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10年かけて「暴力からの回復」捉えた大作ドキュメンタリー『魂のきせき』の“軌跡”を撮影・小田香に聞く

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ライター:#遠藤京子
10年かけて「暴力からの回復」捉えた大作ドキュメンタリー『魂のきせき』の“軌跡”を撮影・小田香に聞く
『魂のきせき』 ©Kasama Film
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カメラマン小田香が語る『魂のきせき』制作秘話

小林茂監督のドキュメンタリー『魂のきせき』には、性暴力被害者が自分自身を回復していく過程が映されている。

自分なりにその後を生き抜いてきた三人の女性たち――登場順に、故郷に戻って封印していた記憶が戻ってしまいトラウマに苦しんだ森永都子さん、加害者と対話するプロジェクトを続ける写真家のにのみやさをりさん、女性のシェアハウスを運営するカウンセラーの高橋和枝さん――の経験が明かされるが、小林監督自身も父親の暴力の記憶と向き合い、暴力の連鎖に気づいてゆく。10年かけて魂が変容していく軌跡、奇跡が撮られた大作だ。

『魂のきせき』©Kasama Film

この作品にカメラマンとして参加し小林監督に伴走してきたのが、自らも映画監督である小田香さん。これまで『鉱 ARAGANE』や『セノーテ』、『GAMA』、『Underground アンダーグラウンド』など優れたドキュメンタリーを生み出してきた小田さんに、現場や撮影法について聞いた。

小田香さん

「映画業界の中の性加害やハラスメントが、可視化されだした」

――『魂のきせき』は性暴力被害のサバイバーを描いている映画ですが、いまだにセカンドレイプなどをよく耳にするような状況で私自身もまだ性暴力被害というものをちゃんとわかってないと思うんです。ただ、この映画を見て勇気づけられたのは、小林監督が(当事者ではないから)わからないことをそれでもわかろうとする立場から、もがきながら撮っていらっしゃるところだったんです。でも、この作品の製作がスタートした十年前は、もっと状況は良くなかったじゃないかとも思うんです。

そうですね。自分が認識しているかぎりは、アメリカの「#MeToo」運動の前なので。もちろん、性暴力被害というものが世界にあるということは認識していたけれども、私自身も撮影が始まってすぐではなく、2~3年後くらいからやっと、自分が従事している映画の世界、自分の日常と続いている世界に性暴力を受けた方がいたり、性加害をしてしまう人がいたりということを聞くようになり、その都度少しずつ自分に関わることとして引き寄せて考えられるようになっていったという感じです。

――撮られていたあいだ、そうやって話し出す人が増えること以外に、社会全体の変化は感じられましたか?

私がちゃんと社会全体のことを見れているかわからないのですが、自分が従事しているのは映画業界なので、映画業界の中で性加害であったり非常に強いハラスメントというものが、すでにずっとあったんだと思うんですけど、それが可視化されだした、皆が言葉にして話しだしたという変化はあったと思います。

――途中に「#MeToo」(※)などがあったのも大きかったのでしょうか。

そうですね。

※#MeToo:米映画プロデューサーのハーヴェイ・ワインスタインに対する性加害告発を機に、全米で爆発的に拡大した社会運動。政財界の有力者追放や職場規範の刷新、法改正へと結実した。日本でも権力関係を利用した性加害への責任追及訴訟などを機に関心が高まり、不同意性交等罪の創設など法整備につながった。

「カメラを“置いてはいけない”場所は、わかる」

――この作品は秦さん(映画プロデューサー/本作を編集した秦岳志さん)からアプローチされたということですが、どんな経緯で小田さんが撮ることになったんでしょうか?

わからないです(笑)。でも『魂のきせき』チームに会ったのは小林さんの前作の『風の波紋』という映画で、台湾の国際ドキュメンタリー映画祭に招待されていて。私が一番最初に撮った『鉱 ARAGANE』(2015年)という長編映画があるんですけれども、それも同じ部門で上映をしていただいていて、そこで会いました。『鉱 ARAGANE』を見ていただいていたと思います。

その後、帰国してから春だったと思うんですが、秦さんから連絡があって「小田さん、どうでしょう?」というお声がけをいただいたんですが……「『鉱 ARAGANE』見て私に頼むんや」と思いました(笑)。なんか全然、不安はないんかな、向こうからしたらどうなのかな? と思ったんですけど。でも呼んでくださるなら勉強してみたいなと思って。

――私からすると『鉱 ARAGANE』はすごく美しい映画で、頼む側の理由もなんとなくわかります。ご自分では意外だったんですか?

