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曽我部恵一が早熟な“映画初体験”を語る!「ジャームッシュとカラックスが青春時代の2大ヒーロー」【第1回】

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ライター:#稲田浩
曽我部恵一が早熟な“映画初体験”を語る!「ジャームッシュとカラックスが青春時代の2大ヒーロー」【第1回】
曽我部恵一

曽我部恵一率いるサニーデイ・サービスが2021年10月13日(水)、新曲「TOKYO SUNSET」を配信リリースした。同曲のミュージックビデオは、鬱屈とした毎日を送る少年少女それぞれの視点で描かれるショートフィルムのような仕上がりで、曽我部が自ら監督を務めている。

2021年10月29日(金)には写真家・佐内正史と結成したユニット“擬態屋”の1stアルバム『DORAYAKI』を配信リリース(11月24日[水]には限定プレスCDでリリース)するなど、多分野で精力的に活動を続けている曽我部。バンドやソロ、プロデュース業だけでなく俳優としても活動する曽我部に、縁浅からぬ“映画”についてじっくり語ってもらった。

曽我部恵一

「ピンク映画のポスターが貼ってある町の映画館で」

―映画はお好きなんですか? お店(曽我部がオーナーの[PINK MOON RECORDS])にポスターを貼ったりもされているみたいですが。

もちろん好きです。そんなマニアックにめちゃくちゃ詳しいってわけではないんですけど。最初は『ベティ・ブルー/愛と激情の日々』(1986年)を貼ってましたね。今は『夏の娘たち ~ひめごと~』(2017年)のポスターを貼ってます。僕、この映画が大好きで。若くしてお亡くなりになられた堀禎一監督っていうピンク映画の方の作品なんですけど、2021年にリバイバル上映されたので、そこで買ってきました。

―堀監督の遺作なんですね。

公開中に亡くなったんですよ、突然死。『夏の娘たち~ひめごと~』が遺作で、めちゃくちゃ名作なんですけど、もっと撮っていたらなと思う方ですね。ピンク映画も撮ってるし、低予算映画も撮ってるし、凄く面白い監督です。

―このポスター、めちゃくちゃ良いですね。

当時のDVDとか全て、このビジュアルで。内容がめちゃくちゃ良いんですよ、とんでもなく良い映画。でも堀監督の作品って数が少ないから、またリバイバルでやると思うんです。このときはポレポレ東中野で観ました。以前は売ってなかったんですが、今年観に行ったらポスター売ってたので絶対に買って帰ろうと。

―ポスターは集めるタイプですか?

いや、全然!『ベティ・ブルー』をたまたま買って、すごく好きな映画なので貼っていて。『夏の娘たち~ひめごと~』が手に入ったから、それにしようと。気分が変わったらまた変えると思うんですけどね。

曽我部恵一

―一番初めに映画館で観た、印象に残っている作品はどんなものですか?

ジャッキー・チェンとか、めちゃくちゃ観てました。小中学生の時に、住んでいた町に映画館があったんです。田舎町なんですけど、商店街にひとつ映画館があって。地下に行くとピンク映画やポルノ、2階が普通の映画館みたいな。ポルノのポスターとかもがんがん飾ってあるような感じで。500円とか1000円とか貰ってたお小遣いとは別に、映画を観るならお金出してあげると言われていました。それで1人でよく行ってたんですよ。

―いいですね。映画はわりと観なさいという感じだったんですね。

そうそう、映画と本は。それでジャッキー・チェンとか、『怪傑ゾロ』(1957年)とかも観たな。とにかく面白そうなものがあったら、全部行ってましたね。中学になってもそんな感じで。

―小学生でそんなに映画を観ているということは、結構ませていた?

横山やすしさん主演の『唐獅子株式会社』(1983年)っていう映画とかも観てました。当時小学生だったんですけど、めっちゃ面白かった印象があったんですよ。そしたら、京都の小さい映画館の方に「曽我部さんの好きな映画とライブをやらせてください」と言われて。そこで『唐獅子株式会社』を選んでフィルムでまた観たんですが、今観ても面白かったですね。良い映画だった。

―すごく良い企画ですね、それ。

映画と対バンやりたい、と。それで久々にフィルムを観たけど、良かったです。全然印象が変わらなかった。あと武田鉄矢さんの『刑事物語』(1982年)とかも観てたな。

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―ありましたね、ちょっとカンフーが入ってる。

そうそう。だから、なんでも観てるんですよ。あと、今はなかなか観られないと思うんですけど、セイントフォーっていうアイドルグループの『ザ・オーディション』(1984年)。吉川晃司の映画(『すかんぴんウォーク』[1984年])も行ったし、キョンキョンの映画(『生徒諸君!』[1984年])も行ったな。

