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「エロ監督の息子」と呼ばれて ― 大島新監督が語る父・渚と『戦メリ』&『愛のコリーダ』の想い出

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ライター:#石津文子
「エロ監督の息子」と呼ばれて ― 大島新監督が語る父・渚と『戦メリ』&『愛のコリーダ』の想い出
『戦場のメリークリスマス 4K修復版』『愛のコリーダ 修復版』©大島渚プロダクション

『戦場のメリークリスマス』(1983年)、『愛のコリーダ』(1976年)の修復版連続公開や、特集上映「オオシマ、モン・アムール」で再び脚光を浴びる映画監督、大島渚。反骨の映画人であり、ゴダールをして「大島渚の『青春残酷物語』[1960年]が真のヌーヴェルヴァーグだと思う」と言わしめた進取の人であった大島渚について、その次男でドキュメンタリー映画作家である大島新監督が語る。

大島新監督

「お前のお父さん、いやらしいの?」

―『愛のコリーダ』はDVDなどで観たことはありましが、今回スクリーンで初めて観て、とても衝撃を受けました。

私もスクリーンでは初めてです。21年前のリバイバルの時は、忙しかったのもあったし、若干の拒否反応もまだ残っていた時期だったので、観ていなかったんです。

―1976年(昭和51年)の初公開時に、ちょっと辛い思い出があったとお伺いしました。

小学校1年の時の公開で、私が物心ついてから最初の父の映画だったんです。それがわいせつ罪に問われてしまって。裁判が始まり、もちろん18禁だから子供は観られないんですが、突然“エロ監督の息子”になり、とても暗い少年時代を過ごしたんですよね。兄は中1で思春期でしたから、私よりもっと辛かったかもしれませんが。裁判が5、6年続いて、その度にニュースになる。両親とも忙しいので、藤沢の家では僕と兄と、父方の祖母との3人暮らしのようでしたが、祖母が『コリーダ』の話題を僕らに聞かせないようにしている空気があったんです。最近母から聞いたんですが、ガサ入れもあったんですって。その時間にはうまく連れ出されていたんですね。

『愛のコリーダ 修復版』©大島渚プロダクション

でも何やかやで耳に入り、学校で「お前のお父さん、いやらしいの?」とか言われたり。映画的価値や芸術的価値がまだわからない頃なので、子ども心には「何てことしてくれたんだ!」って思いがあったんです(笑)。その2年後、『愛の亡霊』(1978年)も成人映画で、第31回カンヌ映画祭で監督賞を獲りましたが、2本続けていやらしい映画を撮ってる、って残念な気持ちでいたんです。個人的に父が嫌だったことはなかったんですけどね。あの家に生まれたことが、すごく嫌でした。母(小山明子)も時々、学校の行事に登場すると、着物を着て髪をアップにして異様な感じだったんです(笑)。だから、なんでこんなうちに生まれたんだろう、って小学生の頃はずっと思っていて、将来の夢は「普通の人」って書いたくらいなんです(笑)。それは全て『愛のコリーダ』の影響で。

『愛のコリーダ 修復版』©大島渚プロダクション

―今までDVDで観た気になっていましたが、謝りたいです。

DVDで観てはいましたが、スクリーンで観るとまた違いますね。素晴らしかったです。新鮮に感じたのは、『愛のコリーダ』は俳優の映画だなということ。それくらい藤竜也さんと松田英子さんが素晴らしいと思いました。松竹、創造社、ATG時代の大島渚映画は、より“監督の映画”だったと思うんです。作家性が強い。もちろん『愛のコリーダ』も大島渚が撮ったからこうなったんですが。これ以上のキャスティングはないですね。特に吉蔵が、藤さんじゃなかったら成立していなかった。本当にそう思いました。あれだけかっこよくて、女性を全許容して、惚れさせる。その魅力がないとこの映画は成立しないんですよね。もちろん定の役も難しいと思います。松田さんが本当に素敵な定にしてくれた。純愛映画ならぬ、“純性”映画ですね。そして戸田重昌さんの美術が素晴らしい。ビジュアルが美しいんですね。エロスを掻き立てる映画とはまた違う感じで、新鮮に観ました。

『愛のコリーダ 修復版』©大島渚プロダクション

―戸田さんの美術は、なんとも言えない空気感がありますね。京都で撮っていたのも大きい気がします。戸田さんが早く亡くなられたのは、本当にもったいないと思います。

本当ですね、まだ58歳でしたから。父の映画では『戦メリ』が最後でした。

―大島監督に、どうしてここまでエロスに振り切ったのか、聞いたことはありますか?

