桂正和「オーディオコンポが欲しくて、手塚賞の賞金のために漫画を描き始めたんです(笑)」(1/5)

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ライター:BANGER!!! 編集部
桂正和「オーディオコンポが欲しくて、手塚賞の賞金のために漫画を描き始めたんです(笑)」(1/5)
<週刊少年ジャンプ>『電影少女』『I"s』などで知られる漫画家・桂正和さんに「人生」と「映画」というテーマでインタビューを敢行。フェイバリット映画を5作挙げていただきつつ、幅広い世代に愛される桂作品が生まれた背景や影響を紐解くべくお話を伺いました。

オーディオコンポが欲しくて、手塚賞の賞金のために漫画を描き始めたんです(笑)

―まず、桂さんと映画との“出会い”を思い起こしていただけますか?

小学生くらいの頃に、親に(映画館へ)連れて行ってもらったことはありましたけど、そんなに“出会った感”はなくて(笑)。僕けっこう遅くて、最初に友達と大きな劇場に観に行ったのは19歳くらいのときだったと思います。それが印象深いと言えるかもしれないですね。

―そのとき、作品は何をご覧になったんですか?

作品は……覚えてないんだよなあ(笑)。『インディ・ジョーンズ』かな? レイダース(失われたアーク《聖櫃》:1981年)かもしれない。

―劇場でご覧になったときのインパクトはどうでしたか?

すごく面白かったです。病みつきになりましたね。あの当時、大きなタイトルはほとんど観てました。その当時すでに新人の漫画家だったので、どうやって話を作っていくんだろう? ってところに興味があったりとかして。当時まだ学生だったので……ヒマだったというか(笑)、なにか大作が来れば仲間と観に行ってたかな。

それ以前だと『(大怪獣空中戦)ガメラ対ギャオス』(1967年)を観たのと、<東映まんがまつり>を観た記憶しかないですね(笑)。あまり親に映画館に連れていってもらうという習慣がなかったので。

―では小~中学生時代の桂さんは、どんな少年でしたか?

もう、テレビっ子です。僕ら世代はだいたいテレビっ子なんですけど、いまだにそれは引きずってる感じかな。みんなテレビで共通のお笑いを観てたし、共通の特撮ヒーローものやアニメを観てたし……。

―絵やマンガに目覚めたのはいつ頃だったんでしょうか?

絵は、たぶん幼稚園の頃から好きで描いていて。小学校の頃は絵画、風景画ですね。普通の“図工の授業”が得意だったんですよ。でもマンガみたいな絵は、友達のほうが上手かったりとかして。僕はマンガのああいう絵は、あまり描けなかったんですよ。だから、小学校の頃は漫画家になろうなんて微塵も思ってなかったですね。

―そこから(漫画家志望へ)シフトチェンジしたきっかけは?

それはね、オーディオコンポが欲しくて(笑)。コンポーネントステレオって言って、当時セットで売り出してたんです。それがバージョン違いで30~80万円くらいするんですけど、僕はその中間のやつが欲しくて。親に頼んだんですけど貧乏だったので買ってもらえず、なら自分で買わなきゃって。それが中2かな? それで、たまたまジャンプを手に取ったら、<手塚賞>の賞金が50万だったんです(笑)。それからですかね、「マンガ描いてみようかな」と思って描き始めたのは。

―賞金とコンポが直結したんですね(笑)

もちろんそんなことで賞は獲れないし、そこから高校3年間を費やして、ずっとマンガを応募し続けたんですけど、高3の最後くらいかな? 投稿して落ちた作品の中から、集英社の人が僕の作品を見て「ちょっと打ち合わせしない?」って電話をかけてくれて、そこからですね。

僕は勉強が嫌いだったので、逃避もある(笑)。でも描くのが嫌いじゃなかったし、やっていくうちに色々と勉強というか、いろんな漫画を読んで映画を観ながら、どうしてこういう話を考えて、どういうふうな展開を……って研究して。それを自分で描いて、一つにまとめていくのが楽しかったりしたんです。そのうちに賞金とかよりも、思い描いた話を一つにまとめることがいかに上手くできるか? っていうのが楽しくなったんですね。

―だんだんと“ハマって”いった感じですか?

