実在しない監督「アラン・スミシー」誕生はペキンパーが原因!? アメリカン・ニューシネマ“直前期”のウェスタン

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ライター:谷川建司
実在しない監督「アラン・スミシー」誕生はペキンパーが原因!? アメリカン・ニューシネマ“直前期”のウェスタン
『ダンディー少佐』『ウェスタン』パンフレット:筆者私物

世に「アメリカン・ニューシネマ」と呼ばれる一連の作品が登場してから半世紀経ったが、一連の作品を同時代の映画として観てきた立場からすると、アメリカン・ニューシネマは実はウェスタンから派生したジャンルだった気がする。『明日に向って撃て!』(1969年)はもちろんウェスタン(西部劇)だが、『イージー★ライダー』(1969年)、『真夜中のカーボーイ』(1969年)も実はウェスタンの亜種なのだから。――つまり、『イージー★ライダー』のワイアットとビリーは馬ではなく改造バイクに乗っているというだけの違いだし、『真夜中のカーボーイ』のジョーは大都会ニューヨークで迷子になったカウボーイだった。

一般に、ヴェトナム反戦を訴え、既存の枠組みや世の中のルールに異を唱えながらも、結局は何も変えることなどできない無力感を反映することで、若い世代の観客に圧倒的に支持され、守旧派の牛耳る映画業界に新風を吹き込んでいった――。それが、この時期に台頭してきた映画人たちだったというのが大方の見方だと思うのだが、ウェスタンというジャンルに限っては、そうとばかりも言えない。

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ウェスタンに新機軸を打ち建てたのは“ニューシネマ”以前の映画作家たち

確かに、『真夜中のカーボーイ』のジョン・シュレシンジャー監督はイギリスからやってきた元ドキュメンタリー映画作家だし、『イージー★ライダー』のデニス・ホッパー監督は俳優兼フォトグラファー、『俺たちに明日はない』(1968年)のアーサー・ペンはテレビ畑出身、と昔ながらの叩き上げ監督とは違うルートで監督になったことから一括りに語られがちだった。

『イージー★ライダー』©1969 COLUMBIA PICTURES INDUSTRIES, INC. ALL RIGHTS RESERVED.

しかし、ことウェスタンというジャンルにおいては、彼ら“アメリカン・ニューシネマ”の監督たちが脚光を浴びるよりもちょっと早く、連続テレビ西部劇シリーズなどの昔ながらの西部劇の枠組みや、ヨーロッパで“スパゲッティ・ウェスタン”と呼ばれる新たな西部劇ジャンルで実力を付けてきた監督たちが、新機軸のウェスタンの秀作を世に送り出し始めていて、それが一見古臭い西部劇という枠組みを一躍活気あるジャンルへと押し上げ、新しい時代の映画作家たちにとっての呼び水となった。

そうした、“アメリカン・ニューシネマ”直前期の新機軸ウェスタンを生み出した監督たちこそが、サム・ペキンパーであり、ロバート・トッテンドン・シーゲルであり、ロバート・シオドマクであり、セルジオ・レオーネだったと思うのだ。

彼らが新しく、かつ抜群に面白いウェスタンの新機軸を世に送り出していた1960年代の後半――具体的には1965年から1969年くらいの短い期間なのだが――というのは、ジョン・ウェインやジェームズ・スチュアートといった西部劇に一時代を築いた大スターたちもまだバリバリの現役として新作に出ていた頃だから、なおのこと新潮流の出現はスリリングなことだったはずなのだ。

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『ダンディー少佐』から『ワイルドバンチ』に至るサム・ペキンパー監督の真骨頂!

サム・ペキンパーといえば“バイオレンスの巨匠”として知られるが、元々はテレビ西部劇『ガン・スモーク』(1955~1975年)や『ライフルマン』(1958年)から出発し、老境に差し掛かった二人のガンマンの対立と友情をランドルフ・スコットとジョエル・マクリー競演で描いた『昼下りの決斗』(1962年)という正統派西部劇で出てきた人。その彼が大スター、チャールトン・ヘストンからの指名で任された大作が『ダンディー少佐』(1967年)で、南北戦争末期の西部で北軍のダンディー少佐率いるアパッチ追討隊に南軍捕虜タイリーン大尉らが加わり、メキシコへ逃げたアパッチを追跡しつつ、当時自由メキシコ軍と戦っていたフランス軍と戦う、というスケールの大きな映画だった。