それはないですね。映画の話はほとんどしたことがなかったので。ただ、2010年から僕が大島渚プロダクションの著作物管理をしていることもあって、関わった人に聞いたり調べたりしたことと、私自身が歳をとったこともあって思うに、大きく分けると父には3つの時代があった。

1つ目は松竹時代、2つ目は独立プロの創造社時代、そして創造社を解散して世界に目を向けた時代が3つ目。『愛のコリーダ』はその1本目だったんですね。30代は年に1、2本のペースで突っ走っていた。

『愛のコリーダ 修復版』©大島渚プロダクション

―テレビを入れたらもっと多いかもしれないですね。

ものすごい本数ですね。信頼する仲間たちと実験的な作品群を撮ってきて、おそらく40歳くらいでちょっと行き詰まりを感じたんでしょうね。その体制や作品の質も含めて、違うフェーズに行こうとしたんだと思うんです。その時に、たまたまフランスのアナトール・ドーマンという大プロデューサーから「大島でポルノをやりたい」と声がかかって。父は「阿部定事件」と「四畳半襖の下張り」の二つ企画を出して、ドーマンさんが阿部定でやりたい、という経緯だったと思います。

『愛のコリーダ 修復版』©大島渚プロダクション

「若松孝二さんに声をかけて、日本側のプロデューサーになってもらった」

―大島監督は早い段階から、性と犯罪という二つのテーマに取り憑かれていると自覚があったそうですが、『愛のコリーダ』ではそれがMAXになった感じですね。

やはり40代で違う段階に行きたいという思いが、性と犯罪を振り切ってやるんだ、という覚悟につながったのかもしれないですね。やるならここでやるしかない、と。『愛のコリーダ』で僕が特に面白いなと思ったのは、若松孝二さんに声をかけて、日本側のプロデューサーになってもらったことですね。大島組と若松組は、新宿の酒場で飲んでいて、スタッフたちはよく喧嘩していたらしいです(笑)。でもボス同士は喧嘩しないという。父の方がちょっと年上で、「若ちゃん、若ちゃん」って呼んでいて、その姿勢を認めていた。若松さんも父を尊敬してくださっていて、良い関係だった。もちろん現場で父が演出しているんだけど、“突き抜ける”ためのエンジンとして、若松さんにいてほしかったんでしょうね。そこが面白いなと思うんです。

『愛のコリーダ 修復版』©大島渚プロダクション

―藤竜也さんが本当に魅力的です。あの頃、藤さんは『寺内貫太郎一家』(1974年)や『時間ですよ』(1970~1975年)といったテレビドラマで大人気で、子ども心にもカッコいいおじさまと思っていたんです。そんな藤さんが、エロい役をやっているというのは衝撃でした。家にあったスポーツ新聞に“本番“って書いてあって、意味はわからないけど、なんか大変なことなんだろう、と。

そうですよね。藤さんは『愛のコリーダ』の後、1年くらいお仕事がなかったそうです。

―大島監督はハードコア・ポルノを撮る、という大きな意気込みを持って挑んだ。今と違い、一般の映画とポルノの間には厳然とした線があったので、大島監督もキャストも決意が並々ならぬものだったでしょうね。

しかも、その“本番“に挑んだわけですから。日本ではボカシが入りましたけど、世界向けには修正なしですから、本当に色々な覚悟がないと引き受けられない仕事ですよね。

―新さんも映画監督として、ここまで振り切れる覚悟はありますか?

