カンヌW受賞『天国にちがいない』を名匠エリア・スレイマン監督が語る!「映画的な意味において、僕はノマド(遊牧民)」

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ライター:石津文子
カンヌW受賞『天国にちがいない』を名匠エリア・スレイマン監督が語る!「映画的な意味において、僕はノマド(遊牧民)」
『天国にちがいない』© 2019 RECTANGLE PRODUCTIONS – PALLAS FILM – POSSIBLES MEDIA II – ZEYNO FILM – ZDF – TURKISH RADIO TELEVISION CORPORATION

現代のチャップリン、エリア・スレイマン

映画監督の奇妙な旅を描いた新作『天国にちがいない』で、第72回カンヌ国際映画祭審査員特別賞と国際映画批評家連盟賞をW受賞した、エリア・スレイマン。イエスの故郷ナザレに生まれた、イスラエル国籍のパレスチナ人という複雑な背景を持ち、自身を思わせる映画監督ESとして主演も兼ねている。

『天国にちがいない』© 2019 RECTANGLE PRODUCTIONS – PALLAS FILM – POSSIBLES MEDIA II – ZEYNO FILM – ZDF – TURKISH RADIO TELEVISION CORPORATION

小津安二郎をはじめ邦画にも詳しく、日本文化を愛しているのだが、なぜか日本での劇場公開に恵まれなかったスレイマン監督の作品が久々に公開されるのは、なんとも喜ばしい。2020年の東京フィルメックスでは特集上映も行われ、その独特のユーモアと洒脱さ、辛辣さ、そしてほとんどサイレント映画のような詩的な沈黙に魅了された人も多かったはずだ。残念ながら来日は叶わなかったが、リモートインタビューでもその魅力は全開だった。

エリア・スレイマン監督

「観る側に想像する自由を残しておいてほしい」

―『天国にちがいない』はとても美しい喜劇だと思ったのですが、実際、あなたはパリの「L’Humain Comédie(人間喜劇)」というお店の看板を登場させていますね。あれは、あなたからのある種のメッセージなのでしょうか?

僕は映画を通してメッセージを伝えることを、あまり得意としていないんです。観る人の感覚に委ねていますし、映画のシーンに意味をあまり持たせるより、オープンにしておきたいと思っています。実際、画面も広く、オープンにして撮っていることが多いので、いろんなものが映っていることが多いんですよ。そうすることで観る人が、画面の後ろや脇の方を見て、多角的に捉えたり、背景やさまざまなことを想像して、映画を膨らませていくことができる。自分を投影したり、過去を思い起すこともできるでしょう。

僕としては、観客が映画館を出た後で、それぞれのイマジネーションでリメイクできるような映画が良いなと思っています。だから、観る人がこの映画を観て何かを感じ、頭の中で作り出すイメージ、もしくは生活といったもの、それが映画のメッセージになるのかもしれません。観る人自身の経験が投影されるイメージというか。

『天国にちがいない』© 2019 RECTANGLE PRODUCTIONS – PALLAS FILM – POSSIBLES MEDIA II – ZEYNO FILM – ZDF – TURKISH RADIO TELEVISION CORPORATION

僕は映画を通じて、ある種の柔らかさみたいなものを、皆さんとシェアできたらないいなとも思っています。僕の理想の映画は、ビジュアルやサウンドをはじめ、さまざまなものが合体した中から、詩的な瞬間が生まれてくるもの。映画は、誰か偉い人のスピーチやお仕着せではなく、あなたが経験するモノであってほしい。さまざまなものの集合体として、自分なりの見方で楽しんでもらえたらいいなと思いますね。

―メッセージという言葉を使ってしまうのは、ジャーナリストの悪い習慣ですね。日本では特に、そういう質問をしてしまいがちかもしれません。

そう、悪い習慣、と言わざるを得ませんね。映画を何かのメッセージを求めて観るわけではないし、僕自身、何か映画を観てあるメッセージを感じると、ちょっとがっかりするんです(笑)。観る側に想像する自由を残しておいてほしいんですよ。

『天国にちがいない』© 2019 RECTANGLE PRODUCTIONS – PALLAS FILM – POSSIBLES MEDIA II – ZEYNO FILM – ZDF – TURKISH RADIO TELEVISION CORPORATION

「小津安二郎の映画を観ると、いまだに発見があります」

―監督の映画には、小津安二郎の影響を強く感じますし、東京フィルメックスでのリモートQ&Aでも小津安二郎について語っていましたが、どうしてそこまでお好きなんでしょうか?

