検事を裁く法廷、国を問う法廷
事件後の経過は、制度の壁の高さを示している。
山岸氏側は取り調べを担当した検事らを刑事告発したが、検察は不起訴とした。検察が検察を起訴しない以上、残る道は、裁判所に直接審判を求める付審判請求しかない。大阪高裁は2024年8月、元部下を取り調べた検事について特別公務員暴行陵虐罪で審判に付す決定を出した。
検事の取り調べ中の言動が刑事裁判にかけられるのは、きわめて異例である。公判は2026年7月に大阪地裁で始まり、検事側は「真実を引き出すためだった」として無罪を主張している。判決はまだ出ていない。
©2026「負けへんで」製作委員会
ここで付け加えておくべきことがある。この検事にも、推定無罪の原則は等しく及ぶ。映画が検事を悪役として描くのは作劇上自然だが、現実の法廷で問われているのは一人の人間の刑事責任であり、その結論は裁判所が出す。冤罪を批判する者が、別の誰かを判決前に断罪するなら、同じ過ちを反対側から繰り返すことになる。
国の責任を問う国家賠償請求訴訟も続いている。山岸氏は約7億7000万円の賠償を求めたが、大阪地裁は2025年3月、請求を棄却した。無罪が確定しても、逮捕や起訴がただちに違法になるわけではなく、違法と言えるのは捜査や証拠の評価に著しい過誤があった場合に限られる、という従来の判断枠組みに沿ったものだ。控訴審の大阪高裁は、2027年1月に中間判決を言い渡す予定と報じられている。映画の公開は、ちょうどその直前にあたる。
つまり現実は、映画のエンドロールでは終わっていない。無罪の先に、責任を誰がとるのかという問いが、いまも法廷で争われている。
| 年月 | 出来事・司法判断 |
|---|---|
| 2019年12月 | 山岸忍氏が大阪地検特捜部に逮捕される(身柄拘束248日) |
| 2021年10月 | 一審・大阪地裁で無罪判決。検察が控訴を断念し無罪確定 |
| 2024年8月 | 大阪高裁が取り調べ担当の現職検事について付審判決定(特別公務員暴行陵虐罪) |
| 2025年3月 | 国家賠償請求訴訟(約7億7000万円)で一審・大阪地裁が請求棄却(山岸氏側は控訴) |
| 2026年7月 | 付審判決定を受けた現職検事の刑事裁判(初公判)が大阪地裁で開始 |
| 2026年11月 | 映画『負けへんで』全国公開(11月13日) |
| 2027年1月 | 国家賠償請求訴訟の控訴審(大阪高裁)にて中間判決言い渡し予定 |
「検察が言うなら…」と思う私たち
この事件を検察だけの問題として片づけると、大事なものを見落とす。
逮捕当時、山岸氏は多くの報道で「容疑者」として実名と顔写真つきで伝えられた。読者の大半は、特捜部が上場企業の社長を逮捕するからには相応の証拠があるのだろう、と受け取ったはずだ。日本の刑事裁判の有罪率が99%を超えるという数字は、検察が慎重に起訴しているという信頼の根拠として語られてきた。その信頼が、逮捕イコール有罪という世間の感覚を支え、取引先や銀行の判断を支え、結果として無実の人間から会社を奪った。
世の中は基本的に公正にできていて、ひどい目に遭う人にはそれなりの理由がある――多くの人はそう信じたがる。社会心理学が公正世界信念と呼ぶこの傾きは、冤罪の被害者に対して残酷に働く。「何もないのに逮捕されるはずがない」という一言が、どれだけ多くの人を孤立させてきたか。
捜査機関の発表をそのまま流す報道、逮捕の時点で関係を切る企業の危機管理、それを当然と見る私たち。人質司法は、拘置所の中だけで完結している制度ではない。
©2026「負けへんで」製作委員会
勝てたのは、なぜか?