全然ないですね。まあ、僕は元々フィクション志向がないのですが、それも『愛のコリーダ』のせい、といってはなんだけど、エロスにまつわることや、いわゆる猥談が苦手なんです。そういう話がはじまると逃げたくなる。かっこつけてるわけでも、女性が苦手なのでもなくて。やっぱり『コリーダ』の影響があるのかもしれませんね。

『愛のコリーダ 修復版』©大島渚プロダクション

―そのお気持ちはわかります。当時は小学生ですら、『愛のコリーダ』がエロい、というのは知っていましたからね。幼少期のトラウマは大きい。

そうですね。ほんと、そうかな、と。

―でも、表現の限界というものに挑もう、という感覚はあるのではないですか? 新さんの『なぜ君は総理大臣になれないのか』(2020年)も、政治のタブーに切り込んでいます。

子どもの頃の「普通の人になりたい」というのに通じるかもしれませんが、わかりやすく、ちゃんと人に伝わるものを作りたい、という気持ちが今までちょっと強かったんですね。でも、父の若い頃の作品を観ると、表現に関して突破力、振り切り方というのがすごい。そんな家に生まれたから、まともというか、普通でいたいというところがあったんですが(笑)、45歳くらいから、もっと思い切って振り切らないといけないんだ、というのを改めて思いました。どこまで出来たかはわからないですが、自分としてはやってみようという気持ちが『なぜ君は~』にはありました。大島渚の強烈な振り切り方とは比べ物になりませんが。

この間、初めて『絞死刑』(1968年)の予告編を観たんですが、父が出てきてロープに首をかけながら「たとえ死刑に処せられても俺たちは死ぬわけにはいかない」と叫んだり、こんな予告見たことないって感じで、ちょっと異常なんです(笑)。もうびっくりしちゃって。超斬新で、劇映画なのに監督が出てきてめちゃくちゃアジテーションしている。『愛のコリーダ』も、さらに過激な振り切り方をした作品ですが。

息子から見た大島渚

―家庭人としての大島渚さんは、どういう人だったんですか? 過激な突破力を身につけた背景には何があったんでしょう。京都大学法学部出身のエリートでもあったわけですが。

すごく不思議なんですが、私生活においてはとても品が良い人だったんです。外での過激さとは違って、非常にジェントルマンであり、保守的なところもあったんです。子どもには礼儀正しくあることをとても望んでいましたし。外では学歴社会なんてダメだと言いながら、僕や兄貴には明らかにいい学校に行ってほしいと願っているところとか(笑)。何かをいただいたら、きちんと礼状を書くとか、とても真っ当な人。極めて常識人だったので、監督としてのあの過激さは何だったんだろうな、と思うところもあるんです。

母との結婚式では、松竹の師匠である大庭秀雄監督に「大島くん、映画はヌーヴェルヴァーグでも家庭は大船調で」って言われたという話があるんです。実際、家庭では大船調(松竹大船撮影所は、メロドラマや家庭劇、穏やかな人情劇を得意とした)ではないけれど、極めて常識的な育て方をされたので、不思議なんですよね。女性関係のこともとても綺麗な人で。いわゆる女性がいるお店には飲みに行かなかったですし、男子に囲まれた、いわゆるホモソーシャルな人間関係を望んでいた人でもあったので。

―思想と私生活は違ったわけですね。育ちの良い、超エリートらしい、保守性があった。

僕がフジテレビを辞めるときも、がっかりしていて(笑)。兄貴もNTTを7年で辞めていて、僕が5年目で辞めたので「お前もかあ」って言うんです。自分は松竹を大げんかしてやめているのに(笑)。そういうところがあったんです(笑)。

君たちはなぜ、怒らないのか 父・大島渚と50の言葉

―ご自分の中の保守的な部分を否定したくて、作品や、テレビに出演するときも過激な発言をされていたのかもしれないですね。テレビ番組への出演が多かったのは、やはり独立プロとして製作費の工面が大変だったからでしょうか?

