河村康輔「いちばん最初のデザイン仕事は、吉祥寺バウスシアター経由で」(4/5)

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ライター:BANGER!!! 編集部
河村康輔「いちばん最初のデザイン仕事は、吉祥寺バウスシアター経由で」(4/5)
グラフィックデザイナー/アートディレクター/コラージュアーティスト、河村康輔さん。近年では『AKIRA』で知られる大友克洋氏との一連のコラボレーションを目にした人も多いはず。巨匠の作品を文字通り“切り刻む”ことが許されたアーティストなのです。
偏り気味と自称する映画嗜好やアーティストとしてのキャリアに影響を与えた“映画体験”と、それにまつわる人生の様々なエピソードをお届けします。

『AKIRA』はトラウマ映画

出会い……いちばん最初っていうと子どもの頃になるんですけど、たぶん映画館に行ったのは「東映まんがまつり」的なやつで(笑)。映画っていう映画を観に行ったのは、なんだろう? 子どもの頃に連れて行かれて観た『AKIRA』(1988年)が最初じゃないかなあ、親が好きで。

それまでは、ドラえもんとかドラゴンボールとかの世代なので、そういうのを観に行っていて。それとは違うものっていうか「あ、これが映画なんだな」と思ったのは、小学生のときに観た『AKIRA』。18歳くらいまでずっとトラウマになっていて、怖すぎて観られなかったですね(笑)

当時はもう『AKIRA』の印象が本当に強かったので、しかも映画館って暗いじゃないですか。なので怖い、嫌な場所っていうイメージが強くて(笑)。中学生くらいになって、はじめて居心地がいいと思うようになったんじゃないかなと。

映画っていうより、その場所、映画館ってものを好きになった感じですね。近所にすごく古い映画館があって、上にサウナがあって1階が映画館だったんですけど(笑)。子どもの頃からなぜかそのサウナに行って、その後たいして興味もない映画を親に連れて行かれて観るっていう。

何を観たかとかは全然記憶にないんですけど、その場所にその流れで行くっていうのがすごく好きで。その帰りに、いつもすごい細い路地を通って帰るんですけど、昔は看板屋さんが映画の看板を描いていたじゃないですか。そこの路地の脇にその看板屋さんがあって、そこで絵を観るのがすごく好きでした。だから映画を楽しみに行くっていうより、そこの空間を含めて好きになって、どんどん居心地がいい場所に変わりはじめて。

青春時代はデヴィッド・リンチとデヴィッド・クローネンバーグとスキンヘッド音楽

高校生のときが、いちばん色々と大きかったなと。映画と音楽、あとファッションも好きだったんですけど、特に映画と音楽が自分の中で大きくて。

ものすごく僕に影響を与えた友達がいるんですけど、そいつがすごい映画好きな奴で、高校生の頃からお小遣いを全部レンタルビデオに使うような奴だったんです。当時1,000円で4~5本借りれたんですけど、毎回お小遣いで1000円分借りて、1~2日で全部観て、また次の日に借りる。そいつの部屋で毎日、夜も帰らずに映画を観るっていうのを、ずっとやってた感じですね。

そいつとデヴィッド・リンチの話をしたり、そこからの流れでデヴィッド・クローネンバーグとかを好きになったり。そこでスキンヘッドの音楽、パンクロックとかハードコアにハマって、本当に365日そのことしか考えてないような青春時代でしたね。

デザインの仕事は「楽そうだな」とか思ってた(笑)

もともとはレコードジャケットと、VHSのパッケージがすごく好きだったんですよね。海外版はカッコいいじゃないですか、でも日本版のパッケージも好きで、そこでデザインっていうものを一番最初に意識しはじめた。

それが職業としてあるっていうのとかは、住んでいたのも田舎ですし、周りにそういう人もいなかったので全然わからず。映画配給会社とかレコード会社に入って、その中でこういうことをやってるんだろうなと思いながら。でもなんか、こういうことを将来的にできたらいいなって、すごく漠然となんですけど意識してましたね、その頃。

逆に、それ以外の仕事はもう高校生の時から考えてなかったくらい、ビジュアルに関わる仕事をやりたいっていうのはずっとありました。(この世界に)入ってみると、結局は大変だったりとか色々とあるんですけど、外から見てるぶんには「すごくカッコいいなあ」とか、子どもの頃だし浅はかなんですけど「楽そうだな」とか「好きなことやってお金もらえるんだ~」とか(笑)。自由にやってお金もらえて、有名になったら雑誌に出れて、すごく良い職業だなとか思ってて。いやもう本当に、実際は大変だってことは分かりました(笑)

