曽我部恵一の“超雑食映画体験”が音楽制作に繋がる瞬間! 初の連載小説を自ら映画化する可能性もアリ?【第2回】

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ライター:稲田浩
曽我部恵一の“超雑食映画体験”が音楽制作に繋がる瞬間! 初の連載小説を自ら映画化する可能性もアリ?【第2回】
曽我部恵一

2021年10月13日(水)にサニーデイ・サービスの新曲「TOKYO SUNSET」を配信リリースした曽我部恵一。まるでショートフィルムのようなミュージックビデオを自ら監督した曽我部は近年、俳優として多くの映画に出演している。写真家・佐内正史とのユニット“擬態屋”の1stアルバム『DORAYAKI』を配信/限定プレスCDでリリースするなど2021年も精力的に活動してきた曽我部が、自身の音楽に映画が与えた多大な影響を語ってくれた。

曽我部恵一

「ロックミュージシャンより映画作家に影響を受けた」

―曽我部さんは80年代後半には、すでに音楽活動を始めていますよね。ご自身の音楽スタイルを模索しているときのような感覚で、映画にもフォーカスしていたんでしょうか?

そうです、まさに。日本の監督だと若松孝二さん。あのビデオ屋に行けば若松作品があるらしいと聞いて借りに行ったりとか。音楽活動や、自分の今の生き方みたいなものを、若松さんの昔の映画に重ね合わせたりしていましたね。もちろんレオス・カラックスとかもそうだけど、ただのエンターテインメントとして観るよりも、自分が映画の中にいるかどうかみたいな。

―ご自身の音楽に影響を与えた映画はありますか?

すごく影響受けてる。若松さんの映画からは2曲くらいイメージが湧いて作ったかな。

―ちなみに、どの映画ですか?

『狂走情死考』(1969年)という映画。それを観て「青春狂走曲」っていう曲ができたんです(※2ndシングル:1995年リリース)。タイトルに若松オマージュを入れておこうと思って。それで「青春“狂走”曲」と入れたりとか。あと、その頃だと勅使河原宏監督の『サマー・ソルジャー』(1972年)を観て、「サマー・ソルジャー」という曲を作りました(5thシングル:1996年リリース)。映画の曲ではないんですが、タイトルを借りて自分の夏物語、夏の瞬間みたいなものを描いたりして。だから映画からはすごく影響を受けてますね。

―確かに、そんな感じがしますね。

だから初期サニーデイ・サービスはATG(日本アート・シアター・ギルド)作品ばっかりって感じ。

―1stアルバムの『若者たち』というタイトルも映画感がありますよね。

そうそう、映画のサントラじゃないけど、映画を作るみたいに作品を作ってます。主人公がいて、朝が夜になってまた夜が明けて、みたいにストーリーを作っていく。きっと映画が作りたかったんでしょうね。初期はそんな風にCDを作ってました。

2ndアルバムの『愛と笑いの夜 -a Night of Love & Laughter-』は、ウォン・カーウァイ監督の“赤が溢れてる”みたいなネオンっぽい香港映画のイメージとか、レディオヘッドが流れるトラン・アン・ユン監督の『シクロ』(1995年)っていう映画とか、そういうのをイメージして。ロックンロールとアジアの“ちょっと汚れて色も物質も飽和しているような、洗礼されてないもの”みたいなことをやろうとしてました。みんなで香港に行って写真を撮ってもらって、ウォン・カーウァイに憧れてやってましたね。

―めちゃくちゃ映画とシンクロしてますね。

なんか、してますよね。別にそこに特化しようと思ってるわけではないんですけど、影響はすごく受けてます。ロックミュージシャンより映画作家の方が影響を受けてたと思います。

―それって、さきほどの“狂走”じゃないですけど、言語感覚っていうのもあるでしょうし、映画って世界観を作っているじゃないですか。その世界観みたいなところでの影響なんですかね。

そうです。やっぱり映画館に一歩入ったら治外法権じゃないけど、別の星の中にみんなで行くというような感覚があって、そこで2時間、別の人生を生きるというか。そういう感じだったんですよね。だから音楽もそうあって欲しいなと思ってたし、そういうところに影響を受けてるんだと思います。逃避みたいなものかもしれないけど。

―音楽でも同じことができますよね。

そうですね。そのくらい世界観に没入したいなというイメージです。

曽我部恵一

「音楽制作にはない、映画の“チーム感”にすごく憧れる」

―アルバムを作る時はそんな感じなんですね。同じ時間芸術で共通していると思いますし、その世界に引き込むというか。

オープニングは、映画館の扉を開けて入る瞬間みたいな。今、映画館に行ってもその感覚はあまり変わらないです。ワクワクしてドキドキして楽しいですね。

―でもお忙しいですよね。最近も映画館に行かれてますか?

25時の回とか、深夜によく行ってたんですよ。新宿のバルト9は27時くらいまで上映回があったから、仕事が終わって何もなくなった深夜に一人で観たり。でもコロナで夜営業がなくなっちゃったので、なかなか昼間は時間がないから、観る回数はしばらく減ってました。でも今は家でも配信サービスで観られるからね。

―Netflixとか。

それでも映画館が好きですね。家ではストーリーを追うだけで、ああいうドキドキ感はないですし。映画館の暗くなって始まる、それでいて大きな音。音楽も映画館で聴くのが一番いいですからね。家でレコード聴くよりも、映画の中で流れる音楽の方がかっこよく聞こえます。なんか独特で。

曽我部恵一

―ちなみに映画を作りたいという思いはありますか?

