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天才スピルバーグはどんな家庭で育ったのか? 自伝的物語『フェイブルマンズ』は「生涯に一本」級の映画

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ライター:#森直人
天才スピルバーグはどんな家庭で育ったのか? 自伝的物語『フェイブルマンズ』は「生涯に一本」級の映画
『フェイブルマンズ』© Storyteller Distribution Co., LLC. All Rights Reserved.

アカデミー賞計7部門ノミネート

「人生は一冊の書物に似ている」という、ドイツの小説家ジャン・パウル(1763年生~1825年没)が遺した有名な名言がある。つまり裏を返すと、自分の人生そのものを題材にすれば、生涯にひとつの物語は誰でも書ける、というわけだ。

そんな「生涯に一本」級の映画を、あの大巨匠、スティーヴン・スピルバーグ監督(1946年生まれ)がガチで撮ってしまった。映画監督の自分語り――オートフィクション(自伝的内容を基にした創作)系の映画は世に数多いが、その他大勢とはまったくレベルの違う破格の決定版! それが3月3日(金)に日本公開となる『フェイブルマンズ』だ。日本時間3月13日(月)に授賞式が予定されている第95回アカデミー賞では、作品賞や監督賞をはじめ計7部門にノミネートを果たした本命のひとつである。

『フェイブルマンズ』© Storyteller Distribution Co., LLC. All Rights Reserved.

「物語は絶えず私を現実の記憶に強く引き戻す」

タイトルの“The fabelmans”とは「フェイブルマン一家」もしくは「寓話を語る者」という意味。物語は1952年の冬から始まる。まだ幼い主人公の少年、サミー・フェイブルマンは映画館の暗闇を怖がっていた。「暗いところなんかイヤだ!」とぐずる彼だが、両親に「絶対素敵だから」と説得されて初めて映画館に足を踏み入れる。そこで鑑賞したのは『地上最大のショウ』(1952年/監督:セシル・B・デミル)。大きなスクリーンに映し出されるサーカス団の華麗なスペクタクルに、すっかり魅了されるサミー少年。とりわけ列車が衝突して大脱線事故を起こすシーンの迫力に取り憑かれた。

同作は当時、第25回アカデミー賞の作品賞と原案賞を受賞。ちなみに製作に協力したサーカス団、リングリング・ブラザーズ&バーナム&ベイリー・サーカスを19世紀に設立した興行師のP・T・バーナムを描いたのが、近年の人気作『グレイテスト・ショーマン』(2017年/監督:マイケル・グレイシー)である。

 

この『地上最大のショウ』が、実際にスピルバーグの映画開眼の一本だったというエピソードは有名。だが史実とは微妙な変更がある。スピルバーグが生まれ育ったのは米オハイオ州シンシナティだが、映画では東海岸のニュージャージー州という設定。また映画館には両親とも連れ添っていたわけではなく、父親とふたりで観たらしい。もちろん『フェイブルマンズ』はスピルバーグの自画像的なポートレートなのだが、あくまでフィクション(寓話)として実体験の記憶を客観視しようとする努力が、こういった脚色から見て取れる。だが対象化の作業において、なかなか冷静にはなれなかったようだ。スピルバーグは公式のプロダクションノートで率直にこう語っている。

自分と被写体の間に距離を取ろうと思った。だが、それは難しかった。物語は絶えず私を現実の記憶に強く引き戻すからね。

『フェイブルマンズ』© Storyteller Distribution Co., LLC. All Rights Reserved.

共同脚本を務めたのは劇作家・脚本家のトニー・クシュナー(1956年生まれ)。スピルバーグとは『ミュンヘン』(2005年)、『リンカーン』(2012年)、『ウエスト・サイド・ストーリー』(2021年)で過去三度組んでいる頼れる相棒だ。クシュナーとのトークセッションを重ねたうえでの執筆作業を、スピルバーグは「自分の内面をさらけ出すセラピーのようなもの」だったと冗談半分で喩えている。

※以下、物語の内容に一部触れています。ご注意ください。

芽生える映画作りの野心、母親への複雑な想い

やがてフェイブルマン一家は、父親の仕事の都合でアリゾナ州に引っ越す。ティーンエイジャーに成長したサミー少年(ガブリエル・ラベル)が登場すると、映画『フェイブルマンズ』は若き日のスピルバーグの実人生にますます接近する。

新たな暮らしが始まる中、すでに父親の8mmカメラを使って動画撮影に親しんでいたサミーは、ジョン・フォード監督の西部劇『リバティ・バランスを射った男』(1962年)に感激。いよいよ本格的な映画作りの野心が芽生え始める。

『フェイブルマンズ』© Storyteller Distribution Co., LLC. All Rights Reserved.