友達の「このフライヤーひどいから、やらせてもらったら?」で、デザインが仕事に。

22歳くらいの頃、高校を卒業して、なんかデザインをやりたいとは思ってたんですけど、そういう学校とか美大とかには行かなかったので、そのまま(東京に)出てきて。高校生の頃から何も変わらない、映画観て音楽聴いて遊びに行ってバイトして、みたいなルーティーンを続けていました。その間にパソコンで、誰に見せるわけでもなく趣味でデザインの真似ごとみたいなことをやってる頃、友達が吉祥寺バウスシアターっていう映画館でバイトしていて。

それでよくバウスに遊びに行くようになって、その友達とは普段から毎日のように遊ぶし、友達がバイトに行くと僕も後で行って映画観て、っていうことを毎日のようにやっていて。あるときその友達がバイト帰りにうちに来て、フライヤー(チラシ)を一枚持ってきて「お前の好きそうな映画のレーベルが立ち上がったみたいで、今日うちに『イベントできないか?』って営業に来たんだよね」って見せられたのが、今はないんですけど<TRASH MOUNTAIN VIDEO>っていう、イタリアとかの本当にどうしようもない(笑)、日本盤が全く出ていなかったような映画をDVD化するレーベルのフライヤーだったんですけど。

たまたまそれを立ち上げた方がその友達の大学の先輩で、そういうのもあって「お前のとこでこれのイベントできない?」みたいなことでフライヤーを持ってきて。でも立ち上がったばっかりのレーベルだったので、その人たちも初めてだったみたいで。デザインのことも何も分からないし、できる人もいないってことで、本当に簡易的なフライヤーだったんですよね。

それで、その友達が「このフライヤーひどいから、先輩だし紹介するからなんかやらせてもらったら?」って言ってくれて。そしたら、あっちはあっちでデザイナーとかも知らないし、もちろんそういうレーベルなので普通にデザイナーを調べてオファーできる予算もなくて、こっちはこっちでお金なんていらないけど何か世に出る物を作りたいって思ってたので、そこで合致して。たしか、それでフライヤーを作らせてもらったのが一番最初のデザインの仕事。その後すぐ、そのレーベルのパッケージをやらせてもらうようになって。だからデザインに関わったのは、映画の仕事が最初ですね。

絵がぜんぜん描けないから、コラージュ手法を突き詰めた

(コラージュ手法のきっかけは)単純に僕、絵がぜんぜん描けなくて(笑)。高校生の時にデザインをやりたいと思って、そういう真似ごとじゃないですけど絵を描いたりしはじめて。今は全く描けないですけど、当時は模写だけはできて。色んなものを模写して、何かの真似ごとをして描いたりしてたんですけど、よく考えたらこれでデザインはできないなって。

デザイナーの方ってイラストを描かれたり、全て器用にできる。僕はそれが全くできなくて、これって諦めなきゃいけないのかな? ってなったときに、当時のVHSのパッケージでも、もともとB級映画みたいなものが好きだったので、ああいう素材がない映画って無理やり色んなシーンを切って貼って、ジャケットになってたりするじゃないですか。そういうのを見て「あ、この手法があった!」ってなって(笑)。それでもデザインとしてできるんじゃないのかな、っていうのがきっかけです。

コラージュは高校生の頃から興味はあってやってたんですけど、単純に絵が描けないっていうのは……作品のときは直感でばーっとやっちゃえばいいんですけど、クライアントさんとミーティングするときとか、他の方はちゃんとノートを持ってきてミーティングしながらざっくりラフを描いたりとかするんですけど、僕まったくやったことなくて。できないんですよね、それぐらい絵が描けない(笑)

画家の人たちは画集とかも出て、誰でも名前を知ってるような人がいる。でもコラージュの作家ってパッと名前が出てこない。だから、それで作品として成立してるっていうイメージが当時はなくて、でも僕が好きなレコードジャケットとかを見ると、すごくカッコいいコラージュとかだったり。

僕もこういうふうにやっていきたいなーってというところから始めて、その後、僕がすごく好きだったバンドのレコードジャケットをコラージュで作ってたアメリカの作家の方とお会いできる機会があって。そこで、けっこう意識的なものがガラッと変わって、もっとガッツリ突き詰めてやらないと、たぶん今のままやっていてもこの人と同じ手法になっちゃうし、この人自身に憧れて僕は始めているので、越えることは難しいだろうなって思って。

いまだにその人とは親交があって、本当に家族みたいな付き合いをしてもらっているんですけど。でも、ここでこの人と一緒に同じようなことやっていも、ずっとその人の後ろなので、別のところには行けないなと。それで、とにかくコラージュっていうものは何なのか? っていうところを突き詰めて、色んな手法を試したり、他の人がやっていない手法をやってみたりとか、本当にトライアンドエラーを繰り返して、それで今の形になっていきましたね。

紙が切れれば何でもいいというか(笑)、とにかく試してみるっていうのはいまだにやっています。今はシュレッダーが多くなってきていて、その中で色々と試しているんですけど、最新の作品が「これ以上のものはないな」ってなってきてるんで、いまは別の手法を試しています。

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