意外でした。『鉱 ARAGANE』って、ある空間と労働の時間を定期的に捉えてまとめた作品。個人の日常を映した作品ではないじゃないですか。スタイルが違うと言えば違うし、数度しか会ったことがなくてお話したこともないのに……当時はもうちょっと若かったんですけど、この若者をチームに入れるのは不安じゃなかったのかな? という気はしました。

――それはやっぱり素晴らしい作品だったからだと思います。構図はどのように決めてらっしゃるのでしょうか? 今回『魂のきせき』では、すごく寄って撮っているところと引いて撮っているところのメリハリがすごく面白いなと思いました。にのみやさをりさんのパートでは玄関のところに立っている親子を遠くから撮っている絵があったり。田中一歩さんの映画(『じぶん、まる! いっぽのはなし』[2025年])とかでは意識されて同じところで撮ってらっしゃる感じで、吉開さんの『まさゆめ』(2026年)でもかなり寄ったり、すごく引いていたり。

もちろん監督が考えていることのなんとなくの共有はあるので、撮影者や録音マンはその場にいるスタッフとして「こういう感じかな」というのはあるんですが、どの作品においても物理的な制限というのはやっぱりあります。屋内であれば、どこにカメラを置ける、どこまで引ける、どこまで寄るか……寄るのは比較的に取材対象の方が嫌がらなかったら大丈夫ですけれど。その中で、『まさゆめ』なんかは禅寺で皆さん修行されているからカメラを置ける位置はほぼほぼ決まっていて、私は“置いたらもう動かない”という感じだったので、そんなに難しくなかったです。

『じぶん、まる!』も比較的、考え方としてはわかりやすくて、崟さん(崟利子監督)から、この映画で収めたいのは一歩さんがお話しされている姿とその語り自体だということは事前に共有していただいていました。もちろん、その時も何をお話しされるかを事前になんとなく共有していたんですが、私の方(前方)を向いてお話されていたので、一歩さんがお話されている時に自分が動いたら、少し追っちゃうじゃないですか、“途切れちゃう”というか。であるならば、この場はずっとここにいて、一歩さんの語りをそのまま聞こう、ほかにカットが必要なのであれば、また崟さんの指示があって撮る余裕もあるだろうという判断で、まずは収める。その後に監督から「ワンカットだけでいい」ということになれば、それをそのまま使う、というのが現場の感じだったと思います。

『魂のきせき』は、小林さんは例えばカメラを置く位置だったりフレーミングのこと、いつ始まって、いつ終わるかっていうのは、ほぼほぼ指示はないので。場づくりをして、少し遠くからみんなのことを見ていて、寄る寄らないに関しては、私はそんなに寄らないようにはしてたんですが、寄ってる時は、さっきも言いましたけども物理的な制限というのがカメラを置く位置にはあって。特に屋内とかだと……例えば、その語りが持っている「情報」以外のことは映らないなと思った時は、なにか工夫できないかなと思って、身体の部分的に寄って映したりとか。手だったりお顔っていうのは顕著に何かを表すときがあるので、それで寄ったりはしていました。

『魂のきせき』©Kasama Film

――にのみやさんが写真を撮りますよね、モデルさんと一緒に海に入って。あの時にのみやさんの顔にカメラが寄って、手に視線が移動して、さらにモデルの方に移っていくという寄り方がすごく面白かったです。

あれはすごく変則的な撮り方です。にのみやさんの写真を撮られる時の躍動感を受けて、じゃあ自分たちのイメージはどうしたらいいかな、という。私はああいう撮り方はあまりしないですが、でもあの時はなんかいいショットだなと思いました。

――すごく面白いショットでした。それこそ濱口竜介監督とイザベル・ユペールさんが、カメラの位置が一番重要だと言っていらしたのにすごく似てるなと思ったんですが、ご自分の映画でもそんな感じで撮っていらっしゃるんでしょうか。

そうですね。でも、現場で確信めいた気持ちがあるかと言われればそうではなくて、これはどの作品もですが、置いてはいけない場所はわかるんです。近すぎるとか、明らかに被写体の人たちにとってカメラが回っているのかわからない位置に置いちゃうとか、ダメな位置はわかるんです。それが正解かどうかがわからないというのは、探っています。

――被写体から発見されない位置に置くというのは、やっぱりちょっとフェアじゃないということですか?

