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濱口竜介監督を紐解く『ドライブ・マイ・カー』アカデミー賞への道 ~<濱口メソッド>と“静かなる個性”~

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ライター:#松崎健夫
濱口竜介監督を紐解く『ドライブ・マイ・カー』アカデミー賞への道 ~<濱口メソッド>と“静かなる個性”~
濱口竜介監督 ©2021「ドライブ・マイ・カー」製作委員会

<濱口メソッド>とはなにか

“撮影現場”なるものは、事前に準備を重ねたとしても、往々にして何らかのトラブルが起き、なかなか思い通りにいかないものだ。ところがそんな時、東京藝術大学大学院映像研究科映画専攻(以下、藝大)で僕の同窓だった濱口竜介監督は「現場での判断が早い」という印象がある。学生時代に何度となく撮影現場を共にしてきたからこそ思うことだが、彼は「悩まない」のだ。常に脳内編集を行いながら現場に立ち、空間認識や時間管理にも長けていて、演出に対する引き出しも豊潤であるように見える。“濱口竜介”は、誰もが現場を共にしたいと思う、とても頼もしい存在だったのだ。また、ダグラス・サークやエリック・ロメールの影響を公言しながら、在学中にはトニー・スコット監督の奇想天外なアクション映画『デジャヴ』(2006年)がその年のベストだと語っていたほど、映画に対する守備範囲も広い。

そんな濱口竜介監督が卒業制作として製作した『PASSION』(2008年)は、第9回東京フィルメックスのコンペ作品に選出され、学内が沸き立ったことを鮮明に覚えている。当時の東京フィルメックスにおいて、学生映画としては初めてコンペ入りした作品だったからだ。その後、『PASSION』は第56回サン・セバスチャン国際映画祭にも出品され、濱口竜介監督は一躍国際的な評価を得るかと思われた。しかし、映画製作という面において、彼は不遇だった。藝大では先輩にあたる『君の膵臓を食べたい』(2017年)の月川翔監督、同期である『ジオラマボーイ・パノラマガール』(2020年)の瀬田なつき監督、後輩にあたる『ディストラクション・ベイビーズ』(2017年)の真利子哲也監督といった同窓たちが商業作品を手掛ける中で、濱口竜介監督にそのチャンスはなかなか訪れなかったからだ。それでも濱口竜介は映画製作を諦めることなく、255分の長編『親密さ』(2011年)や東北記録映画三部作を自主制作のスタイルで手がけながら、唯一無二の演出で映画に対するアンテナの感度が高いファンを唸らせてきたという経緯がある。

映画仲間の立場として、僕が「凄い」と感じたのは、兵庫県神戸市から招聘されて、濱口監督が滞在型のワークショップに取り組んでいたという姿勢にある。映画製作のチャンスがあるならば、縁もゆかりもない土地に赴いてでも死力を尽くす。彼とは逆に、僕は映画製作を目指すべく地元・神戸から東京に赴いたという経緯があるため、その覚悟に対して「凄み」を感じたのだ。結果、ワークショップを行う過程で製作された『ハッピーアワー』(2015年)が第68回ロカルノ国際映画祭のコンペ入りを果たし、最優秀女優賞の受賞に至る。

ここで重要なのは、ワークションプに参加した、演技経験がほとんどない、またプロではない俳優の演技が国際映画祭の場で評価された点にある。『ハッピーアワー』における演出論は、共著「カメラの前で演じること」(左右社・刊)に詳しく著述されているが、いわゆる<濱口メソッド>の実践によって、素人俳優の演技を輝かせていた点が重要なのだ。

カメラの前で演じること

藝大生時代から備わっていた“静かなる個性”

『偶然と想像』(2021年)の劇場パンフレットに、濱口監督の同級生である瀬田なつき監督が寄稿している。藝大入試の最終試験には実技がある。それは、テーマに添った短編を時間内にカメラで撮影するというものだった。多くの受験生が「ああでもない、こうでもない」と悪戦苦闘するなか、いつまでたっても撮影を始めることなく、延々と脚本を読み合わせる受験生がいたのだという。彼は制限時間が残りわずかになって、カメラを回し始め、ワンシーン・ワンカットで撮影を終わらせた。入学後、瀬田監督はその受験生が“濱口竜介”だったことを知ったのだと述懐している。

つまり、<濱口メソッド>なるものは、彼が藝大で学ぶ以前から、一貫して実践されていたものなのである。恩師である黒沢清監督は、在学中から「濱口にしか作れない作品」と彼の監督作を評していたが、その評価は学内に留まることなく、世界においても「濱口にしか作れない作品」だったということなのだ。それは、本当に凄いことだと思う。

メイキング画像『偶然と想像』©2021 NEOPA / fictive

濱口竜介監督作品には、前知識がないままで作品を観たとしても「これは濱口竜介が監督した映画ではないか?」と思わせるような、“静かなる個性”が存在する。いっけんアドリブのようにみえて、実はアドリブではない緻密な演出。それでいて、撮影現場でのアクシデントを取り入れるような柔軟性を兼ね備えている。例えば、『PASSION』で多くの観客を唸らせた、終盤の港湾場面でのアクシデントは圧巻だった。

DVD 東京藝術大学大学院映像研究科第二期生修了制作作品集2008 (<DVD>)

 