優しさと憂鬱さ、そこにとても感情的な繋がりを感じられるんです。この話は何度もしているんですが、生まれて初めて小津映画を観たとき、とてつもない衝撃を受けました。それは「僕は映画を作りたい。そして僕は映画を作れる」という啓示だったんです。これ以上ない、最大の天啓と言っていいでしょう。こういう映画を撮ることになるだろう、というね。

小津の映画を観ると、いまだに発見があります。小津映画は個々の暮らしを描きつつ、その実、時代の変化の中で徐々に消え去りつつあるものが描かれている。美しいものが失われてしまうことへの忠告なんですね。それは今も同じです。美しいもの、賞賛されるべきはずのものが、徐々に失われてしまっている。僕にとって、小津はとても現代的な映画作家なのです。

それ以外にも、小津の素晴らしさはあります。例えば、場所があまり変わらないこと。カメラもあまり動きません。シーンに動きがあるときはとても音楽的で、繰り返しがあります。とてもシンプルな形式ですが、それが私たちに余韻を残すし、考える余裕を与える。それがある意味、映画の詩的な故郷というものになっているんです。あまり説明しすぎると、こうした映画から得る感情というのは言葉にしなくてもよい場合がありますから、これくらいにしておきましょう。詩的な余地が大切ですからね。

『天国にちがいない』© 2019 RECTANGLE PRODUCTIONS – PALLAS FILM – POSSIBLES MEDIA II – ZEYNO FILM – ZDF – TURKISH RADIO TELEVISION CORPORATION

―あなたの映画もとても詩的です。

それはおそらく、偶然の出会いと関係があるかもしれません。“一目惚れ”という言葉がありますが、この映画の中では二目惚れ、三目惚れ、四目惚れ、そして五目惚れ、くらいまであるんです。いろんな関係性のハーモニーですね。それは大袈裟なものではなく、シンプルなものなんですが。そしてもう一つ、小津から継承した、“沈黙”ですね。僕は沈黙を、映画の重要な要素にしています。言葉に頼らない映画を作りたいんです。セリフとセリフの間にある沈黙こそが、頼りなんです。そして顔の表情です。目は口ほどにものを言う、というか。

僕が今語っていることは、“民主的な解読“と言えば良いでしょうか。観る人が解釈するための余白を残す映画を撮ろうとしていますし、僕が身の回りを見る視点というのは、意識していたり、しなかったりしつつも、どこか小津の映画に繋がっているんですね。小津の遺産が流れている。僕と彼の映画は、作風が違って見えるでしょうが、よく見ると似ているんです。僕の映画のユーモアは、ギャグだったり、とても身体的で唐突だったり、よりバスター・キートンやジャック・タチに近いものがあると思いますが、実は小津の映画にもユーモアは溢れているんですよ。

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「映画的な意味において、僕はノマド(遊牧民)なんです」

―『消えゆくものたちの年代記』(1996年)、『D.I.』(2001年)、『時の彼方へ』(2009年)という今までの作品では、あなたの故郷と両親のことが描かれていましたが、今回はそこから離れていますね。その理由はなんですか?

自然の成り行きです。両親が亡くなって随分と経ち、僕と故郷ナザレとの関係も徐々に薄くなりつつある。生まれた場所への感情は色々と複雑なものがありますが、実際にはナザレへ帰る機会も減ってしまった。人が歳を重ねること、時を経ること、故郷との繋がりが薄くなること、そうした問題が映画の語り口にも影響を及ぼしますし、僕が演じるキャラクターも故郷に全てを残して、どこかへ行こうとする。僕ももう故郷で過ごした時間よりも、外で過ごした時間の方が長いわけで、この映画の中でも出てきますが、まさにパーフェクト・ストレンジャーに近づきつつあるんです。