ざっくり整理すると、本作の主題は大きくふたつの柱がある。ひとつは映画監督としての自己実現。しかも子供の頃から運命的にカメラを与えられ、早々に桁違いの才能を発揮してみせた天才少年としての「セルフ偉人伝」の部分。劇中でサミーが友人たちと撮った戦争映画『Escape to Nowhere』などは、とても10代の素人による自主映画とは思えぬ質の高さ! もっともスピルバーグ自身、実際に彼が少年期に撮った8mm映画より、サミーの映画のほうがずっと出来が良いことは認めているのだが。

そんな彼に強い影響を与えた身内が、ショービジネスやハリウッド業界を知る一族の変わり者、サミーの祖母の兄であるボリス伯父さんだ。この役を演じるジャド・ハーシュはアカデミー賞助演男優賞にノミネートされている。

もうひとつは両親のこと――特に母親への複雑な想いだ。スピルバーグの実際の両親は、コンピューター・デザイナーの先駆者である電気技師の父アーノルド・スピルバーグ(1917年生~2020年没)と、コンサートピアニストとして活躍していた音楽家である母リア・アドラー(1920年生~2017年没)で、ふたりはスピルバーグが高校を卒業した後に離婚している。それが『フェイブルマンズ』の父バート(ポール・ダノ)と、母ミッツィ(ミシェル・ウィリアムズ)というキャラクターに反映された。スピルバーグがこの映画を撮ろうと決意したのも、2017年に母が、2020年に父が亡くなった(両親とも約100歳の長寿!)のが具体的なきっかけだったらしい。

『フェイブルマンズ』© Storyteller Distribution Co., LLC. All Rights Reserved.

それもそのはず、本作では相当生々しい両親の関係が描かれる。キーパーソンは、父バートの親友ベニー・ローウィ(セス・ローゲン)だ。彼とフェイブルマン夫妻の、夏目漱石の「こころ」や武者小路実篤の「友情」のような三角関係の苦悩が示され、その大人の秘密が一家の子供たち――多感な思春期を生きるサミー少年の成長にもひとつの影を落とすのだ。やがて父のIBMへの転職を機に、一家はカリフォルニアへと引っ越すのだが、アリゾナ州に残ったベニーと離れてしまったことで、母ミッツィは心のバランスを崩し始める。

そんなカリフォルニアの新生活――特にサミーのハイスクールライフはかなり憂鬱なものになる。慣れない土地にやってきた転校生のうえ、家庭内の不和や軋轢で内向的になり、体格は小柄。そしてユダヤ系であることの差別も。いかにも教室の隅っこに居るような、冴えないキャラとして定着したサミーは、同級生たちから苛酷ないじめを受けるようになるのだ。

『フェイブルマンズ』© Storyteller Distribution Co., LLC. All Rights Reserved.

ぎゅっと詰め込まれたスピルバーグの「生涯」の濃厚エッセンス

一時期は大好きな映画からも離れていたサミーだが、しかし彼を本来の道に引き戻す転機が訪れる。1964年、ハイスクールの卒業を控えたサミーは、学生たちのビーチパーティーの記録映像を撮る係を務めることになる。自らカメラを抱えて撮った映像素材に、ポップな編集と音楽を加え、見事な「作品」に仕立て上げたサミーは、学校の上映で皆から大喝采を受ける。しかも驚くべきことに、その映像の中では、サミーを執拗にいじめていた「反ユダヤ野郎」でジョックス(体育会系)のローガン(サム・レヒナー)が、まるで「美神」のごとく、完璧な学園のヒーローとして映っていたのだ。

このエピソードから、かつてレニ・リーフェンシュタール監督がナチス・ドイツの管理下のもとで、1936年のベルリンオリンピックを記録した映画『オリンピア』(1938年)を想起する人は多いかもしれない。リーフェンシュタールは、選手たちの躍動する肉体をギリシャ的な「美神」としてダイナミックに捉え、政治的には反ユダヤのプロパガンダ映画として問題視されるいわく付きの作品だが、映画芸術上は歴史的な名作と認められている。

そして今回、他ならぬホロコーストの悲劇をテーマにした映画『シンドラーのリスト』(1993年)なども撮っているユダヤ系のスピルバーグは、しかし映画作家としての本能というものは、いかなる政治的、思想的な意図をも超えて、カメラの前の完璧な被写体を追ってしまうものだと、サミーの行為を通して示したのだ。これはスピルバーグがシネアストとしての本質を語った極めて重要なシーンだと思える。

だが「美神」としてスクリーンに映っていた自分を目にして、当のローガンは激しく動揺する。そして学校の廊下のロッカー前で、「本当の俺はあんな人間じゃない……現実は映画とは違うんだ」と、涙ながらにサミーに告白する。マッチョなイケメン勝ち組男子が見せる意外な弱さと繊細さ。このラインは『桐島、部活やめるってよ』(2012年/監督:吉田大八)の、映画部・前田涼也(神木隆之介)と野球部・菊池宏樹(東出昌大)が最後に屋上で交わす会話に近い。スクールカーストの垣根を超えて、お互いの等身大の本音が露わになる時。ここはおそらく『フェイブルマンズ』のいちばんの泣きどころだ。

約2時間半の尺に、スピルバーグの「生涯」のエッセンスをぎゅっと詰め込んだ濃厚な密度。こういった数々の体験や葛藤を通過して、サミー少年の物語は(とりあえずの)素晴らしいフィナーレを迎える。“ある巨匠監督”との束の間の邂逅。ここはサミーと同じく、我々観客もサプライズで味わいたい。

“Thank you”(ありがとう)
“My pleasure”(どういたしまして)

シンプルなあいさつで締めくくられる、人生を変えるほどの名場面。すべての映画ファンにとっての宝物と呼べるこの映画にふさわしい、最高に幸福なラストシーンだ。

文:森直人

『フェイブルマンズ』は2023年3月3日(金)より全国公開

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