濱口竜介監督は、自身が実践する演出の手の内を、インタビューや自著、或いは、『ドライブ・マイ・カー』(2021年)の劇中で巧妙に明かしている。例えば、「ワーニャ伯父さん」の舞台を作ってゆく過程を見せることで、『ドライブ・マイ・カー』がどのように演出されているかを観客に悟らせている。作品の中に<濱口メソッド>に対する解説が、巧妙に組み込まれているのである。だからと言って、その文面や映像に倣って演出を実践したとしても、恐らく同じ映像を撮影現場で構築させることは困難だろう。その方法論が、本人によって言語化・明文化されているだけに、彼の“静かなる個性”の在り処は不可解なのだ。監督自身によって雄弁に言語化されている演出に対する感想を、訥弁と言語化させないもどかしさ。それこそが、濱口竜介監督作品の魅力だと思わせるのだ。

『ドライブ・マイ・カー』©2021「ドライブ・マイ・カー」製作委員会

それゆえ、『ドライブ・マイ・カー』がカンヌ国際映画祭で脚本賞に輝き、第94回アカデミー賞では作品・監督・脚色・国際長編映画賞の4部門にノミネートされ、国際的な評価を確固たるものにした理由を、“村上春樹、云々”と挙げる言説には賛同できないでいる。例えば、村上春樹が敬愛するジョン・アーヴィングの小説が映像化されたてきた際、『ガープの世界』(1982年)や『ホテル・ニューハンプシャー』(1984年)などへ同様の評価を散見させない点が指摘できる。小説の評価と小説の映像化という評価とは、切り離すべきだと考えているからだ。他方、コロナ禍にあるアメリカでは「身近な人間を突然亡くした時、その哀しみとどう向き合うべきなのか?」という命題と重ねられている感もある。現地の映画評の中には「人は孤独である」ことへの考察がなされているものが存在するのだ。つまりアメリカでは、『ドライブ・マイ・カー』が時代と寄り添った映画としても評価されているのである。

『ドライブ・マイ・カー』©2021「ドライブ・マイ・カー」製作委員会

どんな映画にも似ていない=濱口にしか作れない映画

また、ロサンゼルスやニューヨークの映画批評家協会賞では、英語以外の言語を使った作品を対象とした“外国語映画賞”ではなく、アメリカで上映された全ての作品を対象にした“作品賞”に選ばれている点も重要だ。これまでニューヨーク映画批評家協会賞では、『羊たちの沈黙』(1991年)や『プライベート・ライアン』(1998年)といった映画が、作品賞を受賞してきたという経緯がある。つまり、『ドライブ・マイ・カー』は映画史における“名作”たちと、同等の評価がなされているのだ。

『ドライブ・マイ・カー』©2021「ドライブ・マイ・カー」製作委員会

これらの作品には「これまでに観たこともないような演出」が為されていたという共通点がある。濱口竜介監督が『ドライブ・マイ・カー』の劇中で演出の方法論を明かしているからこそ、作品の持つ特異な点を現地の評論家たちへ悟らせていることは想像に難しくない。さらに、全米映画批評家協会賞でも作品賞に選ばれているが、ここでは唯一無二の個性を持った世界的な監督たちがこれまで評価されてきたという経緯がある。例えば、ミケランジェロ・アントニオーニやイングマール・ベルイマン、デヴィッド・リンチやジム・ジャームッシュ。つまりアメリカにおいても、『ドライブ・マイ・カー』は「どんな映画にも似ていない」=「濱口にしか作れない作品」だと評価されているのではないだろうか。

濱口竜介監督©2021「ドライブ・マイ・カー」製作委員会

先日の第45回日本アカデミー賞でも『ドライブ・マイ・カー』は、作品賞・監督賞・脚本賞・主演男優賞・撮影賞・照明賞・録音賞・編集賞の8部門で最優秀賞に輝いた。その受賞スピーチで、濱口竜介監督が編集賞に輝いた山崎梓さんの言葉を引用していたのがとても印象的だった。彼女は、『寝ても覚めても』(2018年)でも濱口竜介監督と組んだ仲だというだけでなく、藝大の同級生でもあるのだ。

実は商業作品を手がけるようになってからも、濱口監督は同窓生たちと組んできたといういきさつがある。例えば、『寝ても覚めても』の佐々木靖之さん(撮影)や田中幸子さん(脚本)、『偶然と想像』の飯岡幸子さん(撮影)。恩師である黒沢清監督の『スパイの妻』(2020年)では、同窓の野原位さんと共同脚本を担っていた。カンヌ国際映画祭での受賞スピーチでも、スタッフひとりひとりの労をねぎらっていた濱口監督の姿は印象的だった。学生時代からの縁を紡ぎながら、不遇な環境の中でも諦めず作品を作り続けた姿勢。仲間を大切にする彼の相関関係が、いつの日か<平成トキワ荘>のように語り継がれることを、僕は切望するばかりなのである。

© Kazuko WAKAYAMA

文:松崎健夫

【出典】
『偶然と想像』劇場パンフレット

『ドライブ・マイ・カー』 は2021年8月より全国上映中

第94回アカデミー賞は2022年3月28日(※日本時間)開催

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『ドライブ・マイ・カー』

舞台俳優であり演出家の家福(かふく)は、愛する妻の音(おと)と満ち足りた日々を送っていた。しかし、音は秘密を残して突然この世からいなくなってしまう――。2年後、広島での演劇祭に愛車で向かった家福は、ある過去をもつ寡黙な専属ドライバーのみさきと出会う。さらに、かつて音から紹介された俳優・高槻の姿をオーディションで見つけるが……。

喪失感と“打ち明けられることのなかった秘密”に苛まれてきた家福。みさきと過ごし、お互いの過去を明かすなかで、家福はそれまで目を背けてきたあることに気づかされていく。

監督:濱口竜介
脚本:濱口竜介 大江崇允

出演: 西島秀俊 三浦透子 霧島れいか 岡田将生
パク・ユリム ジン・デヨン ソニア・ユアン
    アン・フィテ ペリー・ディゾン 安部聡子

制作年: 2021