元ヘラルド宣伝Pに聞く!『ゼイリブ』『NY1997』ジョン・カーペンターが“クリエイター支持率ダントツ”のワケ

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ライター:谷川建司
元ヘラルド宣伝Pに聞く!『ゼイリブ』『NY1997』ジョン・カーペンターが“クリエイター支持率ダントツ”のワケ
『ゼイリブ』© 1988 STUDIOCANAL S.A.S. All Rights Reserved.

J・カーペンターの代表3作を4K上映!

現代のハリウッドや日本を代表する映画監督、ゲームデザイナー、俳優など、多くのトップ・クリエイターたちを虜にし、影響を与え続けているアメリカの映画作家、ジョン・カーペンター。そんな彼の代表作3作の4Kリマスター版が「ジョン・カーペンター レトロスペクティブ2022」として上映されるという朗報が届いた!

『ゼイリブ』 © 1988 STUDIOCANAL S.A.S. All Rights Reserved./『ニューヨーク1997』 © 1981 STUDIOCANAL SAS – All Rights Reserved/『ザ・フォッグ』 © 1979 STUDIOCANAL

そして今回、レトロスペクティブで上映される『ザ・フォッグ』(1980年)『ニューヨーク1997』(1981年)『ゼイリブ』(1988年)のうち2作を宣伝プロデューサーとして担当した、元・日本ヘラルド映画の宣伝部長、坂上直行さん(現・アークエンタテインメント株式会社 専務取締役)に、当時のエピソードを聞いた。

坂上直行さん

ポスターデザインに迷った『ザ・フォッグ』、タイトルに悩んだ『ニューヨーク1997』

1973年に日本ヘラルド映画に入社し、宣伝プロデューサーとして頭角を現した坂上さん。1981年に子会社ヘラルドエースに移り単館系作品や邦画製作を経験した後、1988年にヘラルド本体の宣伝部長に就任し、以後、今日に至るまで数多くの作品を担当してきた。そんな坂上さんにとって、自らの若き日々に担当した同世代の監督ジョン・カーペンターの2作品、すなわち『ザ・フォッグ』と『ニューヨーク1997』には、どんな思い出があるのだろうか。

『ニューヨーク1997』© 1981 STUDIOCANAL SAS – All Rights Reserved

正直言って、どちらも大ヒットしたわけでもないので、特別な思い入れがあるということはないんだ(笑)。逆に、『ハロウィン』(1978年)で監督は人気を博したものの、全国区ではなかったし、役者にしてもドナルド・ブリーゼンスやリー・ヴァン・クリーフ、アーネスト・ボーグナインとかは、好きな役者やいい役者であってもいわゆるスターじゃない。カート・ラッセルにしたって当時はまだまだ知名度は高くなかったから、どうやって作品を売り込んだらいいのか戸惑っていた感じですね。

実際、当時のカーペンターは監督・脚本・音楽をすべて一人で手掛ける新進気鋭の才人で、『ザ・フォッグ』では冒頭の古い教会のシーンで牧師のアシスタントの役で自らちらっと出ていたりするから、当時は「ヒッチコックの再来!」などと評されもした。……だが、『ザ・フォッグ』は基本的には低予算の小品で、霧の中に浮ぶ不気味な影とか、夜中に突然鳴りだす車のクラクション音といったアイディアで恐怖感を醸し出す“手作り感”満載の作品だった。

『ザ・フォッグ』© 1979 STUDIOCANAL

根強いファンの多い『ニューヨーク1997』のほうはもう少し大掛かりではあるものの、そこはまだCGなどもない時代である。300万人の囚人たちを閉じ込めて下界と遮断されたマンハッタン島で、凶暴な一味に拉致された大統領を恩赦と引き換えに元最強の兵士である囚人スネーク・プリスキン(カート・ラッセル)が救出するというアイディアを映像化するのに、今の映画のように見たこともないSF的映像を創り上げるのは不可能。画的には、廃墟と化した都市の闇のなかを跋扈する凶悪な犯罪者たちや、彼らの娯楽としての命懸けのプロレスといった現実味のある(つまり特殊技術を駆使した撮影を要しない)ものばかりだった。

ちなみに、坂上さんは(マンハッタン島に見立てた)ロケ地のアメリカ・セントルイスまで出掛けて行って、撮影中のカーペンター監督やカート・ラッセルに会っているのだという。何ともうらやましい話だ!