そうです、今で言うとね(笑)

 

「好きなのはヒーローものだけど、資質を持ってるのは恋愛もの」

―桂さんの作品の“発想の源”は、どういったところから生まれるのでしょうか?

<少年ジャンプ>の頃は、やっぱり映画が多かったですね。ぜんぜん違うジャンルだったり。観ていて“ひらめき”とかをもらうことが多くて、それを足掛かりにしていたことも多かったと思います。セリフ回しであったりとか、シーンであったりとか。

―ご自身の作風が「確立されたな」と思った瞬間はありましたか?

『電影少女』かもしれないですね。あれを描いたときに「僕はこういう作家なのかな」って思ったかな。

―それを言葉で表現すると……?

うーん……(笑)。ただ、ひとつ人間の感情の奥というか、細かい部分を描きたがる人間なのかなって思いましたね。まあでも、コメディ寄りだったりするとなかなか難しいですけど(笑)。うん、そうかなとは思います。僕の作品はどれも、どこかやっぱり“湿度”があって。性質なのかなあって感じがしますね、僕自身の。

―ヒーローものから恋愛ものへの変遷については?

僕が子どもの頃はみんなテレビで同じものを観ていて、ヒーローものがすごく多かった時代なんですよ。僕の世代のイメージは『ウルトラマン』で、まだ白黒テレビで観てましたけど、そこから抜けられないというか。そのあと『仮面ライダー』とか、その他たくさんのヒーローをテレビで観てきましたけど、同じ年代でも全然興味がなくなる人も、やっぱりいるわけで。ただ僕はなぜかずっとそれが好きで、高校時代にまたヒーローものに興味が出て、連載したら面白いだろうなって思ったのも、その頃。

それで<少年ジャンプ>で最初に連載するんだったら、そのころ誰もやっていなかったので「ヒーローものやりたいなあ」っていう強い思いが……。だから、純粋な気持ちだったんですよ。そこから「恋愛ものやってみないか?」って話が編集部から出たりとかして。いろんな恋愛系の映画も観ましたし、そうしていくうちに、なんか作家として意識して描くっていうところが、恋愛ものだったりしたんですよね。純粋な部分ではヒーローものですけど、作家として描こうとするのは恋愛もの。

だから、好きなのはヒーローもので、資質を持ってるのは恋愛ものなのかな、っていう。自分の中での感覚というかなんというか(笑)

―現在はいろんなヒーローもので溢れていますが、そこに何か大きな魅力があるんですよね、きっと。

そうですね、映画『バットマン』を観たときに価値観が変わったというか、ヒーローものを意識して描くという楽しさを見出せた。純粋にヒーローものが好きで、ウルトラマンとか仮面ライダーに影響されているデビュー作『ウイングマン』と、今のヒーローの感じはまたちょっと違うというか。

今はヒーローの中にも“人間”を描く方向にあるというか、恋愛ものと同じような匂いのする部分が出てきているというか。人間自体を描くところに(重点が)あるかなって感じますね。『ウイングマン』の頃は、カッコよさとか特撮の魅力とかで描いてましたけど、そのへんに違いがあるんですよね。

漫画家・桂正和
1981年に<週刊少年ジャンプ>でデビュー。83年に同誌で『ウイングマン』の連載をスタート。90~00年代にかけて『電影少女』『I”s』『ZETMAN』といった歴史に残る傑作を生み出し、現在はその神々しいまでの画力でキャラクターデザイン分野など多方面で活躍。

桂正和「『電影少女』は原作にない話をやってるんだけど、すごく原作っぽくて。」(2/5)

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