ジョン・フォード監督の死から52年
アイルランド系アメリカ人として、映画草創期の1910年代から半世紀以上現役として活躍し、“西部劇”というジャンルを築き上げたジョン・フォード監督。――アカデミー監督賞を史上最多の4回(『男の敵』[1935年]、『怒りの葡萄』[1940年]、『わが谷は緑なりき』[1941年]、『静かなる男』[1952年])受賞したフォードの個人史は、そのままハリウッド映画産業界の歴史であり、かつ西部劇というジャンルの辿った道筋の歴史でもある。
ジョン・フォードが亡くなったのは1973年で、今から52年も前になるが、筆者はその時のことを今でもよく覚えていて、亡くなった際の新聞記事もとってある。遠い日本の一映画ファンの小学生ですら偉大な映画監督が亡くなったことを知っていたくらいに、ジョン・フォードの名前は特別なものだったのだ。
今から3年前、スティーヴン・スピルバーグ監督の自伝的作品『フェイブルマンズ』(2022年)が公開された時、実際に若干21歳でユニヴァーサル映画と契約したスピルバーグが、スタジオで最晩年のジョン・フォード監督(演じていたのはデイヴィッド・リンチ監督だった!)と出会ってアドバイスを受けたエピソードが描かれていて感慨深かった。
そのスピルバーグが、新作に取り組んでいて行き詰った時に必ず観る映画の一本として挙げているのが、フォードの『捜索者』(1956年)なのだという。
なぜ『捜索者』は最も偉大な西部劇とみなされるようになったのか?
ジョン・フォードの代表的西部劇としては、『駅馬車』(1939年)、『荒野の決闘』(1946年)、『黄色いリボン』(1949年)、『リバティ・バランスを射った男』(1962年)と枚挙にいとまがないが、今日では『捜索者』こそ彼の最高傑作だという評価が一般的。“今日では”というのは、つまり初公開当時の評価は高くなかったということだが、それは通常、西部劇というジャンルでは主人公はあくまでもヒーローであり、襲い掛かってくるインディアンや、悪党どもからヒロインを護り、町の平和を守る立場であるのに対して、『捜索者』はまったく異なっていたから。
同作でジョン・ウェインが演じる主人公はインディアンに対する偏見に凝り固まった男で、インディアンたちに兄一家が殺され、年頃の姪と幼い姪の二人が拉致されたために追跡の旅に出る。もちろん、表向きは二人の姪の奪還だが、途中で年頃の姪はレイプされた上に惨殺死体となっていた。一緒に捜索の旅をしていたその姪の婚約者の青年や、兄一家に育てられたインディアンと白人の混血児の青年にも途中まで姪の死体を自分の手で埋葬したことを告げずに、もう一人の幼い姪を探す旅を続けた理由は、インディアンたちの手で育てられ、おそらく妻にさせられた姪は、インディアンと性的に交わったことで最早白人ではなくなったから、自分の手で殺すべきだと考えていたからだ。
ビリー・ザ・キッドやジェシー・ジェームズのような無法者を主人公とした映画は沢山あったものの、彼らはそれなりに魅力的な人物として描かれてきたのに対し、本作の様に復讐の念に凝り固まった、いわばアンチ・ヒーローが主人公である西部劇はそれまでになかった。……だからこそ、『捜索者』はある意味で西部劇のアンチテーゼとして時代を経るにしたがって評価が高まってきたのだ。