『ニューヨーク1997』© 1981 STUDIOCANAL SAS – All Rights Reserved

――これらの作品を売り込む上で、坂上さんには具体的にはどんな苦労があったのだろうか。

『ザ・フォッグ』では、ポスターに使うメイン・ヴィジュアルがこれ(霧の中に浮ぶゴーストたちの影)でいいんだろうか? と迷いましたね。オリジナルのアートワーク(ドアの隙間から伸びるゴーストの手と、ドアを必死に抑えつつ恐怖に顔を引きつらせるジェイミー・リー・カーティス)の恐怖を喚起するデザインよりも、恨みを抱えて死んでいったゴーストたちの死にきれない想いを強調した方がいいと思ったわけです。

『ニューヨーク1997』だと、そのタイトルにすべきか、それとも原題を直訳した「ニューヨークからの脱出」のほうがいいのか、かなり悩みました。結果的には近未来的な響きというか、語感を重視した。ストーリー的に、1997年という年が特別な意味を持っているわけではないんだけど。

確かに、『ザ・フォッグ』のポスター・イメージは内容を咀嚼したうえで導き出したコンセプトという感じで、キャッチ・コピーに用いた「この怨み、晴らさずにおくものか」は、当時人気のあった藤子不二雄Ⓐの漫画「魔太郎がくる!!」の決め台詞をそのまま援用することで、作品の内容を的確に伝えることに成功している。

『ザ・フォッグ』© 1979 STUDIOCANAL

『ニューヨーク1997』のタイトルは、もちろん『2001年宇宙の旅』(1968年)なども念頭に置いてのものだろうが、1997年をとっくに越えてしまった現在でも、古臭さを感じさせない。続編のほうは原題のまま『エスケープ・フロム・L.A.』(1996年)にせざるを得なかったわけだが、当時はまさか18年後に続編が製作されるほどのカルト映画になるとは誰も予想していなかったはずだ。

『ニューヨーク1997』© 1981 STUDIOCANAL SAS – All Rights Reserved

“面白いかどうかが基準の全て”だからこそ扱い得たカルト的作品群!

坂上さんがカーペンター作品を手掛けた当時の日本ヘラルド映画は、1970年代半ばまでのヨーロッパ映画の買い付けが中心だった立ち位置から、アメリカ国内はメジャー配給だが海外ではインディペンデント業者に配給を任せる<アブコ・エンバシー>のような中規模の会社からも買い付けを始めた時期で、大スターが主演している大作映画などにはまだ手が出なかった。

『ゼイリブ』© 1988 STUDIOCANAL S.A.S. All Rights Reserved.

――そんな中で、どういう戦略で買い付ける作品を見定めて、世に送り出していたのだろうか?

誰が出ているかとか、誰が監督しているかなんてことで選り好みできる立場じゃないから、とにかく観て面白いかどうかってことが基準のすべてだったんじゃないかな。でも、それらはA級作品じゃない。B級かC級のものが多いから、どこかいい点を見つけて、それを最大限に拡大解釈して売り込んで、マスコミや評論家たちの中から気に入ってくれそうな人を選んで観てもらい、オピニオン・リーダーになってもらうという戦略が宣伝の基本でした。

実は、筆者は坂上さんのヘラルド時代の後輩で、坂上さんの宣伝部長時代に別動隊として、B級C級のアクション映画ばかりを<ヘラルド・ベスト・アクション>シリーズとして担当していたので、その辺りは誰よりもよくわかっているつもりだ。

『ゼイリブ』© 1988 STUDIOCANAL S.A.S. All Rights Reserved.

実際のところ、当時のヘラルド配給作品のほとんどは、ちょっと前までスターだったけれど「あの人はいま?」的なポジションにいる役者や、これからスターになる可能性はあるけれど、さてどうなるか? というスター候補クラスの役者、またはその組み合わせというのがほとんどだった。監督にしても、まだ無名だけれど、どこかちょっとエッジが利いていて、もしかしたら売れっ子監督になるかも、という段階の監督が多かった。……そして、作品が日本でもアメリカでもヒットして知名度が上がると、その監督はアメリカでもメジャーで作品を撮るようになったりするから、そうなると買い付けの値段も高くなるのでヘラルドではもう手が出なくなる。

『ニューヨーク1997』© 1981 STUDIOCANAL SAS – All Rights Reserved

でも、だからこそ、当時のヘラルド配給作品の中には、後に売れっ子になっていく監督たちの最初期の作品や、時間が経ってからカルト的な地位を獲得していった作品が多いのも事実。カーペンターの2作品だけでなく、ジョン・ランディスの『ケンタッキー・フライド・ムービー』(1978年)や『狼男アメリカン』(1981年)、トビー・フーパーの『悪魔のいけにえ』(1974年)や『悪魔の沼』(1976年)、ジョージ・A・ロメロの『ゾンビ』(1979年)などを、すべてヘラルドが配給していたのは偶然ではない。そして、それらの多くがホラーやサスペンスといったジャンルの作品なのは、そのジャンルこそが若手の映画作家が力量を示すのに最も適したジャンルだからだろう。

『ザ・フォッグ』© 1979 STUDIOCANAL

ジョン・カーペンターはなぜ特別な存在たり得ているのか?

