「(仕事相手は)みんな飲み友達(笑)」
――プレス資料に掲載されていたコメントのなかで、森永さんがカメラの前で開いていてくれるんだから、こちらが開かないでどうする? と書いていらっしゃって、私はそこに感じ入ったんです。逆に、撮影者って一歩間違えると暴力的になってしまって、報道とかで、過去にカメラを武器にどこまでも行ってしまうという人もいましたよね。いま小田さんがおっしゃった、オフのままどんどん行っちゃう人というのが一方ではいると思うんですが、何がその違いを分けるのかということが気になっていて。これは暴力そのものにつながる話なのかなと思うのですが。
どうでしょう。報道の方に限らず、映画製作者もそういう人たくさんいると思います。彼らはオフにしているというよりはグイグイ行く。積極的に行っている感じがします。さっき自分が言ったのは、受けた時の門の幅が日々違います、という話です。
――そもそも(暴力的になる撮影者は)受けない、みたいなことなんでしょうか。
そもそもリアクションの人たちじゃなく、アクションの人たち。自分たちから撮りにいくとか、何か(カメラに)収めたいものがもうすでにあるから、それを収めるための行動がある。それが時にはカメラの前の人たちにとっては暴力的になることもある、ということかなという気がします。
――確かに。ジャンルとかあんまり関係ないですもんね。先ほどうかがった『じぶん、まる!』や『まさゆめ』など一緒にお仕事なさっている監督も個性的な方ばかりですね。だいたいどんな感じでつながっていくというか、お仕事が来たりオファーなさったりしていらっしゃるんですか?
小林さん以外はみんな飲み友達(笑)。『まさゆめ』の吉開(菜央)さんは彼女が短編集の上映で大阪に来られていて、その時の劇場でのトーク相手を私が務めて。同い年で、その時くらいからたまに一緒に遊んだりとか、同世代の作家たちが何人かいるので、みんなで遊んだりしていて。
その後、自分の『Underground アンダーグラウンド』という映画に出演していただいて――『アンダーグラウンド』の後期と『まさゆめ』の製作が多分被ってると思うんですけれど――私が大阪住みというのがあって「小田さん、(京都の)禅寺でのシーン撮影お願いできないですか」というお声がけがあって、もちろん私でよければ、と。
崟(利子)さんも共通の友人が何人かいて、たまに遊んでいただいていて。一歩さんと崟さんの関係性が近すぎるので自分に監督してほしいというオファーだったんですが、私はやっぱり崟さんが映画に残したいと思われた人だから、崟さんが監督されたほうがいいんじゃないかなと思って「撮影だったらやります」っていうことで、お世話になりました。
――『アンダーグラウンド』と『まさゆめ』で、吉開さんが全然違って見えるのもすごく面白かったんです。
なんかいいペアの作品だなと思ってます。どっちもB面みたいな作品だなって。
――両A面じゃないんですね(笑)。ご自分の作品を撮る時と、ほかの監督の作品を撮る時って、何か大きく違うところってありますか?
ひとの作品と私の作品という括りよりは、私が個人でクリエイティブなことをほぼほぼ一人でやっちゃう作品と、ひとと共同して制作する作品とでは違うなっていうのはあります。その違い以外は、自分の作品と撮影で入る作品の違いはほぼないです。もちろん責任のあり方と、作品における役目っていうのはもちろん違いますが、撮影をする現場の上ではまったくないです。
「タル・ベーラは、すごく地に足がついた熱い人というイメージ」
――『FUKUSHIMA with BELA TARR』(2024年)でタル・ベーラ監督から突然話しかけられたりしていましたよね。「君見てるけど、君だってこうなんだぞ」みたいなことを言われて。あのシーンがちょっと面白くて「わっ、こっち来た!」みたいなのがカメラが動いてないのに、なんかわかっちゃう。
あ、実は私じゃないんです。あれはみんな私が怒られていると思ってるんですけど、あの日だけ私は恵比寿映像祭に参加するために抜けないといけなくて、その日の撮影を秦(岳志)さんに代わってもらったんです。秦さん、数日だけ手伝いに来て怒られる(笑)。
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――しかも、この映画にも関わっていらっしゃる。フィルムファクトリーにいらっしゃったということもすごくお話を伺いたかったことで、実際どんな授業なんですか?