『ダンディー少佐』パンフレット:筆者私物

冒頭、アパッチの襲撃を受けて全滅させられた北軍の砦の惨状を映し出すところから一種異様なムードで始まるのだが、一番のミソは、ヘストン演じる主人公ダンディー少佐自体がヒーローとは程遠い欠陥人間で、部下の命を危険に晒し、軍法会議ものの独断で国境を越え、なおかつ自分の判断が常に正しいと信じている厄介な人物である点。北南混成の追討隊は当然ながらそもそも反目しあっているのだが、やがてダンディーは北軍の部下たちからも、南軍の捕虜たちからも信頼を失い、孤立していく。

自らの撮りたい画にこだわって予算も撮影スケジュールも大幅に超過した結果、主な撮影が完了して3時間近いラフカット版(4時間説もある)を仕上げたところでペキンパーはプロデューサーから外されてしまい、一時間近く無断でカットされた123分版が公開されてしまったのだが、それでもなお西部劇のヒーロー神話を解体しようとしたペキンパーの視点は色濃く残っている。2005年になっていくつかのシーンを復元した136分のレストア版が作られてはいるが、もしもディレクターズ・カット版を復元可能であったならば西部劇史が大きく変わっていたかも、という気がする。

その後、ペキンパーはトラブルメーカーとして干され、テレビの仕事で糊口をしのぎ、1969年になって『ワイルドバンチ』で復活を遂げ、“バイオレンスの巨匠”として活躍するのはご承知の通り。

『ワイルドバンチ』パンフレット:筆者私物

アラン・スミシー監督を生み出した大問題作『ガンファイターの最後』

『ダンディー少佐』が意に添わぬ形で公開されることになったとき、ペキンパーは監督としてのクレジットを外してほしいと願ったそうだが、結局は彼の名の下で公開された。だが、2年後に起こった監督の降板劇をめぐる同様のいざこざの結果、アメリカ映画監督協会はそうしたケースで使用する架空の監督名“アラン・スミシー”を創り上げた。アメリカ映画監督協会公認の映画監督事典にはちゃんとアラン・スミシー監督のフィルモグラフィも載っているが、『ハリー奪還』(1986年/実際はスチュアート・ローゼンバーグ監督)、『ハートに火をつけて』(1991年/実際はデニス・ホッパー監督)など様々な作品歴を誇る(?)スミシー監督の記念すべき第一作こそが『ガンファイターの最後』(1969年)だった。ちなみに、アラン・スミシー監督の生年・出身地は「1968年、カリフォルニア州ロサンゼルス生まれ」である。

『ガンファイターの最後』は、長年力づくで悪党どもを退治してきた昔気質の保安官リチャード・ウィドマークが、街の近代化を目指す市民たちから次第に孤立し、最後には無法者と何ら変わらないと判断され、大勢の街の人々から何発もの銃弾を浴びて無残に死んでいく……という物語で、やはり昔ながらのヒーロー神話を解体した意欲作だ。

監督は、テレビ西部劇『バージニアン』(1962年)、『ボナンザ』(1959~1973年)の演出から抜擢されたロバート・トッテンが途中まで務めたが、ウィドマークと対立したためにドン・シーゲルに交代。だが、公開の段になってどちらも自身の名をクレジットさせることを拒否したために、前述のアラン・スミシーという架空の監督が創造されることになった。もっとも、公開された時にはその経緯は秘されていたため、「ニューヨーク・タイムズ」の映画評ではスミシー監督を実在の監督と勘違いして、その演出を褒めたという。

主役のウィドマークは俳優になる前は大学講師をしていた変わり種で、車いすの老婆をニタニタ笑いながら階段から突き落として殺す卑劣なギャング役でデビューし、画面をかっさらう悪役からあっという間に主演スターに上り詰めた人。そのウィドマークの数ある代表作の中でも、本作と『刑事マディガン』(1967年)は傑作で、ドン・シーゲルがピンチヒッターとして迎えられたのは『刑事マディガン』でウィドマークと組んでいたから。その後、シーゲルがクリント・イーストウッドとの一連のコンビ作で一世を風靡することになるのは言うまでもない。

カスター将軍は英雄か? 多くの部下を死なせた時代錯誤の能無しか?