「部屋に『食人族』のポスターを貼ってたら親にめっちゃ心配された(笑)」

―当時はアイドル映画もすごかったですよね。薬師丸ひろ子さんとか。

そして全部2本立てだったんですよ。『食人族』(1980年)とかも観てた。そのポスターデザインがめっちゃかっこよくて。モスグリーンのポスターで、女の人が串刺しになってるんですよ。そこにオレンジ色の筆で“食人族”って描いてあって。それを貼ってたら親にめっちゃ心配されましたね。あの子ちょっとおかしいぞって。

―これですか? デザイン的にもかっこいいですね。

これこれ、まさにこれ。全然記憶と違わないですね。

―小学生の時ですか?(笑)

『食人族』が日本公開されたときなので、1983年じゃまだ小学生だ。

―それはちょっと心配するかもしれないですね(笑)。

ポスターが500円しなかったんじゃないかな? だからポスター買うか、パンフレット買うかして帰ってきてましたね。

―完全に映画少年ですね。

というか他に娯楽がないので、映画館に行くのが唯一の楽しみでした。でっかいスクリーンで映画を観るのが楽しいというだけで、監督とかそういうのは全然分かってない。ただ、映画館が好きという感じで行ってましたね。だから観るものはなんでもよかったんじゃないかな。僕はスポーツもやってなかったし、とにかく休みの日とか友達と遊ぶわけでもないので、映画に行ってました。

―そんなに観ている友達もいなかったんじゃないですか。

うーん、『食人族』の話とかはしてないですね(笑)。孤立してたわけではないし、別に話す友達はいたんですけど、そういう楽しみは共有してなかったと思います。

―じゃあ映画は自分の中のワールドというか、その中で自己完結していた?

おそらくそうです。別に映画雑誌を読むわけでもないし、ただ映画館に行って、次はこれ観たいなとチラシをいっぱい貰ってくる。だから今とあんまり変わらないかな。今は家で観られるところが大きな差ですけど。

―そんな感じで色々一緒くたに観ていたところから、この監督が撮っているんだなとか、この役者なんか好きだなとか、いつ頃から分かってきたんですか?

一番初めに演者さんで観ようと思ったのは、小学校の時かな。ジャッキー・チェンの『ドランク・モンキー/酔拳』(1978年)とか『スネーキーモンキー/蛇拳』(1976年)を観てたんだけど。遡って『少林寺木人拳』(1977年)を観たときに、やっぱフィルムの感じとかちょっと暗いし、ジャッキー・チェンも整形前で顔がまだいなたいんですよね。そういうのを観て、なんか洗練されてない感がかっこいい、みたいなことは思いましたね。初期はこういう感じで、それがポップになって『酔拳』になるんだ、みたいな。そうやって体系立てて観たのは、そこが初めてかもしれない。あと、ゾンビでも色んな監督、色んな時期の作品があることが分かってきて。やっぱりルチオ・フルチのゾンビが一番好きだなと思いました。

―でも早いですよね。

全部テレビですけどね。『サンゲリア』(1979年)とか。

―親御さんが映画を観ることを奨励してくれてたのが良かったですね。

でも、ゾンビものは隠れてこっそり観てました。あと、シルヴィア・クリステルの『エマニエル夫人』(1974年)とかイタリア映画の『青い体験』(1973年)みたいな“体験”シリーズというのがあって、ちょっと成長した女性が若い男を誘惑するわけですよ。そういうのはめちゃくちゃこっそり観てましたね。

―わかりますわかります。『プライベート・レッスン』(1981年)とか。

うんうん。それで中学生になったら「宝島」とか読むようになって、カルトムービーが流行ったんですよね。その時にジョン・ウォーターズとかハーシェル・ゴードン・ルイスとかに初めて触れて。アンダーグラウンド・ムービーを観て、こういうのもあるんだと。ゾンビくらいで止まってたんだけど、もっとローな感じのホラーとか、手作り映画みたいなのがあるんだと思って好きになりました。でも、(ジム・)ジャームッシュの『ストレンジャー・ザン・パラダイス』(1984年)とか出てきたときは、ガツンとやられましたね。中学生になってパンクとか聴いてたから、スクリーミン・ジェイ・ホーキンスのあの曲(「I Put a Spell on You」)とか、めっちゃやられました。

