• BANGER!!! トップ
  • >
  • 映画
  • >
  • 実生活の「殺人疑惑」を犯罪映画の宣伝に アラン・ドロン主演『太陽が知っている』は炎上商法の元祖だった?

実生活の「殺人疑惑」を犯罪映画の宣伝に アラン・ドロン主演『太陽が知っている』は炎上商法の元祖だった?

  • Twitter
  • LINE
  • Facebook
ライター:#谷川建司
実生活の「殺人疑惑」を犯罪映画の宣伝に アラン・ドロン主演『太陽が知っている』は炎上商法の元祖だった?
『太陽が知っている』©1969 SNC(Groupe M6)
1 2

『太陽が知っている』の殺人者役で話題騒然!(ネタバレ注意)

事件が起きた前後、ドロンは南仏サントロペで新作『太陽が知っている』(1969年)を撮影中で、現地で尋問を受けた後、パリへ戻ってからも1月、3月と尋問が続けられた。ドロンとナタリーはこうした試練の中、1969年2月に離婚に至るが、映画『太陽が知っている』は空前の大ヒットを記録した。

売れない作家のジャン=ポール(ドロン)が恋人マリアンヌと共にバカンスを過ごしていた別荘に、二人の旧友ハリーが娘ペネロープを連れて遊びに来る。音楽業界で成功しているハリーは4年前までマリアンヌと恋人同士で、ふたたび彼女にモーションをかけたことで嫉妬に駆られたジャン=ポールは、ペネロープを誘惑してものにする。

深夜に酔って帰宅したハリーはジャン=ポールを殴ろうとして誤ってプールに落ちるが、彼は助けるどころかハリーをプールに沈めて殺害。この“事故”に殺人の匂いを嗅ぎつけた刑事に付きまとわれるも素知らぬ顔で切り抜けるジャン=ポールだったが、マリアンヌとの関係は永遠に変わってしまい、刑事は彼が犯人だと確信するも決定的な証拠はなく……。

言うまでもなく、実生活で元友人への殺人の指示役を疑われ再三の取り調べを受けていたドロンが、ここでは友人を殺した実行犯でありながら、しらを切り通して完全犯罪を成功させる(刑事の執念で将来バレる可能性はある)役を演じたのだ。しかも、マリアンヌ役のロミー・シュナイダーは(のちの妻ナタリーとの交際によって)ドロンに一方的に婚約を解消された実生活の元婚約者であり、ハリー役のモーリス・ロネは『太陽がいっぱい』(1960年)でドロン演じる主人公に殺された金持ちの友人役を演じた俳優、という絶妙のキャスティング。これで大ヒットしないわけがない! ちなみにペネロープ役は当時まだ22歳のジェーン・バーキンが演じていた。

炎上商法スレスレ!?『太陽が知っている』日本での衝撃宣伝手法

1962年公開の『素晴らしき恋人たち』、『太陽はひとりぼっち』から、『地下室のメロディー』(1963年)、『黒いチューリップ』(1963年)、『太陽がいっぱい』(リバイバル公開=1965年)、『サムライ』、『世にも怪奇な物語』(1967年)、『さらば友よ』(1968年)とドロン主演作を放ってきた日本ヘラルド映画では、『LA PISCINE(プール)』という原題のこの作品に、『太陽が知っている』という邦題をつけた。

――『太陽がいっぱい』を想起させるタイトルである上に、前作では完全犯罪が崩れてラストに逮捕されることを示唆して終わったのに対し、本作では一応完全犯罪が成立して終わることからも、何とも意味深なタイトルだ。

さらに、宣伝キャッチコピーは、「全世界に沸騰する話題の中で――不死鳥の如く甦った問題の男ドロン!」とした。……つまり、“問題の男”が本当に人を殺したのかどうかはおてんとうさまが知っている、と突き放した立ち位置で、いわば炎上を煽って興行成績に結びつけようとする戦略だった。

今だと、いくら映画の宣伝とはいえ、コンプライアンス的に問題のあるキャッチコピーだと言わざるを得ないが、同作品の劇場パンフレットの中でもマルコヴィッチ事件についてことさら詳しく触れているなど、当時は確信犯的なこうした宣伝がなされていたのだ。

『太陽が知っている』キネマ旬報の広告/パンフレット(筆者私物)

ドロンとジャン・ギャバン、最後の共演作『暗黒街のふたり』

『太陽が知っている』は、1憶3700万円を上げた『さらば友よ』に次ぐ、1憶1300万円の配収を記録したが、その後しばらくドロン主演作は、ヘラルドのライバルだった東宝東和が配給し、是が非でも欲しかった『レッド・サン』(1971年)も東和に持っていかれた。ちなみに、同作のテレンス・ヤング監督はその代わりに、次の2作品、『バラキ』(1972年)と『アマゾネス』(1973年)をヘラルドに預けてくれた。その間に、ナタリー・ドロンは『個人教授』(1968年)で女優として本格的に活動を始め、ドロンの元妻として人気女優の座を掴んだが、彼女の主演作も日本では東和配給だった。

個人教授 HDマスター版 [DVD]

「個人教授 HDマスター版」© Francis Cosne Productions / Films Sans Frontieres

 

ヘラルドが久しぶりにドロン主演作を扱うことになったのが『暗黒街のふたり』(1973年)。『地下室のメロディー』、『シシリアン』(1969年)に続き、そして結果的にはそれが最後となったジャン・ギャバンとの競演作であり、監督は犯罪映画の鬼才ジョゼ・ジョヴァンニとあって期待も大きく、プリントが届く前からヘラルドでは先にタイトルを『暗黒街のふたり』と決めて前宣伝に余念がなかった。

……だが、プリントが届いて社内試写した時に、当時の宣伝部の誰もが頭を抱えてしまったという。なぜなら、『暗黒街のふたり』は犯罪映画ではなく、銀行強盗の首謀者として逮捕され、10年間の刑に服した男(ドロン)が保護司のジェルマン(ギャバン)の助けで真人間として更生しようとする、という物語だったから。

したたかなりドロン!「殺人疑惑」を逆手に取った告発映画

結果的にタイトルは『暗黒街のふたり』で押し切ったヘラルドだが、本格的犯罪アクションを期待して映画館へ行った観客は肩透かしを食らったことは間違いない。だが、本作でプロデューサーも兼ねていたドロンの腹は別のところにあったようだ。

真面目に働いて幸せを掴もうともがくジーノ(ドロン)に対し、刑事が“前科者は絶対にまた何か事件を起こすはずだ”と頑なに信じて執拗に付きまとい、罠にはめてでも逮捕しようとする。それに耐えきれなくなったジーノが、はずみで刑事を殺してしまい、ジェルマンや弁護士らの努力の甲斐もなく(当時のフランスにはまだあった)ギロチンで処刑されるというもの。

『暗黒街のふたり』パンフレット(筆者私物)

――これは、1973年になってもまだ、マルコヴィッチ事件の重要参考人としてパリの高等法院に召喚されていたドロンによる、役を通じての告発だろう。いまだ執拗に疑いを持ち続け、メディアに対して悪い印象を植え付けようとする警察に対して、実生活の代わりに映画の中で疑似的に刑事に死の制裁を与える物語として、製作・主演したものだったのだ。

ピンチを逆にチャンスと捉えて、実生活と映画とをリンクさせて話題をさらっていく、彼のプロデューサーとしての実力のたまものだったと改めて思う。

文:谷川建司

『太陽が知っている[4Kリマスター版]』はCS映画専門チャンネル ムービープラスで2024年10月放送

1 2
Share On
  • Twitter
  • LINE
  • Facebook