南北戦争時にゲティスバーグの戦いで名を馳せ、後に第七騎兵隊を率いてのインディアン各部族連合とのリトル・ビッグホーンの戦いで全滅したカスター将軍の物語は、古くはエロール・フリン主演の『壮烈第七騎兵隊』(1941年)など、西部劇で頻繁に描かれてきた。

フリンのヴァージョンでは、同僚が鉄道会社とグルになって自らの権益の為に彼を罠にはめ、そのためにインディアンたちとの不利な戦いに挑まねばならなくなった悲劇的な人物としてカスターを描き、またカスターを支え続け、その死後に同僚の陰謀を明るみにして夫の名誉を回復させた妻オリヴィア・デ・ハヴィランドとの夫婦愛を描いた正統派伝記映画だった。――だが、本当のカスターは英雄というより単に時代に取り残された人物だったのではないか? というのが、脚本家フィリップ・ヨーダンと監督ロバート・シオドマクのアプローチだった。

赤狩り時代にブラックリスティに名義貸しをするなど反骨の姿勢で生き抜いたヨーダンと、ナチを逃れてアメリカへ亡命したものの赤狩り時代にパリへと拠点を移したドイツ人監督シオドマクが描いた『カスター将軍』(1967年)は、インディアンたちが白人の街で女子供まで殺したことを受け、仕返しにインディアンの集落を襲撃して女子供まで情け容赦なく皆殺しにしたという設定で、カスターは“戦争ごっこ”に明け暮れて第七騎兵隊の部下たち全員を道連れに自滅した時代錯誤的人物となった。

『カスター将軍』パンフレット:筆者私物

シネラマの超大画面で展開された圧倒的なスケール感とともに、騎兵隊側も、インディアン側も女子供までをも皆殺しにするという凄惨さは、それ以前の西部劇の常識では考えられないものだったが、イギリスのトップスターだったロバート・ショーをタイトル・ロールに抜擢したことも含めて、西部劇神話の解体という点では『ダンディー少佐』と軌を一にしていた。

セルジオ・レオーネのアイディアに惚れ込んだヘンリー・フォンダの大きな決断

この時期のウェスタンに新機軸を打ち建てたもう一つのルートが、1964年の『荒野の用心棒』の大ヒット以来大量に製作されたイタリア製西部劇、通称“スパゲッティ・ウェスタン”(日本ではなぜかスパゲッティがマカロニになっていたが)で、その分野の最大の功労者だったセルジオ・レオーネ(イタリア時代にはボブ・ロバートソンというアメリカ風の名前を用いていた)が、メインの撮影地であるスペインだけでなく、堂々とアメリカに乗り込んでテキサス、アリゾナ、ユタなどでもロケして、アメリカの一流の俳優たちを起用して作ったのが『ウエスタン』(1968年)だった。

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その意味では、『ウエスタン』は堂々たる正統派西部劇と位置付けられそうな気もするが、英題が『ONCE UPON A TIME IN THE WEST』(“むかしむかし、西部で”という意味)であることから判るように、レオーネにとってはその後の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(1984年)がアメリカのギャングスター映画の脱構築だったのと対になる形で、西部劇を脱構築した作品だと捉えるべきだろう。

『ウエスタン』© 1968 2015 Paramount Pictures.

その最大のポイントは、名優ヘンリー・フォンダをこれ以上ないくらいに極悪非道の悪役に配したこと。――フォンダといえば、『荒野の決闘』(1946年)のワイアット・アープ、『若き日のリンカン』(1939年)や『ミスタア・ロバーツ』(1955年)のタイトル・ロール、『怒りの葡萄』(1940年)のトム・ジョード、『十二人の怒れる男』(1957年)の陪審員第8番といった役柄でアメリカの良心や正義といった価値観を体現する役柄を演じ続けてきた俳優で、アメリカという国を信じるに足る存在たらしめてきた功労者だ。

『ウエスタン』© 1968 2015 Paramount Pictures.

そのヘンリー・フォンダが、開拓者一家を皆殺しにし、一人生き残っていた6歳の少年までも「俺の名前を聞かれた」という理由で情け容赦なく撃ち殺す役を演じるというのは、当時のアメリカの観客には絶対に許容できないことだったはずだが、フォンダ自身はむしろそのアイディアを気に入り、旧友イーライ・ウォラックの勧めもあって出演を決断したのだという。――これもまた、昔ながらのヒーロー神話を役者自身が解体したという点で新機軸ウェスタンの傑作だったのだ。

文:谷川建司

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