授業はすごく不思議な……3年間で大学院という形式だったんですが、サラエボの私学の建物を一棟借りてまして、本当に何もない中で始まったんです。そこにはベーラと基本的に私たちだけで、ベーラと自分たちで1年に1~2回、短編を作るので個人セッションが常にあって、クラスとしてはだいたい2週間交代くらいで現役のフィルムメーカーの人たちが交代で来てくれて。作家であればご自身の作品、役者さんであればその役者さんにとって演じるとはどういうことなのかとか。映画は作った後、ひとに届ける作業があるので、配給の人が来てくれて大体の仕組みを教えてくれたりとか、そういうことを2年半~3年くらいやっていました。良かったです。
――“私たち”とおっしゃったのは生徒さんたちですね。
はい、自分の代は17人で始まって。たぶん12人未満ぐらいで終わったと思います。
――途中でお辞めになる方が何人か出てくる。
そうですね。経済的な理由だったり、ベーラとの相性が良くなかったり、いろいろ。
――フィルムファクトリーでも、またそれ以外でも、タル・ベーラに教えられたもっとも印象的だったことは何かありますか?
ベーラに教えられたことで最もよく思い出すのは、例えばお金を集めようと思ったら何かしら書類を書いたりするじゃないですか。ドキュメンタリー、ノンフィクションと言われるものでも、今はある程度のプロットというかスクリプトが要るんですが、そういうものの中には映画はなくて、現実に生きている人たちがいて、彼らの生活があって、その営みの中に彼らの感情や人間関係があって、そこからしか映画は始まらないっていうことは、もうずーっと言っていました。
「書いていないで街に出ろ」というのは今もよく思い出します。福島でも言っていましたが、「いまの時代の映画っていうのは、物語じゃなくて人間関係を映す。人間の感情を映画の言語に落としていくのが、いまの映画制作だ」というのは、よく思い出します。
――昔タル・ベーラ監督にインタビューさせていただいて、すごいなと思ったのが、『ファミリー・ネスト』(1979年)の話になった時に「(70年代ハンガリーで貧しい人を公営住宅から追い出した政策について)あんなひどいことはない!」って昨日のことのように思い出して、すごく怒っていらしたんです。素晴らしいなと思って。まさにこの話の感じですよね。
そうですね。アカデミーに入る前に、自分で8ミリカメラを買って工場で働きながら、その人たちの映画を作ったりとか自分で映写活動をしていたと言っていました。ベーラの作品だけを見たら、すごくカチッとした「映画!」っていう感じの人ですけど。でも、すごく地に足がついた熱い人というイメージです。
「この映画はなぜ作られているのか、何らかの形で示さないといけない」
――お好きな映画を教えていただけますか?
好きな映画、難しいですね。
――では、最近ご覧になって好きだった映画とか。
すごく最近の話でもいいですか?『ナイトシフト』(1981年製作/ロビーナ・ローズ監督)という映画を大阪の劇場で見まして、面白かった。夜の映画で、音楽関係ですごく著名な方々がたくさん出ているらしいんですが、私は全く誰が誰かわからなかったけれど、それでも映画として面白い。
あと2~3週間前くらいにDMZ国際ドキュメンタリー映画祭のフロンティア部門っていう、既存の映画言語を押し広げていこう、映画って色々あるよねっていう部門の審査員で行っていたんですが、そこで拝見したZhou Taoさんという中国の人が撮られてた『The Rib of the Greater Bay Area(原題)』という映画も面白かったです。
――大阪の劇場って七藝(第七藝術劇場)とかですか。
私がよく行くのはシネ・ヌーヴォさんで、七藝さんもたまに友人たちの作品を見に行ったりしています。
――小林監督とご一緒なさって、どんな印象でしたか? ご挨拶しかしたことがないんですが、いつお会いしてもすごくいい方だなって。
はつらつとしてますよね。不思議な人やなと思います。ご自身がもともと写真も映画も撮られるカメラマンっていうのもあると思うんですけど、ここまで自由に撮影させていただくのはすごくありがたかったです。現場で見ていたら言いたくなることもあると思うんですよ。でも、こう撮ったほうがいいとか、ああしたほうがいいとかは一切なかった。
ご自身がずっと主題とされてきている映画たちのテーマも、子どもだったり福祉だったり、障害を抱えた方だったり、今回は性暴力、痛みと共に生きるということ。それらにずっと献身的に従事してこられた凄さっていうのは……それは、大きいとか小さいとかいうよりは、そういう器の人なんだなという気がします。そういう人格というか。そうじゃないとできない気がする。そういう意味ですごく尊敬していますし、小林さんみたいな映画の作り手って、とても必要だなという気がします。
『魂のきせき』©Kasama Film
――完成した作品の中ではすごく自然な感じで入ってくるわけですが、制作過程としては途中から監督が(被写体として)突然入ることになったわけですよね、画面の中に。その時はどんな感じでしたか?
