原発事故の真実描く『チェルノブイリ1986』 恐怖のあまり常軌を逸していく様子を消防士や民衆視点で捉えたリアリティ

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ライター:稲垣貴俊
原発事故の真実描く『チェルノブイリ1986』 恐怖のあまり常軌を逸していく様子を消防士や民衆視点で捉えたリアリティ
『チェルノブイリ1986』©≪Non-stop Production≫ LLC, ©≪Central Partnership≫ LLC, ©≪GPM KIT≫ LLC, 2020. All Rights Reserved.

タイムリーゆえに切実なリアリティ

まさかこんな時代になろうとは。『チェルノブイリ1986』の日本公開が決定した2022年1月の時点では、ロシアによるウクライナ侵攻はまだ始まっていなかった。約1ヶ月後に侵略行為が開始されたのち、チェルノブイリ原子力発電所はロシア軍により制圧されている。3月末には、日本政府がウクライナの首都・キエフを「キーウ」に、チェルノブイリを「チョルノービリ」に呼称変更することを決定。ともにロシア語ではなくウクライナ語の発音に近い名前が採用された。

すなわち現在の表記法に従うなら、『チェルノブイリ1986』という邦題も「チョルノービリ1986」が正しいのだが、このタイトルは“それ以前”に決定されたもの。いかに本作が期せずしてタイムリーな映画となり、またデリケートな時期に劇場公開されるかがうかがえるというものだ。しかしそれゆえにこそ、本作は切実なリアリティを伴って観る者に迫ってくる。

『チェルノブイリ1986』©≪Non-stop Production≫ LLC, ©≪Central Partnership≫ LLC, ©≪GPM KIT≫ LLC, 2020. All Rights Reserved.

物語の舞台は1986年、ウクライナ/ソビエト連邦のプリピャチ。消防士のアレクセイ(ダニーラ・コズロフスキー)は、10年前に別れた恋人のオリガ(オクサナ・アキンシナ)と再会し、二人の間に息子が生まれていたことを知る。オリガと息子とともに人生の新たなステップへ踏み出そうと考えたアレクセイは、プリピャチからキエフへの異動を申し出た。

ところが4月26日の未明、チェルノブイリ原子力発電所にて爆発事故が発生する。明け方に現場へ向かったアレクセイは、黒煙と青白い炎、空から落ちてくるカラスたちを目撃する。そして、消火活動の中で放射線を浴び、次々と倒れていく仲間たちの姿を……。短時間ながら被曝したアレクセイは病院で手当てを受け、その後、原発の地下構造に詳しいという理由から事故処理委員会の呼び出しを受ける。

『チェルノブイリ1986』©≪Non-stop Production≫ LLC, ©≪Central Partnership≫ LLC, ©≪GPM KIT≫ LLC, 2020. All Rights Reserved.

事態はアレクセイの認識よりもはるかに深刻だった。爆発した4号機から流出した核燃料が貯水タンクに到達すると大規模な水蒸気爆発が起こり、ヨーロッパ全土が放射能に汚染されてしまうのだ。最悪の事態を防ぐには、誰かが原発の地下に戻り、貯水タンクの排水弁を開かなければいけない。最初は拒絶するアレクセイだったが、やがて、被曝による体調不良に苦しむ息子がスイスでの治療を受けられることを条件に、この危険な任務に志願するのだった。

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原発事故をジャンル映画として撮る

製作・監督・主演を担ったダニーラ・コズロフスキーは、チェルノブイリ原発事故という歴史的惨事を映画化するにあたり、いくつかのリスクを背負っている。ひとつは、意図的にジャンル映画的なアプローチを選択したことだ。爆発事故や消火活動のくだりはディザスター映画/ホラー映画のテイストが色濃く、後半の任務パートでは戦争映画/アクション映画のような味わいが強まる。アレクセイとオリガ、そして息子の3人を描くパートはわかりやすくウェットなメロドラマだ。

『チェルノブイリ1986』©≪Non-stop Production≫ LLC, ©≪Central Partnership≫ LLC, ©≪GPM KIT≫ LLC, 2020. All Rights Reserved.

むろん、コズロフスキーが原発事故をジャンル映画として撮ろうとしたわけではないことは明らかである。そこにあるのは、事故をめぐる状況をアレクセイや消防士たち、またはオリガや息子に代表される民衆の視点から丁寧に描こうという志だろう。本作は原発事故そのものより、むしろ市井の人々を描く物語となっている。

『チェルノブイリ1986』©≪Non-stop Production≫ LLC, ©≪Central Partnership≫ LLC, ©≪GPM KIT≫ LLC, 2020. All Rights Reserved.