ジョン・カーペンターは1948年1月生まれのベビーブーマー世代で、2022年1月には74歳になる計算だが、まだまだ創作意欲は一向に衰えていないようだ。監督作品こそ『ザ・ウォード/監禁病棟』(2010年)以来発表していないものの、2018年には自身の出世作のリメイクにあたる『ハロウィン』の製作総指揮を担当。作曲家としても2016年にアルバム『Lost Themes II』を発表し、2021年11月には自らあとがきを記し、サイン本として200部限定で出版した「The Thing Art Book」(『遊星からの物体』製作35周年記念本)が出ている。

長篇映画の監督デビューは1974年の『ダーク・スター』で、『ハロウィン』(1978年)と今回レトロスペクティブで上映される2作品で第一線に躍り出たのだから、かれこれ半世紀ものあいだ活躍していることになる。――だが、同じく1970年代から世に出てきたスティーヴン・スピルバーグ、ブライアン・デ・パルマといった作家たちとジョン・カーペンターとの間には、決定的に異なる点がある。

それは、スピルバーグやデ・パルマら同時代に頭角を現してきた若き映画作家たちが、年齢を加えていくに従って“巨匠” 化し、大作やアカデミー賞を受賞するような作品を手掛けるようになっていく中で、ジョン・カーペンターは決して巨匠になって賞を獲ろうなどとは考えず、常に独立自尊、いつまでもB級のSF・ホラー路線を突き進んでいる点だ。

『ザ・フォッグ』© 1979 STUDIOCANAL

実際、スピルバーグがアカデミー監督賞受賞作『シンドラーのリスト』(1993年)や『プライベート・ライアン』(1998年)を、デ・パルマが『アンタッチャブル』(1987年/ショーン・コネリーがアカデミー助演男優賞を受賞)、『ミッション:インポッシブル』(1996年)といった大ヒット作を発表していた頃、カーペンターが撮っていたのは『ゼイリブ』(1988年)であり、『マウス・オブ・マッドネス』(1994年)であり、『光る眼』(1995年)といったB級路線に他ならなかった。

『ゼイリブ』© 1988 STUDIOCANAL S.A.S. All Rights Reserved.

その中で製作当時、東宝東和が配給した快作『ゼイリブ』も今回のレトロスペクティブで上映される。巧妙に人間界を侵食し、サブリミナル効果で人類を洗脳しているエイリアンたちが登場する同作では、主人公が不思議なサングラスをかけることで、人間に化けたエイリアンの不気味な素顔や広告の裏に隠されたサブリミナル・メッセージが見分けられる、という設定そのものがB級感満載で、論理的な説明もへったくれもない。アイディアこそが映画の命だというカーペンター・イズムが貫かれているのだ。

『ゼイリブ』© 1988 STUDIOCANAL S.A.S. All Rights Reserved.

――そんなカーペンターが、なぜ多くのクリエイターたちに支持される特別な存在なのか、坂上さんはこう見ている。

ヨーロッパの監督やアート系作品を手掛ける映画作家、あるいはアカデミー賞を獲るような巨匠が“作家性”が強いのは当たり前だけれど、カーペンターの場合、どこまでもインディペンデント・スピリットを貫いていて、B級映画ばかり作っているにもかかわらず、皆が“作家性”を感じる。そういう点が他に例を見ないんじゃないかな。

誰でも映像を撮ったり発表したりできるような時代だからこそ、若い観客にはカーペンターの持つ表現力をぜひ学んでほしいですね。

実はカーペンターの処女作は、学生時代に撮った『The Resurrection of Broncho Billy(ブロンコ・ビリーの復活)』という短編で、これは1970年の第43回アカデミー賞の短編賞(実写部門)を受賞している(個人名義ではなく南カリフォルニア大学映画部として)。だから、彼は巨匠を目指したっておかしくはなかった。それを、敢えてB級映画作家としてSF・ホラー路線の作品をブレずに作り続けていることこそが、そのカッコよさの神髄なのだ!

『ニューヨーク1997』© 1981 STUDIOCANAL SAS – All Rights Reserved

取材・文:谷川建司

4Kレストア版『ザ・フォッグ』『ニューヨーク1997』『ゼイリブ』は2022年1月7日(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館、UPLINK吉祥寺で3週間限定公開

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