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『火口のふたり』で強く印象に残るのは、瀧内公美が演じる直子の、言葉だけでは捉えきれない欲望と切実さだ。結婚を控えた直子は、故郷の秋田に戻ってきた昔の恋人・賢治と再会する。婚約者が戻るまでの五日間、二人はかつての身体の記憶をたどるように、互いを求め合っていく。その時間を大胆な性愛描写と何気ない会話によって描き出す。
直子は、ただ賢治に流される女性ではない。過去の二人を写したアルバムを見せ、部屋を出ようとする彼を引き留める。その視線や仕草には、もう一度あの頃に戻りたいという意思がにじむ。瀧内は、直子の欲望をはっきりと感じさせながら、その行動の奥にある感情を一つに決めつけない。誘う強さと繊細さが同居するからこそ、二人の関係は単純な結婚前の過ちには収まらない。
繰り返される性愛の場面も、刺激だけを切り取ったものではない。二人が何を取り戻そうとしているのか、その戸惑いと切実さを身体を通して伝える場面になっている。かつて知っていた相手のぬくもりや快感は、思い出として片づけられない。再び触れ合うことで、その記憶が現在の感覚としてよみがえる。瀧内の身体表現と細やかな芝居が、直子にとってこの時間が持つ重みを伝えてくる。
描写は際どく、生々しい。それでも、映画全体が重苦しい情念に覆われるわけではない。食べ、語り、また身体を重ねる二人の時間には、可笑しさもある。恋愛観の違いや気持ちの温度差が会話に顔を出し、そのやり取りには笑いが生まれる。欲望を特別な出来事として飾り立てず、日常の営みと地続きに描くことで、二人の姿に人間らしい手触りが宿る。
そして、この限られた時間には、災害の記憶と未来への不安が静かに入り込んでいる。震災後に書かれた原作を背景に、再び訪れるかもしれない天災の気配が、二人の営みに別の意味を与える。先の見通せない世界で、いま触れられる相手の身体を確かめる。その行為に、快楽と生きている実感が重なる。瀧内がさらす身体と表情には、欲望だけでなく、失われるかもしれない時間への切実さが刻まれている。
©2019「火口のふたり」製作委員会