もうひとつ、映画が娯楽作として成功すればするほど見えにくくなる点がある。山岸氏は、なぜ勝てたのか。
あらすじにあるとおり、弁護団には検事、元裁判官、刑事弁護や企業法務の専門家が顔をそろえた。膨大な録音・録画を一コマずつ精査し、供述の変遷を突き止める作業には、相応の人手と費用がかかる。それを負担できる資力が、山岸氏にはあった。248日の拘束に屈しなかった精神力も、支える家族や仲間も、手記を出版して映画化にこぎつける発信力もあった。
では、それらを持たない人はどうなるのか。国選弁護人ひとりで、同じ闘いができるだろうか。勾留中に仕事を失い、家族の生活が立ちゆかなくなった人が、否認を貫けるだろうか。
映画になるのは、勝った人の物語である。負けた人、闘う前に折れた人、認めて出るしかなかった人の物語は、手記にも映画にもならない。本作を観るときは、スクリーンに映らないその人たちのことを考えておきたい。そうしないと、この映画は「強い人は報われる」という、冤罪の教訓とは正反対のメッセージとして受け取られかねない。
©2026「負けへんで」製作委員会
報道は何をした?
逮捕から無罪までの過程で、報道が果たした役割も検証されるべきだ。
特捜部が上場企業の社長を逮捕する。これは大きなニュースである。各社は逮捕の当日から、容疑の内容、資金の流れ、関係者の供述とされる情報を詳しく報じた。その多くは、捜査当局への取材にもとづいている。検察は公式には捜査の中身を語らないが、記者は幹部や担当者に日々接触して情報を得る。そこで語られるのは、当然ながら検察の見立てである。
弁護側の言い分は、被疑者が勾留されて接見も制限される中では、ほとんど外に出てこない。結果として、逮捕の時点で世の中に流れる情報は、一方の当事者の主張にほぼ限られる。読者は、それを「事実」として受け取る。
2年後の無罪判決は、もちろん報じられた。しかし、逮捕のときと同じ大きさ、同じ熱量で報じられただろうか。インターネット上には、逮捕時の記事や、それを引用した書き込みが残り続ける。名前を検索すれば、「逮捕」の二文字がいまも並ぶ。無罪が確定しても、検索結果は自動的には書き換わらない。
報道機関の側にも事情はある。逮捕という公権力の行使を報じないわけにはいかない。捜査の動きを監視することは報道の役割でもある。だが、監視するはずの相手から情報をもらう関係は、構造的に緊張を欠きやすい。逮捕時にどこまで断定的に書くか。否認していることをどう伝えるか。無罪になったとき、どう検証するか。この事件は、検察だけでなく、それを伝えた側にも宿題を残している。
©2026「負けへんで」製作委員会
映画の“鑑賞後”に知るべき事実
提案は二つある。
ひとつは、鑑賞後に現実の時系列を確かめることだ。逮捕から無罪確定まで約2年、付審判決定までさらに3年、国賠訴訟はなお継続中。劇映画は2時間で決着をつけるが、現実の回復には10年近い歳月がかかっている。その長さこそが被害の実体である。
もうひとつは、制度の話として持ち帰ることだ。否認すれば保釈されにくい運用の見直し。取り調べへの弁護人の立ち会い。任意の事情聴取を含めた録音・録画の範囲の拡大。検察官の違法な職務行為を第三者が検証する仕組み。逮捕段階での実名報道のあり方。どれも長年議論されながら、決着していない。
「負けへんで」は、一人の経営者が自分を奮い立たせるために書いた言葉だ。だが、個人の気力に頼らなければ無実を証明できない制度は、制度として負けている。この映画の本当の続編は、劇場の外で書かれるしかない。
【作品情報】
『負けへんで』 2026年11月13日(金)公開/監督:本木克英/原作:山岸忍「負けへんで! 東証一部上場企業社長vs地検特捜部」/出演:内野聖陽、松本若菜、竜星涼、美村里江、北村一輝ほか/配給:ギャガ
公式サイト
※本稿は公開前の時点で、公表されている作品資料、原作に関する公開情報、裁判に関する報道をもとに執筆した。検事の刑事裁判および国家賠償請求訴訟の控訴審は本稿執筆時点で係属中である。