スタッフも編集の秦さんも、撮影していた自分もそうですけれど、皆さんの日常を撮る、今のことを撮る。そこで被害のことをお話していただいたり、しなかったりもする。それを撮っていて、この映画がじゃあどこに行くのか、この映画はなぜ作られているのか、ということを何らかの形で示さないといけないなっていうのはあったんです。
それをどういうふうに表現できるんだろう? っていうのがあって、それは撮影の仕方であったり、映画のいろんな工夫で模索していくべきものだと思うんですが、そこに小林さんがこの映画を作る理由みたいなものが見えてこないと、このチームがなぜこの映画を作っているのか? この取材に従事しているのか? というのがお客さんにはわからない。
「こうだからこれをやってます」というのを表現するためには、小林さんが出て行くのがやっぱり一番表現として見えやすい。小林さんが画面の中に行って関係性が映れば、何が起こっているのかっていうのは映るので、故郷に行ったり、いろいろ話していただいたりしました。
――ではチーム全員で考えていて「小林さん出てください」みたいな感じだったんでしょうか。それとも小林さんから?
主導されていたのは秦さんかな。私も何が映ればいいのか、という時期に入ったなっていう感覚はありましたが、それで「小林さんが出るべきや」って前のめりに言った記憶はなくて。どちらかと言えば、秦さんが「それが最終的に本編に入るか入らないかわからないけど、1回コバさんがなんでこの映画やりたいかっていうのをみんなで行って撮ってみましょうか」と言ったのが、プロセスとしてありました。
『魂のきせき』©Kasama Film
――10年間、すごく大変だったと思います。しかもその間に小田さんはご自分の監督作を3本お出しになった。
あれ、3本? 長編は……(指を折って)あ、3本。すーごい働いてる!
――(笑)それもすごいなと思って。どういうペースでお仕事なさったんだろうと思ったんですが。
でも、そんなにせわしい日常を送ってるわけじゃないです。自分がすごく幸運なのは、映画以外のことはしていないので。映画というか、映像っていう表現以外のことはやっていないので100%注ぎ込めるっていうのはありますね。
――単純に、どんなタイムスケジュールで動かれていたんだろう? というのは気になりました。
普通に、ぼーっとしてるときの方が多いです。忙しい時は忙しい、という感じで。
――ありがとうございました。でも、やっぱりすごいことだと思います。
取材・文:遠藤京子
『魂のきせき』は10月24日(土)よりユーロスペースほか全国順次公開
『魂のきせき』
映画監督の小林茂は、性暴力のサバイバーであることを公にして活動を続ける一人の写真家との出会いをきっかけに、本作の製作を決意する。大切な友人が、幼少期に受けた性虐待によるPTSDで長年苦しむ姿を見ていたからだ。やがてカメラは、それぞれ異なる痛みを抱えながら生きるサバイバーたちへと向けられていく。悔恨、怒り、うつ、不眠、解離、自傷、希死念慮。言葉にならない痛みとともに生きるということを、どう映すのか?
長期化する撮影のなかで、小林は映画製作の意義を問い、自分自身の過去と向き合う。幼いころの記憶をたぐり寄せると、そこに戦争の昏い影を背負って満洲から引き揚げてきた家族との日々が浮かんだ。異なる時代、異なる出来事に刻まれた傷は、ときに遠く、ときに近く、響きあうことがあるのだろうか――。
傑作『阿賀に生きる』(佐藤真監督)の撮影でも知られる小林茂監督が本作のキャメラを託したのは、映画作家の小田香(『セノーテ』『Underground アンダーグラウンド』)。録音に川上拓也、編集に秦岳志と現代映画を支えるシネアストが集結。出演者たちとスタッフの協働によって生まれた映画は、2025年の山形国際ドキュメンタリー映画祭、東京国際映画祭で上映され、多くの観客に驚きと深い感動をもって迎えられた。
『魂のきせき』には2つの意味が込められている。深い傷つきとともに歩んできた魂たちの〈軌跡〉。そして、孤独な魂と魂とが、まるで地下水脈のように深いところで、いつか静かにつながりあう〈奇跡〉。その〈きせき〉の先に、何があるのか?
本作は、このかすかな希望に目を凝らし、耳を澄まし続けた、9年間の記録である。
監督:小林茂
出演:森永都子、高橋和枝、にのみやさをり、小林茂
撮影:⼩⽥⾹ 録⾳:川上拓也 編集:秦岳志
歌:結華
制作事務局:須藤伸彦
プロデューサー:⻑倉徳⽣ 秦岳志
製作:カサマフィルム
配給:アギィ 配給協⼒:リガード
| 制作年: | 2026 |
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2026年10月24日(土)よりユーロスペースほか全国順次公開