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実生活の「殺人疑惑」を犯罪映画の宣伝に アラン・ドロン主演『太陽が知っている』は炎上商法の元祖だった?

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ライター:#谷川建司
実生活の「殺人疑惑」を犯罪映画の宣伝に アラン・ドロン主演『太陽が知っている』は炎上商法の元祖だった?
『太陽が知っている』©1969 SNC(Groupe M6)
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「日本の皆さまへの想いを込めて ― アラン・ドロン」

2014年、著書「日本ヘラルド映画の仕事 伝説の宣伝術と宣材デザイン」のためにヘラルドゆかりの数多くの映画人たちからコメントを頂いていた中、アラン・ドロン人気と共に会社として成長していったヘラルドにとって、彼からのコメントは必須と考え、久しぶりにドロンの日本での代理人と連絡を取った。

日本ヘラルド映画の仕事-伝説の宣伝術と宣材デザイン-

「日本ヘラルド映画の仕事-伝説の宣伝術と宣材デザイン」谷川建司 (著)

代理人からは、ドロンが誰もが自分の名声を利用して金儲けしようとして接近してくることで人間不信に陥り、信じられるのは自分の愛犬だけだ、と仏ロワレ県ドゥシーモンコルボンの屋敷に引き籠っている、と聞かされた。しかし、年に何回かその自宅を訪れるという代理人にダメもとで『サムライ』(1967年)での彼のポートレートを預け、「貴方と、ヘラルド配給によるドロン作品を愛した日本の映画ファン向けにコメントを書いてほしい」とお願いした。

……後日、「日本ヘラルド映画社が、日本で配給した『地下室のメロディー』と12本の映画を何度も観て下さった、日本人男性・女性の皆さまへの想いを込めて。アラン・ドロン」――そう自筆で記されたポートレートを受け取ったのが、今となっては形見となった。

アラン・ドロンからの直筆コメント(筆者私物)

「マルコヴィッチ事件」で渦中の人となったドロンの黒歴史

1960年日本公開のルネ・クレマン監督作品『太陽がいっぱい』で人気が沸騰したドロン。この作品では金持ちの友人を殺し、その友人に成りすまして富を奪い、言葉巧みに彼の恋人までも奪おうとする貧しい青年を演じた。その後はルキノ・ヴィスコンティら巨匠の作品で不動の地位を築き、1967年のジャン=ピエール・メルヴィル監督の『サムライ』以降、孤独な魂の犯罪者を繰り返し演じるようになり、俳優として人気・実力ともに黄金期を迎えた。

そんな最中の1968年10月、ドロンは俳優生命をおびやかす一大スキャンダル、「マルコヴィッチ事件」の渦中の人となった。――ドロンのボディガード兼スタンド・インを務めていたステファン・マルコヴィッチという男が、ヴェルサイユ近くのゴミ捨て場で射殺死体となって発見されたのだ。

当時のドロンは写真家のナタリー・バルテミーと結婚していたが、マルコヴィッチはナタリーと関係を持ち、バイセクシャルが噂されていたドロンとも関係があったと言われている。その年の1月にドロンからクビにされ恨んでいたことに加え、「自分の身に何かが起きたらアラン・ドロンと妻ナタリー、そして彼らの手下のマルカントーニに聞くといい」との手紙を兄宛に残していた。

クビにされた時に、マルコヴィッチはドロンにゆすりを仕掛けようとしたものの、ドロンと親しいギャングのマルカントーニに阻止されていたというが、警察は実行犯としてマルカントーニを逮捕(後に証拠不十分で保釈)すると共に、ドロンとナタリーも殺人事件の重要参考人とされ、ジャーナリズムはこのスキャンダルを連日書き立てた。

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