映画にも左派と右派がある⁉ 『イージー★ライダー』『リオ・ブラボー』など超名作が象徴する“表と裏”

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ライター:谷川建司
映画にも左派と右派がある⁉ 『イージー★ライダー』『リオ・ブラボー』など超名作が象徴する“表と裏”
『イージー★ライダー』©1969 COLUMBIA PICTURES INDUSTRIES, INC. ALL RIGHTS RESERVED.

表があるから裏があるのか、裏があるから表があるのか

名作といわれる映画や、映画界におけるムーブメントを同時期に作られた映画と比較して考えてみた時、そこには名作映画や脚光を浴びているムーブメントに対するアンチテーゼといえるような立場の映画が存在することに気づかされることがある。今回のコラムでは、そんな実例を挙げてみたい。

“左派”映画としてのアメリカン・ニューシネマでは、主人公たちは互いに助け合う!?

2020年は、日本で『イージー★ライダー』(1970年1月31日公開)、『明日に向かって撃て!』(1970年2月7日公開)といった作品が公開されてちょうど50周年の節目の年で、『イージー★ライダー』は新たに4Kレストア版が製作された。

『イージー★ライダー』敗け犬たちの反逆

1970年4月の第42回アカデミー賞授賞式で、史上初めてX指定(成人指定)作品として最優秀作品賞に輝いた『真夜中のカーボーイ』(1969年10月18日公開)も含め、これら一連の作品が“アメリカン・ニューシネマ”と総称され、新時代を迎えたハリウッドのある種のムーブメントと受け止められたのは周知の事実。

一足先に製作・公開された『俺たちに明日はない』(1968年2月17日公開)や、ちょっと遅れて作られた『スケアクロウ』(1973年9月22日公開)なども加えて、それら一連の作品にはかなり明確な共通点がある。

それは、第一に主人公たちの置かれている立ち位置が、社会に適応できずアウトロー的な立場にあるということ。法律などの社会のルールを無視して、個人の自由を尊ぶ生き方をしている彼らは、相棒(バディ)とともに互いに助け合いながら旅をして、最終的には体制側(社会秩序の枠内にいる人たち)に屈して、相棒ともども社会から抹殺されていく。

『イージー★ライダー』
50周年アニバーサリー・エディション 4K ULTRA HD
価格:¥4,743+税
発売元:(株)ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント

第二に、それらの作品の作り手たちの立ち位置が、それ以前の伝統的なハリウッドでのあり方とは異なっている。スタジオシステムの中で長い期間修業を積んでからようやく監督に昇格するという既存のルートではなく、ニューシネマの作り手たちは舞台やテレビ畑からの参入(アーサー・ペンジョージ・ロイ・ヒル、『卒業』[1967年]のマイク・ニコルズ)、外国の映画界からの参入(ジョン・シュレシンジャー)、俳優(ウォーレン・ベイティピーター・フォンダデニス・ホッパー)、写真家(デニス・ホッパー、ジェリー・シャッツバーグ)など、ハリウッド映画の作り手としては実績を持っていなかった者たちだった。

映画史家のロバート・B・レイは、その著書『A Certain Tendency of the Hollywood Cinema 1930-1980』(1985年刊)の中で、これら一連のアメリカン・ニューシネマの作品は“左派”の作品群で、法と秩序の外側にいて仲間同士助け合って生きているという意味では『ゴッドファーザー』(1972年7月15日公開)もまたこのカテゴリーに入る、としている。

A Certain Tendency of the Hollywood Cinema, 1930-1980

“右派”映画の主人公たちとは法と秩序の側に身を置きつつ孤立している一匹狼なのだ!

さて、“左派”映画があるからには、“右派”映画もある。レイはその代表格として、『ブリット』(1968年12月28日公開)、『マンハッタン無宿』(1969年2月15日公開)、『フレンチ・コネクション』(1972年2月12日公開)、『ダーティハリー』(1972年2月26日公開)、『狼よさらば』(1974年11月2日公開)、『ウォーキング・トール』(1975年6月7日公開)といった作品群を挙げている。

これらの映画の主人公たちにもまた、明確な共通点がある。大抵の場合、彼らは刑事とか警官という、法を守らせる側に所属しているが、組織からは孤立しており、目的のためにはややもすると法や正規の手続きなどのルールを無視してしまう。2018年にブルース・ウィリス主演の『デス・ウィッシュ』としてリメイクされた『狼よさらば』の場合は、民間人が私怨を晴らすべく警察に代わってチンピラたちを抹殺するという設定だが、彼は警察から一目置かれ、逮捕されることはない。

その意味で、次期大統領候補暗殺を目論んでいた社会不適合者でありながら、結果的に町のゴロツキどもを殺し、英雄(売春させられていた少女を裏社会から救った)として祭り上げられることになる主人公を描いた『タクシー・ドライバー』(1976年9月18日公開)は、“左派”映画と“右派”映画とがコインの表裏の関係にあることを示している。

同じことは、たとえばアメリカン・ニューシネマ作品として知られる『バニシング・ポイント』(1971年7月17日公開)の主人公コワルスキー(バリー・ニューマン)にも当てはまる。交通法規を一切無視して運び屋として白いダッジ・チャレンジャーを猛スピードでぶっ飛ばす反体制側の彼には、警察無線を聞いていてコワルスキーを勝手に応援し始めるラジオ局のDJやバイカーたちという“相棒(バディ)”がいるものの、時おり挿入される回想シーンで断片的に示されるのは、彼がヴェトナム戦争で叙勲され、名誉除隊した後に警察官になり、腐りきった警察組織の内実に憤り、孤立した末に組織からはじき出されたという過去だ。

