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無罪を勝ち取っても、会社は戻らない…映画『負けへんで』が描く「248日」と、勝てた者だけが語れるという現実

無罪を勝ち取っても、会社は戻らない…映画『負けへんで』が描く「248日」と、勝てた者だけが語れるという現実
©2026「負けへんで」製作委員会
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プレサンス事件の映画化を“痛快な逆転劇”で終わらせないために

2019年12月16日、東証一部上場の不動産会社プレサンスコーポレーションの創業社長、山岸忍氏が大阪地検特捜部に逮捕された。容疑は、大阪の学校法人の土地売却をめぐる巨額横領の共犯。山岸氏は一貫して否認し、大阪拘置所での身柄拘束は248日に及んだ。

保釈請求は繰り返し退けられた。そして2021年10月、大阪地裁は無罪を言い渡し、検察は控訴を断念して無罪が確定した。

本木克英監督、内野聖陽主演の『負けへんで』は、この事件を当事者の手記をもとに劇映画にした作品である。公表されているあらすじでは、主人公の不動産デベロッパー社長・藤堂繁が逮捕され、会社を守るために社長の座を降り、検事や元裁判官を含む弁護団とともに無実の証明に挑む。検事役は松本若菜。題名と布陣から察するに、作りは王道のエンターテインメントだろう。

観客は最後に胸のすく思いをするはずだ。だが、この事件の本当の教訓は、胸がすいた後に残る違和感のほうにある。

©2026「負けへんで」製作委員会

逮捕された瞬間に終わるもの

山岸氏は一代で会社を上場企業に育てた経営者だった。逮捕の報が流れると株価は急落し、金融機関との取引に支障が出る懸念が広がった。氏は勾留中に社長を辞任し、保有株を手放すことになる。会社は別の不動産大手の傘下に入った。

無罪判決が出たのは、そのずっと後である。判決は彼の名誉を回復したが、会社を返してはくれなかった。

©2026「負けへんで」製作委員会

日本の刑事司法では、有罪か無罪かは裁判で決まる建前になっている。しかし上場企業の経営者にとって、実質的な制裁は逮捕の時点で執行される。信用が資産である世界では、「特捜部が逮捕した」という事実だけで取引は止まる。裁判所が無罪と言うまでの2年近くを、会社は待てない。

これは経営者に限った話ではない。会社員なら逮捕で職を失い、自営業者なら顧客を失う。長く勾留されれば、家賃も払えなくなる。否認を続ければ保釈が認められにくいという運用のもとでは、「やっていないが、認めて早く出る」という選択が合理的になってしまう。人質司法と呼ばれる問題の核心は、身体の拘束そのものより、拘束が自白と引き換えの通貨として機能していることにある。

ここで見落とされがちなのは、勾留を認め、保釈の請求を退け続けたのが、検察ではなく裁判所だということだ。検察官が勾留を求めても、それを許可するかどうかを決めるのは裁判官である。証拠を隠すおそれがある、という理由で、否認する被告人の保釈は認められにくい。だが、否認していること自体が「証拠隠滅のおそれ」の根拠にされるなら、無実を主張する人ほど長く拘束されることになる。検察の暴走を止めるはずの裁判所が、結果としてそれを追認していなかったか。248日という数字は、裁判所にも向けられた問いである。

©2026「負けへんで」製作委員会

カメラが映した「検察なめんなよ」

この事件が歴史に残るのは、無罪の決め手が取り調べの録音・録画だったからだ。

2010年の郵便不正事件での証拠改ざんを受け、検察の独自捜査事件では取り調べの全過程を録音・録画することが義務づけられた。プレサンス事件はその対象だった。そして記録には、検事が山岸氏の元部下を取り調べる場面で、机を叩き、長時間にわたり大声で責め立てる様子が残っていた。「検察なめんなよ」という言葉は、のちに民事訴訟の過程で映像の一部が公開され、広く知られることになった。

元部下は当初、山岸氏の関与を否定していた。それが取り調べを経て、関与を認める供述に変わった。裁判所は、この供述の変遷に取り調べが影響した可能性を重く見て、信用性を退けた。

ここには二つの事実が同居している。可視化は機能した。カメラがなければ、供述調書だけが法廷に出され、有罪になっていた可能性は小さくない。同時に、カメラが回っていると知りながら、検事はあの取り調べをした。見られていても変わらないほど、筋書きに合う供述を取るという行動様式が組織に染みついていたことになる。同じ大阪地検特捜部で証拠改ざんが起きてから、10年も経っていなかった。

引き返せない〈組織〉

なぜ、同じ過ちが繰り返されるのか。個々の検事の資質に帰すだけでは説明がつかない。

通常の刑事事件では、警察が捜査し、検察がその結果を点検して起訴するかどうかを決める。捜査する者と、起訴を判断する者が別々にいる。ところが特捜部の独自捜査では、検察自身が事件の端緒をつかみ、関係者を取り調べ、逮捕し、起訴する。ブレーキを踏むべき立場の人間が、アクセルも踏んでいる。

しかも特捜事件は、着手の前に上級庁の決裁を重ねる。地検の幹部、高検、場合によっては最高検。多くの上司が「やれる」と判を押した事件を、現場の判断で止めるのは難しい。途中で見立てに合わない証拠が出てきても、筋書きを修正するより、証拠の評価を筋書きに合わせるほうへ力が働く。供述を引き出す腕のある検事が高く評価される文化も、長く指摘されてきた。

©2026「負けへんで」製作委員会

組織論の言葉で言えば、これは埋没費用と集団思考の問題である。投じた人員と時間が大きいほど、撤退は敗北に見える。起訴した事件で無罪が出れば失点になるが、「立件を見送った」ことが功績として数えられる仕組みはない。引き返す勇気を評価する物差しを持たない組織は、突き進むことしかできない。

本作でメガホンをとる本木克英監督は、『空飛ぶタイヤ』などで、巨大組織の論理と個人の良心の衝突を娯楽作に仕立ててきた。検事役に松本若菜を据えた布陣は、検察側を単純な悪として描かない可能性を感じさせる。組織の内側で、誰がどの時点で「おかしい」と気づき、なぜ口にできなかったのか。そこまで踏み込んでいるかどうかが、本作の射程を決めるだろう。

©2026「負けへんで」製作委員会

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