ホアキン・フェニックス&ルーニー・マーラに第一子誕生…その名はリヴァー・フェニックス!

ホアキン・フェニックス&ルーニー・マーラに第一子誕生…その名はリヴァー・フェニックス!
Debby Wong / Shutterstock.com

『ジョーカー』(2019年)のホアキン・フェニックス『ドラゴン・タトゥーの女』(2011年)のルーニー・マーラに第一子が誕生し、ホアキンの亡き兄で、俳優のリヴァー・フェニックスから名を取ってリヴァーと名付けたことが明らかになった。

ホアキンが製作総指揮をつとめる『ガンダ(原題)』ヴィクトル・コサコフスキー監督が、第16回チューリッヒ映画祭で、フェニックスがいかに映画に関わっていたかという質問に答える場面で「…ところで、ホアキンは父親になったばかりなんだ。リヴァーという、美しい名前の息子のね。」と明かした。

『スタンド・バイ・ミー』(1986年)、や『マイ・プライベート・アイダホ』(1991年)などに出演した名優リヴァー・フェニックス。1988年公開の主演作『旅立ちの時』ではアカデミー助演男優賞にノミネートされた。順調に実力派映画俳優として地位を確立しつつあった23歳の時に薬物の過剰摂取で亡くなってしまう。

先日、CBSのテレビ番組でホアキンは、兄であるリヴァー亡き後のメディアの動きが、家族にどのような影響を与えたかを振り返った。

「リヴァーは本当に実力のある俳優であり映画スターだったんだけど、僕たちはそれをよく分かっていなかったんだ。彼の死後、僕たちが最も傷ついてる時期に、家の上空をヘリコプターが飛び回っていた。なかには、敷地内に忍び込もうとする人もいた。私にとっては、彼らが喪に服すのを妨げているように感じたよ。」と語った。

またホアキンは、2019年のトロント国際映画祭でのスピーチで、兄リヴァーにすすめられて観た、ロバート・デ・ニーロ主演作『レイジング・ブル』(1980年)やリヴァーの言葉がきっかけに演技の道を進むことになったと語っている。

「私が15歳か16歳の時、兄のリヴァーが仕事から帰ってきて、『レイジング・ブル』という映画のVHSのコピーを持っていたんですが、彼は私を座らせて、その映画を観せると、翌日も彼は私を起こして、もう一度観せました。そして彼は“また演技を始めろ”と言ったんだ。“これが君がやるべきことだ”と私に意見を聞くこともとなく強くすすめてくれたんだ。彼は私に素晴らしい人生を与えてくれた。本当に感謝しているよ」と明かした。

ホアキンの次回作であるA24製作の最新作『C’mon C’mon(原題)』は2021年に公開が予定されている。

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