コズロフスキーの手法を支えたのは、徹底的に追求された当時のリアリティだ。プロデューサーのアレクサンデル・ロジニャンスキーは、1986年の事故発生当時、ドキュメンタリー映画監督として爆発5日後のチェルノブイリを訪れ、その惨状を自ら目撃。その後、事故の映画化を長年試みてきたという。コズロフスキーとロジニャンスキー率いる製作チームは、数多の証言や記事、映像などを基に綿密なリサーチを実施。小道具や衣裳は1980年代当時の本物にこだわり、さらにはロシア政府や国営原子力企業・クルアトムの協力を得て、多くのシーンをクルスク原子力発電所で撮影することに成功した。

地獄絵図のごとき様相を呈する事故現場での消火活動や、アレクセイ自身が参加する原発地下への再潜入任務の凄味は、まぎれもなくこうしたリアリティの賜物だろう。本作は、事故の被害を食い止めようと奔走した“現場の人々”に焦点を当てることで、彼らの視点からしか見られない風景を観客に見せようとも試みている。任務に参加したチームの仲間たちが、恐怖のあまり常軌を逸していくさまは、ほとんど『地獄の黙示録』(1979年)を目指したような印象さえ残すものだ。

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映画やドラマの力を借りて、現実の多面性を見つめる

チェルノブイリ原発事故を描いた作品といえば、HBO製作のテレビドラマ『チェルノブイリ』(2019年)が記憶に新しい。同作は事故の人災としての側面に深く切り込んだが、『チェルノブイリ1986』はロシア政府の協力を得たためだろう、当時の政府の失敗にはほぼ言及されていない(よく観ると批判的なニュアンスは残っているのだが)。それゆえ、本作にそうした批判を加える余地はあるだろうし、この物語をメロドラマとして描くことにも賛否は分かれるかもしれない。

『チェルノブイリ1986』©≪Non-stop Production≫ LLC, ©≪Central Partnership≫ LLC, ©≪GPM KIT≫ LLC, 2020. All Rights Reserved.

しかしながら本作が、米国発の『チェルノブイリ』とは異なる視点と切り口で原発事故を描いたことは、映画やドラマの力を借りて、観る者が現実の多面性を検討することにつながるものだ。事故の陰には政府の失敗や欺瞞があり、政治システムの犠牲になった者もいれば、現場で多くの命を救おうと奔走し、その結果として命を落とした者もいた。その一側面をロシアの視点で切り取ったのが『チェルノブイリ1986』であり、この作品を通して現実の複雑さを見つめることは、ロシアによる侵攻が続く現在、とりわけ大きな意義がある。

『チェルノブイリ1986』©≪Non-stop Production≫ LLC, ©≪Central Partnership≫ LLC, ©≪GPM KIT≫ LLC, 2020. All Rights Reserved.

プロデューサーのロジニャンスキーはウクライナを代表する映画人であり、ロシアの侵攻を受けて、監督・主演のコズロフスキーとともに戦争反対の意志を表明した。また本作の日本配給を担当する株式会社ツインも、「戦争を行っている国家としてのロシアではなく、戦争反対を表明し一日も早く平和が訪れることを願う、ロシア、ウクライナを代表する映画人によって製作された本作の公開を通じ、世界を震撼させた大事故のなかで必死に生きようとした人々の姿を知り、平穏に暮らせる日々の尊さを再認識する一助となることを願っています」との声明を発表。収益の一部をウクライナ支援に寄付することを明かしている。

『チェルノブイリ1986』©≪Non-stop Production≫ LLC, ©≪Central Partnership≫ LLC, ©≪GPM KIT≫ LLC, 2020. All Rights Reserved.

3月31日、ロシア軍はチェルノブイリ原発から撤退した。しかし約1ヶ月にわたり原発を占拠した兵士たちは、防護服も着ず、汚染された土で要塞や塹壕を築いたために大量被曝したといわれている。ウクライナ側の発表によると、兵士の中には被曝の症状ゆえにパニックを起こし、軍内部で暴動を起こした者もいれば、原発内の研究所から高レベルの放射性物質を盗み出した者もいたとのこと。現在進行形のウクライナ侵攻にも、やはり原発事故と同じく、安易に判断できない多面性が横たわっているのである。

『チェルノブイリ1986』©≪Non-stop Production≫ LLC, ©≪Central Partnership≫ LLC, ©≪GPM KIT≫ LLC, 2020. All Rights Reserved.

文:稲垣貴俊

[参考資料]
・ロシア軍、チェルノブイリ原発から撤退 ウクライナ原子力企業が発表(CNN)
・ロシア軍、チェルノブイリから放射性物質盗む ウクライナ(AFP時事)
・チェルノブイリ原発占拠のロシア兵「大量被曝」の可能性(Forbes JAPAN)

『チェルノブイリ1986』は2022年5月6日(金)より新宿ピカデリーほか全国公開

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『チェルノブイリ1986』

若き消防士アレクセイは、元恋人オリガと10年ぶりに再会を果たし、彼女とともに新たな人生を歩みたいと願っていた。ところが地元のチェルノブイリ原発で爆発事故が起こり、それまでの穏やかな日常が一変。事故対策本部の会議に出席したアレクセイは、深刻な水蒸気爆発の危機が迫っていることを知らされる。もしも溶け出した核燃料が真下の貯水タンクに達すれば、ヨーロッパ全土が汚染されるほどの大量の放射性物質がまきちらされてしまう。

愛する人のためタンクの排水弁を手動で開ける決死隊に志願したアレクセイだったが行く手には、想像を絶する苦難が待ち受けていた……。

監督:ダニーラ・コズロフスキー
出演:ダニーラ・コズロフスキー オクサナ・アキンシナ
   フィリップ・アヴデーエフ ラフシャナ・クルコヴァ

制作年: 2020
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