そうおっしゃる方がわりといるのですが、本人いわく「全くそれは違う。誤解だ」と。そもそも映画の製作費はそんな桁じゃないので、「自分は出たいから出てるんだ」って言っていましたね。「人前で喋る能力の方が、実は映画を撮るより上なんじゃないか」と言っていたので。面白いのは、坂本龍一さんが言っていたんですが、「世界中の映画監督はほぼ絵描きである。その中にあって、大島渚だけは絵が描けない。だからあの人は目立ったんだ」って。それがすごく腑に落ちたんですよ。

要するに父は左脳人間で、すごいロジカル・シンキングの人なんですね。あれだけ著書を残した映画監督も珍しいでしょうし、映画人である前に、言論人であったと思うんです。田原総一郎さんも「映画監督って大抵喋るのは下手だけど、大島さんは本当にうまい」とおっしゃっていました。だからちょっと変わった映画になっていて、撮影、美術、音楽とか自分が得意としない分野は、信頼する人に完全に委ねるスタイル。骨格を作る部分である主題、脚本はガッツリ握ってやるけれども。黒澤明監督も絵描きだったから、絵で見せるスペクタクルなんですね。大島渚はそういう意味でいうと、どこかに言論があるというか。

―はじめに思想ありき、だった。

そう。そうなんです。

―ある意味で、スタートとしては“映像作家“ではなかったのかもしれませんね。

そういう面があったと思います。だから任せられた。この間、『日本の夜と霧』(1960年)を久しぶりに観て、なんじゃこりゃ、と思いました(笑)。議論を延々続けるけど、セリフをかみまくるんです(笑)。斬新すぎる。でも、審美眼はあったと思います。美を自分で作り上げるというよりも。

 

―映画監督の資質として、審美眼は重要ですよね。

やはり戸田重昌さんは父にとって美術監督以上のものが間違いなくありましたし、作曲家の武満徹さんと、戸田さんへの尊敬心はすごかったですね。そして『戦メリ』で坂本龍一さんが現れて、これまたすごい才能と出会った。父はラッキーだったと思いますよ。

わけがわからないのに心奪われる『戦場のメリークリスマス』

―坂本龍一さんが、出演の交換条件として「映画音楽をやらせてくれるなら」と言ったことは有名ですが、大島監督は当初、坂本さんに音楽を依頼する予定はなかったというのが面白いですね。『戦メリ』も新さんには、ある種、思い出深い作品なんですよね?

そうです。別のガッカリがあった(笑)。今だったらそんなことは全然ないんですが、当時は思春期でしたから。大人気の(ビート)たけしさん、デヴィッド・ボウイ、そして坂本さんは特に好きだったので楽しみにしていたんです。その前の映画(『愛のコリーダ』と『愛の亡霊』)が2本連続して18禁だったから、やっと父の映画を観ることができると思って観たら、あのキスシーンがあって、「うーん」となった。また学校で何か言われるのかなあ、って気になってしまって。まだ中学2年でしたから。

そして3年後、高2で『マックス、モン・アムール』(1986年)を観たら、今度はチンパンジーとの恋で、これまたガッカリだった(笑)。あの頃は、まだ多様化とか、LGBTQということからは遠い時代でしたからね。今なら違うと思います。『愛のコリーダ』もそうですが、女性が主導権を握る映画、多様性ということを撮っていたという意味では、大島渚はかなり先を行っていたんですよね。

「坂本龍一さんがうまく言えなかったセリフを父が面白がってモノマネしていた(笑)」

―私もボウイが大好きで、たけしさん、坂本さんのファンでもあるので、本当に『戦メリ』には熱狂していました。友達と高校を抜け出して、東京駅の新幹線のホームで海外アーティストのサインをもらったりするミーハーでしたが(笑)、ボウイにはどうやっても会えなかったんですよ。ちょっと格が違った。

『戦メリ』は高校生、大学生を中心にした若い女性に支持されていた。「戦メリ少女」と言われる若い女性たち。父の映画ではそれまでにない現象が起きたんですよね。

―私もその一人でした。内容をよくわかっていなかったとは思いますが。

高校生にとっては決してわかりやすい映画ではなかったとは思うんですが、でも何か理屈じゃないものを受け止めていたと思うんです。僕も大人になってから観る度、何に胸を打たれているのかわからないんですが、毎回心を奪われるんです。そういう不思議な体験をする映画なんですよね。

『戦場のメリークリスマス 4K修復版』©大島渚プロダクション

―大島監督は「映画は全部わかっちゃいけない」とおっしゃっていたそうですが、『戦メリ』はその最たるものかもしれませんね。

父の映画はわけがわからないものが多いので、最たるものかはどうかは別として、それを一番ダイナミックにやったのが『戦メリ』かもしれません。なんでこんな映画を撮ったんだろう、って不思議な部分が多い。