「ジャームッシュとカラックスが2大ヒーローだった」

―音楽は音楽でレコードを聴いたり。そっちの感覚とはまた違う感じで映画は観ていたと思うんですが、そこで一緒になるという。

全部がもう、カルチャーのど真ん中。表現されてることも自分たちに近くて。ヒーローがめちゃくちゃ活躍するのではなく、なんかだらだらしてるみたいなところに、すごく親近感を覚えましたね。

―その時は高校生くらい?

そうそう、高1とかかな?『ストレンジャー・ザン・パラダイス』は多分、ビデオで観たんだと思うんですよ。最初に映画館で観たのは『ダウン・バイ・ロー』(1986年)。2作目が劇場でかかると聞いて駆けつけたから。

―『ダウン・バイ・ロー』にもトム・ウェイツが出ていて。

『ダウン・バイ・ロー』はもう、待ちに待った新作でした。まあ強烈でしたよね。『ストレンジャー・ザン・パラダイス』の世界観をもっともっと磨き上げたような感じで、最高でした。その時、映画館でサントラが売ってたんですよ。でも買って帰ったら、トム・ウェイツの一番よかった曲は入ってなくて。ジョン・ルーリーのジャズみたいなのばっかりで、めちゃくちゃショックでしたね。

―あれはあれで、ジョン・ルーリー、ラウンジ・リザーズとかもカッコいいんですけどね。トム・ウェイツはオープンニングのところですか? あの横移動でかかる曲。

そう。トム・ウェイツの「Jockey Full of Bourbon」っていう曲。めちゃくちゃカッコいいんですよ。でも入ってねえのかと思って。家に帰って何回も見直しました。どこかに隠れてんじゃないかって……(笑)。

―あの時、トム・ウェイツやジョン・ルーリーもかっこよかったし、ジャームッシュはミュージシャンみたいな雰囲気の映画監督だし、そこでカルチャーが繋がったような感じですよね。

そうなんですよ、ニューヨーク・パンクの人だしね。ピーター・バラカンさんの「ザ・ポッパーズMTV」っていう深夜のビデオ紹介番組をみんな見てて。そういうのしか情報ってなかったんですよね。ネットもないし、あとは雑誌だけで。テレビでピーター・バラカンさんが、ジョン・ルーリーってこういう人で……みたいなことも全部話してたので、そういうので覚えたというか、知ったことがすごく大きいです。

―そこから少し映画の観方が変わっていったんですかね。監督で観るようになったりとか。

でも、どちらかというと作品って感じで。レオス・カラックスの『汚れた血』(1986年)とか、すっごい衝撃でしたね。

―最高ですね、あれは。

だから中高校生のときに影響を受けたのは、ジャームッシュとレオス・カラックス。ヒーローです、その2人が。

―中高校生でそれは結構、焼き付きますね。

リアルタイムであれが観られたのは本当に良かったなと思ってます。

―そのあと『ポンヌフの恋人』(1991年)もあって。80年代後半から90年代前半くらいですかね。

そうですね、80年代が中高校生だったので。

―あの辺からデヴィッド・リンチやスパイク・リーなど、そういう世代の映画が。

感覚として新しい映画というか。ただ、『ブルーベルベット』(1986年)はみんなすごいと言ってたけど、あまり分からなかった。結局ドラマの『ツイン・ピークス』(1990~1991年)も全然ハマらず、リンチは逆に『マルホランド・ドライブ』(2001年)と『インランド・エンパイア』(2006年)はすごいなと思いました。そこでもう一回ハマり直したという感じです。『イレイザーヘッド』(1976年)もすごく好きでした。

あとスパイク・リーも、当時はすごく流行ってたけど、僕はそこまでだったんですよね。やっぱりジャームッシュとかレオス・カラックスの、ああいう美学というか、デカダンまでいかないけど、孤独さというか個人主義というか。ああいうのが好きだったな。

―確かに、あの2人はニューヨークとフランスですが、相似形なところはあるかもしれないですね。

そもそも、2人ともカッコいいじゃないですか。なんかパンク・ミュージシャンみたいだから、その感じも良かったな。

【インタビュー第3回は12月20日(月)掲載】

取材・文:稲田浩
撮影:大場潤也

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