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コワルスキーがもう少し強い人間なら、組織の中で孤立している一匹狼の刑事になっていたはすで、要は人を憤らせる何かを強引に葬り去ることで観客に強いカタルシスを与える強さが強調されれば“右派”のコップ・ムービーとなり、変えることができない虚しさを強調して体制に打ち負かされる敗北感で観客に強いシンパシーを与える立場に立てば、それは“左派”のバディ・ムービーになる。――その意味で、“左派”映画と“右派”映画はコインの表裏なのだ。

“孤立している一匹狼の刑事”の源流としての“嫌々ながらのヒーロー”

ところで、“右派”映画と目される、“孤立した一匹狼の刑事”の源流にあたるヒーロー像として、昔のハリウッド映画には“嫌々ながらのヒーロー(Reluctant Hero)”というパターンがある。つまり、本当は別にヒーローになどなりたくないのに、気が進まないまま仕方なく悪と対峙しなくてはならなくなる主人公ということなのだが、そんな主人公を描いた代表的な作品として、ゲイリー・クーパーが二度目のアカデミー主演男優賞を受賞した名作西部劇『真昼の決闘』(1952年)がある。

クーパー演じる保安官ウィル・ケーンは若い妻をめとって職を辞し、町を離れようとしていたのだが、ちょうどその日の正午の汽車で、かつて自分が逮捕した悪党が釈放され、復讐のために町へ戻ってくることがわかる。新任の保安官はまだ赴任しておらず、ケーンは仕方なく街にとどまって悪党のその三人の子分に立ち向かう決意するものの、町の人たちは関わり合いになることを恐れて協力を拒み、新妻さえも彼を見放し、ケーンは孤独の中で死を覚悟して戦いに挑む、という内容だ。

ケーンに協力を申し出るのは、アル中で町の者たちから蔑まれている男や、まだあどけなさの残る少年だけで、ケーンは彼らの協力は辞退する。元の先輩保安官であった老人をあてにしていたものの、手が不自由なため足手まといになるのは目に見えていると協力を断られる。

『真昼の決闘』はハリウッドが赤狩りで疑心暗鬼に陥っていた時代の寓話で、赤狩りに対して立ち向かおうとしないとハリウッドというコミュニティは死んでしまうぞ、という立場でカール・フォアマンが書いた脚本に基づいている(フォアマンは執筆直後に下院の非米活動委員会の召喚を拒否してヨーロッパに亡命した)。アカデミー賞の授賞式では、撮影のため参加できなかったクーパーの代理として、後輩の西部劇スターであるジョン・ウェインがオスカー像を受けとってクーパーを讃えたのだが、“右派(タカ派)”の映画スターとして知られ、のちにヴェトナム戦争を肯定する『グリーンベレー』(1968年)を自ら監督するウェインは、あとになって『真昼の決闘』のことを“アカの映画”として公然と批判するようになった。

ハワード・ホークスが示して見せた『真昼の決闘』のアンチテーゼとしての『リオ・ブラボー』

ジョン・ウェインが正統派の西部劇の主演スターとして、『真昼の決闘』の“左派”的な立ち位置を嫌ったのと同様に、ジョン・フォード監督と並んで『赤い河』(1946年)などウェイン主演の西部劇を手掛けていた巨匠ハワード・ホークスもまた、『真昼の決闘』に批判的な立場をとり、これに対するアンチテーゼとして同じジョン・ウェイン主演で別の作品を発表した。――それが『リオ・ブラボー』(1958年)である。

『リオ・ブラボー』
価格:DVD 1,572円(税込)
発売元:ワーナー・ブラザース ホームエンターテイメント
販売元:NBC ユニバーサル・エンターテイメント
© 1959 Warner Bros Entertainment Inc. All Rights Reserved.

『リオ・ブラボー』の設定も基本的には『真昼の決闘』と似たようなもので、殺人犯を逮捕したことで、その男の兄で町の有力者である一味を敵に回したウェイン演じる保安官チャンスが、連邦保安官が到着するまでの間、わずかな味方とともに戦わざるを得なくなる。そのわずかな味方というのが、アル中で町の者たちから蔑まれている男(ディーン・マーティン)、まだあどけなさの残る若者(リッキー・ネルソン)、そして足が不自由な牢番の老人(ウォルター・ブレナン)で、まさしく『真昼の決闘』の設定の裏返しとなっている。

『リオ・ブラボー』© 1959 Warner Bros Entertainment Inc. All Rights Reserved.

痛快な西部劇である『リオ・ブラボー』もまた古典的傑作としての地位を得ているが、ウェイン=ホークスのコンビは、この自分たちのアンチ『真昼の決闘』的設定をとても気に入り、8年後にほぼ同じ設定(ウェインは保安官ではないが、アル中になってしまった旧友の保安官、銃もろくに撃てない青二才の青年、牢番をしている老人とともに悪の一味と戦う)の『エル・ドラド』(1966年)も製作している。

ちなみに、アル中役はロバート・ミッチャムに代わり、牢番の老人役には『リオ・ブラボー』に引き続いてウォルター・ブレナンを起用したかったそうだが、残念ながらスケジュールの都合がつかずアーサー・ハニカットに代わっている。銃をろくに撃てない青二才の青年役には、のちに『ゴッドファーザー』でドン・ヴィトー・コルレオーネの長男ソニーを演じたジェームズ・カーンだった。

文:谷川建司

『イージー★ライダー』[4K]『リオ・ブラボー』はCS映画専門チャンネル ムービープラスで2021年4~5月放送

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