―だからこそ、デヴィッド・ボウイは出たんでしょうね。あの人は変な映画を好んで出ていた節がありますから。

やっぱり『戦メリ』って変な映画ですよ。セリフが棒読みのシーンも多いし。でも父は、プロの俳優よりも「一に素人、二に歌うたい」って言っていたくらいでしたから。坂本龍一さんがうまく言えなかったセリフもOKしていて、それを父が面白がってモノマネしていたらしいですが。だったら撮り直してあげればよかったのに。ひどいなあ、と思いましたよ(笑)。

『戦場のメリークリスマス 4K修復版』©大島渚プロダクション

―完璧なものを望まないタイプだったんでしょうか?

そうだと思うんです。大きい骨格が自分のものになっていれば、ディテールが多少はみ出していようが、おかしくても気にしない。むしろ、その異物感を重視していた部分があったのかな、とも今になると思います。本人に聞いたことはありませんが、『日本の夜と霧』とかもそうでしたし。

―『愛のコリーダ』も完璧主義者だったら、違う撮り方だったと思います。定を演じた松田英子さんもぴったりだけれど、スクリーンでの違和感も同時にある。それが存在感なのでしょう。演技で言ったら、女将役の中島葵さんの方が上手い。

それはよくわかります。父の映画には、非俳優によるわけのわからない場面もありますしね。

『戦場のメリークリスマス 4K修復版』©大島渚プロダクション

「R・レッドフォードに断られた理由が『冒頭10分でアメリカ人は解らなくなるだろうから』というのは理解できる」

―『戦メリ』は、見直すと男同士の愛をすごく感じますね。今ならBL映画と言われるかもしれない。男しか登場しない。ゲイという言葉もそこまで一般的ではなかった時代ですが。

はっきりした表現はないけれど、たけしさん演じるハラ軍曹と、トム・コンティ演じるロレンスの間にも、ある種の愛がある。ハラはロレンスを好きなんだけども、ロレンスが捕虜になるのを受け入れていることが納得できない。でも彼への気持ちがあって、それがラストシーンに繋がる。男たちの愛や憎悪、理解と不理解が入り乱れている。洋の東西の摩擦というよりも、僕は個々の人間が惹かれ合うことについての映画なのでは、と思っています。

『戦場のメリークリスマス 4K修復版』©大島渚プロダクション

―最初から死に場所を探しているセリアズことボウイに、まんまとヨノイこと坂本さんが引っかかってしまう、というようにも感じられて、その意味ではサムライ映画っぽさもある。大人になると色々見えることがたくさんある映画だと思いました。坂本龍一さんは、ことあるごとに大島監督への感謝を語っていますね。

父は本当に信頼した人や、スターをちやほやするところがあって。ちょっとミーハーというか、アンビバレントなところがあったと思います。たけしさんも坂本さんも、日本で1、2を争う素敵な男だから、好きにやらせたんでしょう。当初は緒形拳さんなど違うキャスティングを考えていたようですが、本当に、この二人で良かったと思いますね。ボウイの役も最初はロバート・レッドフォードにオファーしていた。断られた理由が「冒頭10分で、アメリカ人は解らなくなるだろうから」というのは理解できます。

―大島監督の作品をこれから発見する若い観客に一言お願いします。

僕は、父のATG時代の『新宿泥棒日記』(1969年)などは大学生の頃にまとめて観たんですが、すごく新しいものに見えたんです。同じように、『戦メリ』や『愛のコリーダ』も、おそらく今の人にとって新鮮さがあると思う。今はわかりやすい映画がたくさん公開されていますが、ちょっと違う感覚を覚えるんじゃないかな、と。古い映画を観るというより、新しいものに触れる感覚で観てもらえたら、と思います。

大島新監督

取材・文:石津文子

『戦場のメリークリスマス 4K修復版』は2021年4月16日(金)より公開中、『愛のコリーダ 修復版』は4月30日(金)より順次公開(※4月27日より緊急事態宣言に伴い都内の一部劇場では休映。再開時期は公式サイト・SNSにて告知)

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