北朝鮮を信じた母が語る「済州4・3事件」の悲劇『スープとイデオロギー』 ヤン・ヨンヒ監督が紡ぐ家族の物語

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ライター:大倉眞一郎
北朝鮮を信じた母が語る「済州4・3事件」の悲劇『スープとイデオロギー』 ヤン・ヨンヒ監督が紡ぐ家族の物語
『スープとイデオロギー』©PLACE TO BE, Yang Yonghi

オモニの衝撃スープ

ヤン・ヨンヒのオモニは大事な時にはスープを作る。参鶏湯のようだけど、主役はあくまでもスープなので、ちょっと違う。大きな丸鶏の腹に高麗人参と、どうすればそんなに入ると驚くほどのニンニクをギューギューに詰め込む。それを鍋に入れてひたすら煮込む。これじゃ、ニンニクが勝ちすぎて鶏味のニンニクスープになるんじゃないかと心配になるが、仕上がりを見る限り、よだれしか出てこない。至高のスープ。自宅で真似をしてみたいが、あの大量のニンニクには家族が引きそうなので、一度一人の時に作ってみる。

『スープとイデオロギー』©PLACE TO BE, Yang Yonghi

大阪生まれの映画監督ヤン・ヨンヒの両親は「帰国事業」(※在日コリアンの集団的帰還)で兄3人を北朝鮮に送った。この帰国事業については多くの小説で取り上げられているし、調べればいくらでも資料が出てくるので、深くは取り上げない。亡くなった父親は朝鮮総連の大物で、家には今も金日成、金正日の肖像画が掲げられている。ヤン・ヨンヒは朝鮮大学校を出て、朝鮮高校で教師をしていたが、ニューヨークに渡り様々な仕事を経験したのち、映像の仕事を始め、執筆活動も積極的に行なっている。ただ、母親との関係は必ずしも良好ではない。豊かな生活をしているわけでもないのに、北朝鮮にいる息子たちへ自分の生活がギリギリになるほど仕送りをし続けていることも理由の一つ。「もうみんな大人よ。自立して生きてもらわんとオモニの方が生活ができなくなる」と腹が立って責め立てるが、聞いているのかいないのか。

『スープとイデオロギー』©PLACE TO BE, Yang Yonghi

亡くなったアボジ(父親)は、ヨンヒの結婚相手は日本人とアメリカ人だけは絶対に許さん、と言い残したが、ヨンヒが選んだのは12歳下の日本人だった。オモニはスープを作る。きれいに化粧をして満面の笑顔で婚約者を迎え入れる。緊張感丸出しの婚約者は「美味しいです。美味しいです」と繰り返す。

『スープとイデオロギー』©PLACE TO BE, Yang Yonghi

なぜそこまで北朝鮮だったのか

ヨンヒが分からなかったのは、どうしてそこまで両親が北に肩入れをしていたのかだった。もちろん軍事政権下の韓国に対する拒否感があったとはいえ、日本政府は韓国籍を持つ在日コリアンにのみ「永住権」を与えており、朝鮮籍から韓国籍への書き換えを拒む人間にはその「永住権」を与えていない。彼らの在留資格は「特別永住」という理解しにくいものである。

オモニは大動脈瘤の治療のため入院する。そのベッドの上で突然、済州島で起きた70年前の「済州4・3事件」について話し始める。「オモニたちがたくさん殺されてん。みんな並べて機関銃で」。ヨンヒは驚く。何の話や、全然聞いたことなかった。オモニは日本で生まれて育ったはずやろう。何があった。

『スープとイデオロギー』©PLACE TO BE, Yang Yonghi

オモニは15歳の時に大阪大空襲の後、両親の出身地である済州島に疎開した。2年後、南北統一独立国家設立のためのデモに対して警官隊が発砲し、島民6名が死亡。それを機に共産主義者、軍事政権から送られてきた右翼、ヤクザ、旧日本軍協力者が入り乱れ、テロ、拷問等の混乱が続いた。そして1948年4月3日、「武装蜂起」が起こる。