そこまで思ったことはないんですよね。いつか思うのかな? 思ったらやると思うんですけど、流石にって感じですかね。でも、映画の現場の空気感はめっちゃ好きです。みんなそれぞれの持ち場があって、終わって宿でみんなで飯食ったり飲んだりワイワイする。それで、また朝から撮影。あのチーム感みたいなものは音楽には全然ないので。

―監督の“◯◯組”みたいな?

はい、すごくかっこいいなと思います。やっぱり僕は個人的な仕事で、ちまちま作って、数人の仲間とそれを具現化していくという感じをずっとやってきたから。映画にめちゃくちゃ憧れるし、そういう中に呼んでもらって少しそこの空気を嗅ぐと、もう最高にかっこいいなと思うんです。自分にできるかどうか、ということは全く思わないですけどね。でもいつか、自分がこういう映画を撮りたいなと思ったらやると思いますよ。ただ、今はそういうアイディアもあまりないかな。

―小説を書いたりもされているんですか?

小説は、編集の人に書いてくださいと言われて、締め切りが来るから何となく書いているだけですね。

―締め切りがないとなかなか書けないですもんね。

絶対に書かないですね。季刊の連載なんですけど。だから、たまに締め切りを言われると焦って捏造するって感じ(笑)。

―ちなみに、どんなお話なんですか?

バンドをやってる男の子が主人公の、90年代半ばの青春物語。自分が東京に出てきた頃の風景を描こうと思っていて。自叙伝では全然ないんですけど、そんな設定ですね。

―すごく良さそうですね。一冊になるくらいの感じなんですか?

いや、できれば一冊にはしないで欲しいな(笑)。

曽我部恵一

「ずっと考えているのは、耳と心にどうアプローチするかということ」

―自叙伝ではないにしても、90年代の曽我部さんの体験とは?

当時友達だった人とか、みんなウダウダしてたんですよ。そのウダウダ感を表現できたらいいなと思って書いてます。自叙伝というほど特別なことは本当に何もないので、青春ものっぽくやってるんです。

―若い時って、皆ウダウダしてますもんね。それを映像化しようという考えは?

もし完結するようなことがあれば、ひょっとすると思うかもしれないですけど、それ自体がどうなるか分からないから……。

―まだ終わりが見えていない途上なわけですね。

全く全く。正直そこで言いたいことがあるわけでもないので。本当に要請に従って書いているだけというか。だから、はたして自己表現になるのか? というところですね。ひょっとしたら、ウダウダ書いているものが全部終わったら、これは俺かと思うかもしれないし、本当にわからないです。音楽と違って、こういうものがやりたいとかはあまりなくて。

―音楽を作るときは詩が先なんですか?

詩も断片みたいなのはあったりしますね。なんか編集作業に近いんですけど、タイトルや展開とか、このバンドのこういう曲の持ってるパワー感とか、色んなものをミックスしたりエディットして1曲になる、という感じで。それがうまく形になる時もあれば、バラバラのままのときもあるし。“想い”って曲には出てこないので。悔しいとか嬉しいとかは思っているだけで、どう落とし込んでいくかはその次のステップ。原始的には、もっとバラバラな感情があるだけって感じです。

―歌詞を書く時は苦労しないですか?

苦労することもありますね。どういう風にそれを言葉にしようかとか。

―小説を書く時と全然違うんですね。使っている頭の部分というか。

そうですね、全然。小説はとにかく字数を埋めるっていう(笑)。

―(笑)。

なるべく文字数が稼げる行動をさせたいなと(笑)。音楽はそういう発想じゃ全然ないので。でも結局は音楽も、音にしたときにかっこいい言葉の運動にしなければいけないので、それが真実かどうかというよりも、どう響くかというほうが優先されるというか。だから小説も多分、文章にしたときにまとまったエネルギーを持つかどうかっていうのが、すごく大事なことだと思うんです。なので、字数優先っていうのもあながち間違ってないのかなとも思うんですよね。

音楽もそうで、テンポとかBPMとかがすごく重要。曲が何を言っているかとかよりも、BPMがいくつなのかっていうことの方が、聴き手には具体として伝わっちゃうから。こっちは朝の寂しさにしようか、夜の寂しさにしようかとか思ってても、BPMが早いか遅いかのほうが、ハッキリとした明確な差なんですよね。実はそういうところがすごく重要だなと思います。

曽我部恵一

―確かに。耳で聴くっていうことの大きさですよね。字面で読むのと違って、耳にダイレクトに入ってくるという。

そうなんですよ。耳と心に、どういう風にアプローチしていけばいいのかっていうのは、ずっと考えてます。映画もそうですけど、白黒だとか、こういう画質だとか。ストーリーは全然覚えていないけど、あるシーンの光と影の感じだけ覚えていたりとか、そういうことはよくあって。作家の内面のメッセージとかよりも、超えていくものが作品自体にあったりして。僕の想いよりも、このギターの歪みが良かったとか、そういうことが実はあるんだろうなと思いながら作ってますけどね。

取材・文:稲田浩
撮影:大場潤也

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