僕のアイデンティティーの感覚も、パレスチナ問題とは関係ない。ある一つの場所にアイデンティティーが結びつくわけではなく、状態なのです。もちろんパレスチナ人という認識はありますが、そこは出発地点であり、今は世界へと広がっている。僕にとってのホームは場所ではなく、自分が作る映画なんです。家ではなく、テントですね。一つの映画が終わるとテントを畳み、どこかへ移動していく。映画的な意味において、僕はノマド(遊牧民)なんです。

『天国にちがいない』© 2019 RECTANGLE PRODUCTIONS – PALLAS FILM – POSSIBLES MEDIA II – ZEYNO FILM – ZDF – TURKISH RADIO TELEVISION CORPORATION

―パーフェクト・ストレンジャー(完璧な異邦人)であるあなたは、今はパリに住んでいるんですよね?

僕はどこにいても、あくまで暫くの仮住まい、という感覚です。いつか、どこかに定住し、残りの人生を過ごしたいと思ったら、そこが“天国にちがいない”ってことでしょうね。でも、そうなったらもうコスモポリタンではない。僕はニューヨーク、パリ、ベイルートなど、ずっと都市で暮らしてきましたが、ちょっと田舎暮らしが恋しい気持ちが今はあります。自然との触れ合いだったり、その中にスピリチュアルなものが感じられる場所への憧れがあるんです。

―もしそういう場所に住んだら、あなたの映画も全然違うものになりそうですね。

それより、もしそんな場所を見つけたら、もう映画を撮らなくなるでしょうね(笑)。

『天国にちがいない』© 2019 RECTANGLE PRODUCTIONS – PALLAS FILM – POSSIBLES MEDIA II – ZEYNO FILM – ZDF – TURKISH RADIO TELEVISION CORPORATION

「撮影現場に脚本は持ち込みません。バイブルのように見直したくないんです」

―『天国にちがいない』の中に、日本人のカップルが登場しますね。“ブリジット”をめぐるやり取りがとても面白かったのですが、あれはあなたが実際に体験してしたことなんですか?

そうなんです。と言っても、映画では実際の物事を元にしつつも、その通り描くわけではないんですが。映画のシーンを作るうちに、自ずと変わってくるんです。実際は、僕が間違えられたのは、ブリジットという名前じゃなかったかも。でも、ブリジットの方が面白いでしょう? そういうものです。

さきほど「人間喜劇」の話が出ましたが、あのお店の前で実際に起きたわけでもないんです。まず、何か気になることがあったらノートに書いておき、しばらくして見直すんです。僕にとっては実際に元になった出来事より、映画の中で起きたことの方が現実的なんです。とはいえ、あれは実際に僕が経験したことで、日本人カップルに出会ったのも本当のことですよ。映画の中ほど美男美女ではなかったんですけどね(笑)。オペラ座の近くには、日本人がたくさん住んでいるんです。不動産屋か誰かを探していたんでしょうね。僕がブリジットでもおかしくはないですよ。

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―壁にたくさんポストイットを貼り付けていましたが、実際、あれを元にスクリプトを組み立てているんですか?

はい。書く方法の一部というか。お気に入りアームチェアに座って、たった一人で壁のメモを見ながら、どんなシーンになるか可能性を考え、ひたすら想像するんです。ここに長い時間を費やしますし、時には何年ももかかります。コラージュしたり、つながりを考えて順番を入れ替えたり、いろいろ考えるんですが、僕の映画のつながりは、いわゆる古典的な映画のつながりとは違う。ドアを開いたらそこに何が見えるか、というつながりではなく、詩的なモンタージュですね。一枚の絵と絵の間に、何か宇宙的なつながりがあればいい。そんな風にひたすら時間をかけて考えるんです。何もしてないように見えるかもしれませんが、瞑想に近いと言えるかもしれません。その段階を経て、ようやく脚本を書きはじめます。登場人物がどんなふうに歩くか、とか、細部まで書きこんでいきますが、実際の撮影に僕は脚本を持ち込まないんです。

『天国にちがいない』© 2019 RECTANGLE PRODUCTIONS – PALLAS FILM – POSSIBLES MEDIA II – ZEYNO FILM – ZDF – TURKISH RADIO TELEVISION CORPORATION