『スープとイデオロギー』©PLACE TO BE, Yang Yonghi

ただし、この「武装蜂起」自体「武装」と呼べるほどのものかどうか怪しい。旧式の銃が30丁程度、そのほかは斧・鎌・竹槍である。その蜂起をきっかけに済州島は殺戮の島へと変わっていく。島民2万5千人〜3万人が犠牲となり、村の70%が焼かれてしまう。犠牲となった島民の多くはイデオロギーなんて知ったことではなかったが、それでも有無を言わさず殺された。オモニは島を脱出し、大阪の生野区へ戻る。

『スープとイデオロギー』©PLACE TO BE, Yang Yonghi

そんな出鱈目なことをやって勝手に独立した韓国が許せるはずがない。南朝鮮は当時アメリカ軍下にあったのだから、アメリカも当然許せない。元々朝鮮分断が起きたのは日本が植民地にしていたからだから、日本も許せない。北に兄3人を送ったのは必然だった。

当時の北朝鮮は韓国よりも経済力があったことは事実で、日本で差別されながら苦しい生活を送るより「地上の楽園」に夢を託したことは何ら不思議ではない。

『スープとイデオロギー』©PLACE TO BE, Yang Yonghi

済州島に「帰る」

済州島に帰り、「済州4・3事件」追悼式に行きたい。オモニは済州島で起きたことを初めて語って以来、劇的に認知症が進んでしまったが、文在寅大統領が就任後、朝鮮籍を持つ在日コリアンの入国制限を緩和するという。ヨンヒもオモニを連れて「帰りたい」。オモニに対して突き放した感情も持っていたヨンヒは何を思うのか。

『スープとイデオロギー』©PLACE TO BE, Yang Yonghi

済州島には一度、2泊3日の時間のない旅をしたことがある。そこで案内してもらった女性ガイドの方が、済州島は文化も言葉も韓国とは本来全然違うんだと話してくれた。どこまで正確なのかは分からなかったし、今でも正直そこまで言っていいのかどうか不安だが、「済州島の言葉は韓国語、モンゴル語、沖縄語が混ざったようなもの」だと言うのである。

「済州4・3事件」の背景には、済州島島民への根強い差別も深く関係しているという。今や韓国人にも日本人にも超人気スポットとなり、そんな気配を感じさせない場所になっているが、私は済州島と沖縄の類似点ばかりが気になる。どちらも一大観光地だが、無理矢理異なる文化を持つ国に入れられて、捨てられた。そして過去に起きたことは忘れられようとしている。

『スープとイデオロギー』©PLACE TO BE, Yang Yonghi

沖縄では毎年カタチばかりの沖縄全戦没者追悼式が行われるが、それで果たしてどれくらいの日本人が追悼の意を共有しているのだろうか。韓国では2003年に就任した盧武鉉大統領が初めて島民へ謝罪したが、その後、文在寅大統領が就任するまでこの事件については国家責任について積極的に語られることはなかった。
国とは何だろう。

ヤン・ヨンヒは『Dear Pyongyang ディア・ピョンヤン』(2005年)、『愛しきソナ』(2009年)、そしてこの『スープとイデオロギー』で家族ドキュメンタリーを終えた。『かぞくのくに』(2011年)では自分の家族の出来事を劇映画に変えて語った。次はどこへ行くのだろうか。

『スープとイデオロギー』©PLACE TO BE, Yang Yonghi

文:大倉眞一郎

『スープとイデオロギー』は2022年6月11日(土)より全国順次公開

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『スープとイデオロギー』

大阪・生野区生まれ、在日コリアンのオモニ(母)。
2009年にアボジ(父)が亡くなってからは大阪でずっと一人暮らしだ。
ある夏の日、朝から台所に立ったオモニは、高麗人参とたっぷりのニンニクを詰め込んだ丸鶏をじっくり煮込む。
それは、ヨンヒとの結婚の挨拶にやって来るカオルさんにふるまうためのスープだった。
新しい家族に伝えたレシピ。突然打ち明けた「済州4・3事件」の壮絶な悲劇。
アルツハイマーでしだいに記憶を失なっていく母を、ヨンヒは70年ぶりに春の済州島へ連れていく――

監督・脚本・ナレーション:ヤン ヨンヒ
撮影監督:加藤孝信
編集・プロデューサー:ベクホ・ジェイジェイ
音楽監督:チョ・ヨンウク
アニメーション原画:こしだミカ
アニメーション衣装デザイン:美馬佐安子
エグゼクティブ・プロデューサー:荒井カオル

制作年: 2021
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