗りたがったものさ。多分にもれず、私も西部劇が大好きだった。当時はまだテレビがなかったから、今より映画の影響が大きかったんだ。

トゥーラン:お気に入りの西部劇スターは?

イーストウッド:全部好きだったね、西部劇ならなんだってよかったのさ(笑)。ゲイリー・クーパー、ジェームズ・スチュワート、ジョン・ウェイン……ロッド・キャメロンも好きだった。

トゥーラン:B級ウエスタンですね

イーストウッド:B級作品はすごく面白かったよ。

トゥーラン:今も昔も人を惹きつける、西部劇の魅力はなんでしょうか?

イーストウッド:現実逃避じゃないかな、別の時代の別の世界にひたれるから。法律がまだない時代は、個人の裁量ですべてが決まったんだ。現代社会では不可能だか憧れるんだろうね。

役者になったきっかけは中学の課題!?

『クリント・イーストウッドのマスタークラス in カンヌ映画祭』© TV FESTIVAL 2017/AFFIF

トゥーラン:大恐慌時代、ご両親は苦労なさったそうですね。当時を経験したことが人生の価値観に影響しましたか?

イーストウッド:そう、私は世界恐慌の初めに生まれた。とはいえ5~6歳の頃のことは何もわからない。両親が食うにも困っていることに気づいていなかったんだ、自分たちが飢えても妹と私には食べさせてくれたからね。社会の状況を理解できる年齢になって初めて、両親がいかに苦労したかを理解して、感謝の気持ちでいっぱいになったよ。子ども時代は転々と引っ越しをしていて、半年ごとに移動することもあった。以前の町に戻ると何もなかったりしたよ、ガソリンスタンドくらいだった。この間の不景気なんて当時と比べたら大したことじゃない。

トゥーラン:当時の経験があなたの人格を形成しましたか?

イーストウッド:自分のとる行動について意識するようになったと思うよ。本当に買っていいか考えるから、クレジットカードで散財はしない。なんでも買える今が不思議だよ、あの時代は深刻に悩んだものだ。

トゥーラン:大変な時代でしたね。役者になったきっかけは?

イーストウッド:中学校の課題で劇をやったんだ、英語の先生がその劇の担当でね。劇の主人公は、頭の回転が遅くてバカな少年だったんだが、その役にぴったりだと選ばれた(笑)。それで劇の練習をしたけど下手くそでね、本番当日は役者仲間と学校をサボろうとした。クラスの前で恥をかくのが死ぬほど怖かったんだ。でも、勇気を振り絞って舞台に立ったら評判がよかった。「下手なのが面白い」と。もともとコメディだったが、それ以上にウケたよ(笑)。終わった後にいろんな人から「よかったぞ」と声をかけられたんだが、そのときは「もう二度とやらない」と答えた。

次に演技したのは50年代初め、ロサンゼルス・シティ大学在学中だ。友達に誘われて夜間の演技クラスに通い始めたんだ。女の子もたくさんいたから受けてみることにした(笑)。動機は不純だったが、続けるうちに即興で演技もできるようになった。初仕事をもらったのはアーヴィング・グラスバーグだ。初めて会ったときスポーツの話題で盛り上がった。私は水泳が好きで何年か軍で教えていたからね。撮影が終わるころ「現場に来れば余ったフィルムで撮る」と言われた。それで夕方に行って1時間ほど待った後、カメラの前でいろいろ質問された。このインタビューみたいに(笑)。緊張でガチガチだったが若かったからね、映りもよく気に入ってもらえて週給75ドルの仕事をもらった。当時にしてはいい収入だ。それからユニバーサルと契約を結んだんだが、1年半ほどでクビになってしまった。プログラム全体にコストがかかりすぎて縮小されたんだ、大した作品も作っていなかったし。なので50年代は小さな役で食いつないでいた。テレビの生番組やテレビ映画、たまに映画の端役ももらったよ。そして50年代の終わり……1959年だったかな、CBSの(テレビ映画)『ローハイド』(1959~1965年)のオーディションに受かったんだ。ようやく役者として生計を立てられた、夢のようだったよ。それが6年ほど続いて、その時は私にもエージェントがついていた。その前はいなかったんだ、別にそれでよかったけどね。

それで、あるときイタリアで西部劇を撮影するという話がきた。日本映画のリメイクということだったが、私は「やる気がない」と断ったよ。西部劇はやっていたから、休みくらいは釣りに行きたかった(笑)。ところが台本だけは読むことになったんだ、会社の偉い人に「読んでくれ」と言われてね。どうせくだらない話だろうと読み始めたら「これ『用心棒』じゃないか?」と気づいたんだ。黒澤明の『用心棒』(1961年)は大好きで、これは西部劇になると思っていたんだ。あまりにもワイルドだから誰もやらないだろうけどね。それで引き受けて、初めてイタリアとスペインに行った。予算20万ドルの小さな作品だったが、いいものになったよ。

その後、2作品に出演するうちにセルジオの資金も増えていった。ファンタジー・ウエスタンは幼い頃に観た西部劇とは少し違うが、スタイリッシュでセルジオの才能が光っていたね。視点の違うヨーロッパの監督と仕事ができてよかったよ。そしてアメリカに戻り、ドンの映画に出た。

トゥーラン:イタリア映画のヒットは驚きでしたか?

イーストウッド:まさか、あんな展開になるとは思ってなかったよ。これは昔話になるのでつまらなかったら聞かなくてもいいが(笑)、『用心棒』のあのリメイク(『荒野の用心棒』1964年)がヒットするなんて予想してなかったんだ。『Il Magnifico Straniero(原題)』というタイトルも知らなかったし。<Variety>誌で『Magnificoなんちゃら』の公開情報を見ても、イタリアで西部劇を撮ったなと思い出す程度で、マカロニ・ウエスタンが騒がれても自分の出演作だとは思わなかったんだ(笑)。後になって「クリント・イーストウッド主演」と出て、初めて自分の名前を映画で見た。まさかと思ったが、そこからすべてが始まったんだ。

「フランスで作品が高く評価されているのはクレイジーだね(笑)」イーストウッドが生い立ちから監督哲学まで語る!(2/3)

【BANGER!!!×MoviePlus】第72回カンヌ映画祭特集

Share On
  • Facebook
  • Twitter
  • LINE

『クリント・イーストウッドのマスタークラス in カンヌ映画祭』

第70回カンヌ映画祭のマスタークラス(特別講義)に、巨匠イーストウッド登場!多くのファンたちを前に、自身の作品や映画人生について語る。

制作年: 2017
出演:
  • BANGER!!!
  • 映画
  • イーストウッド、役者になったきっかけは中学の課題?生い立ちから監督哲学まで語る!(1/3)