―えーっ! 驚きました。

脚本はアシスタントに渡してしまいます。脚本をバイブルのように、見直したくないんですよ。だって書いている時からは、もう時間が経っている。撮影現場にいくと状況が変わるので、その場のインスピレーションを活かして撮りたいんです。言い換えれば、とても細部にこだわりつつ、脚本には縛られない。今そこで何が起きているのかを、観客と共有したいんです。そうじゃないと、ただの脚本の技術的な再現になってしまいますから。観客にデジャブや過去の出来事ではなく、いまそこにあるものを受け止めてもらうのが、映画の根幹です。もちろん、撮りながら何かずれてしまったりしたときは、アシスタントが脚本を開いてくれますけどね。

『天国にちがいない』© 2019 RECTANGLE PRODUCTIONS – PALLAS FILM – POSSIBLES MEDIA II – ZEYNO FILM – ZDF – TURKISH RADIO TELEVISION CORPORATION

「何か確信があるわけではないけれど、映画作りへの希望は持っています」

―最後に、このコロナ禍における映画作りについてお伺いします。2020年はカンヌ国際映画祭はじめ、多くの映画祭がオンライン開催もしくは中止になり、映画館も長いあいだ閉まっていました。こうした状況において、映画作りというのは、どのように変わっていくと思いますか?

僕らは今Zoomで話していますよね。物理的にはつながっていないけれども、こういう形でコミュニケーションを取ることはできる。悪いことばかりではないと僕は思っています。何か確信があるわけではないのだけれども、希望を持ってはいます。新型コロナウイルスによって生活様式は変わった。大変なこともあるけれど、実は当初、映画祭に行かずに済むようになって喜んでいたんですよ(笑)。だって、ひどい映画がどんどん作られているでしょう? どれもこれも同じような映画ばかり。まるで工場のように、つまらない映画が量産されている。映画産業というものをキープするためだけにね。そういう業界人がバッジをつけてウロウロしている映画祭に行っても、もうあまり楽しめずにいたんです。でも、こういう状況になって、映画というものをもっと本質的に捉えないといけなくなった。これは一つ、良い点かもしれません。

ただ、別の問題も同時に起きてしまいました。コロナ禍において、みんながNetflixやAmazonを利用するようになったことで、金のある企業だけがもっと金持ちになっていく。でも、ここから若い人は何かを学べるかもしれません。こうした社会構造の問題をどう考え、どんな映画を作っていくのか。古い世代には無理かもしれないけれど、若い世代はそこから面白い映画を生み出せると思います。とにかく続けていきましょう。

エリア・スレイマン監督

取材・文:石津文子

『天国にちがいない』は2021年1月29日(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国順次公開

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『天国にちがいない』

映画監督であるエリア・スレイマン(以下ES)は、新作映画の企画を売り込むため、そして新たなる故郷を探すため、ナザレからパリ、ニューヨークへと旅をする。

パリでは美しい景観に見惚れる一方、街を走る戦車、炊き出しに並ぶ大勢の人、救護されるホームレスを、ニューヨークでは映画学校の講演会で対談相手の教師から「あなたは真の流浪人ですか?」と唐突に質問をされ呆気に取られながら、街で銃を持つ市民、上空を旋回するヘリコプター、セントラルパークで警官に追われ逃げ回る裸の天使を目の当たりにする。さらに、肝心の映画企画は友人ガエル・ガルシア・ベルナルの協力を得るも「パレスチナ色が弱い」とプロデューサーからあっけなく断られてしまう。

パリからニューヨーク、いかに遠くへ行こうとも、平和と秩序があるとされる街にいようとも、何かがいつも彼に故郷を思い起こさせる。新たなる故郷での新生活への期待は間違いの喜劇となる。

アイデンティティ、国籍、所属に巡るコミカルな叙事詩(サーガ)。まるで、どこに行っても同じ――。この世界はパレスチナの縮図なのか? そこでESはある根本的な疑問を投げかける。「我々の“故郷”と呼べる場所とはいったい何なのか―?」

制作年: 2019
監督:
出演:
  • BANGER!!!
  • 映画
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