フェアじゃないし、何か非常に大事なことが目の前で起こって、それを瞬発的に収めないといけないと思う時があるんですが、結果的に、そういうものを収めたとしても編集では落とされることが多いし、私自身も落とす選択をすることが多い。突発的な反応はそこまで重要じゃなく、それでカメラの前の人たちが自分たちに対して懐疑心や不満を抱くのであれば、リスクとして高すぎる気がします。

『魂のきせき』©Kasama Film

「いろんな映画に携わっていて、やっぱり“受けきれない”時はある」

――感動的なシーンがいろいろあって、たとえば東広島の精神科のお医者さんで診察を受ける森永さんの表情が圧倒的に変わる瞬間がありましたよね。そういう瞬間を撮った時の驚きとか感動というのは、現場で感じられるものなんでしょうか? それとも後で撮ったものを見た時に、これは……となる感じですか?

現場で感じますが、私はあのお医者さんのシークエンスはそんなに感動しなくて、誘導の仕方が嫌だなと個人的には思っていました。

――“医師 対 患者”という権力勾配みたいなものはどうしてもあるから、そこは誘導的な感じはしてしまうかもしれないですね。

あと、お医者さんって撮れないなと思いました。お医者さんは何個もフィルターを使っている気がする。だから何も映ってないなあと思いながら。でも森永さんはきっと自分であそこまで行ってるし、映画にも貢献しようとしてくださっていたし、小林さんとあのお医者さんの関係性もあったので。あのシーンが担う総合的な働きみたいなものがあったのかなと思います。

――でも確かに職業的に「わたくしは医師という役割でございます」っていう姿勢でいなければならないと思うので、プライベートや個人として出会ったらまた違うのかもしれないですね。

でも普通に考えたら、確かにお仕事的にいくつかなにかをかぶっていないと“くらいすぎる”というか。それはそうだろうな、と思います。

『魂のきせき』©Kasama Film

――そうですね。“くらいすぎる”ということで言うと、高橋さんが「カウンセラーをうまくやりすぎた」と言っていたシーンもありました。だから、役割を使って距離を置くということなのかなと。やっぱり苦しいシーンも多い映画だったと思うんですが、当事者の方の話を聞いていて、撮影者として苦しくなってしまうこともありましたか。

にのみやさんに関してはインタビューもしているんですが、そういうシーンはカットされていて。インタビューしている時は、やっぱり思い出されながらお話されて我々も傾聴するので、当事者の体験とはもちろん全く違うものですが、聞いて想像するわけですから「一生、この痛みと生きていくのは大変やな」と思うのはあります。

森永さんは、やっぱり冒頭の詩を読まれるところ。使われていないシーンもたくさんあって、撮影したけれど非常に生々しいというか、ご自身のリアルな感情だったり起こったことを述べられていたんですが、やっぱり、なんかこう……胸を貫いてくるものがあります。私はカメラを置いてモニター越しに見ているので、そういう時も自分の中でオンオフができるんですが、森永さんが詩を読まれるときはオンオフができなかった。強制的に開けられているという感じでした。開けられるぐらいに目を逸らせない引力というか、強さがありました。

――そうですね。出来上がった作品の中では何分間かだけですが、すごく強烈なシーンでした。ご自分でオフにされるというのがちょっと気になったんですが、オフにしながら撮るということはカメラという機械の一部に徹する、撮影者に徹するみたいなことなんでしょうか。

いえ、本当は常に開いていた方がいいと思うんです。でも、この映画だけじゃなくて、いろんな映画に携わっていて、やっぱり受けきれない時ってあるんですよね。プラス、私の体調が常に絶好調なわけではないので、免疫が下がっている時や疲れている時、精神的にダウンしている時は、もちろん撮影しないといけないけれど、完全に開けないなというときはどうしてもあります。

『魂のきせき』©Kasama Film

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『魂のきせき』

映画監督の小林茂は、性暴力のサバイバーであることを公にして活動を続ける一人の写真家との出会いをきっかけに、本作の製作を決意する。大切な友人が、幼少期に受けた性虐待によるPTSDで長年苦しむ姿を見ていたからだ。やがてカメラは、それぞれ異なる痛みを抱えながら生きるサバイバーたちへと向けられていく。悔恨、怒り、うつ、不眠、解離、自傷、希死念慮。言葉にならない痛みとともに生きるということを、どう映すのか?

長期化する撮影のなかで、小林は映画製作の意義を問い、自分自身の過去と向き合う。幼いころの記憶をたぐり寄せると、そこに戦争の昏い影を背負って満洲から引き揚げてきた家族との日々が浮かんだ。異なる時代、異なる出来事に刻まれた傷は、ときに遠く、ときに近く、響きあうことがあるのだろうか――。

傑作『阿賀に生きる』(佐藤真監督)の撮影でも知られる小林茂監督が本作のキャメラを託したのは、映画作家の小田香(『セノーテ』『Underground アンダーグラウンド』)。録音に川上拓也、編集に秦岳志と現代映画を支えるシネアストが集結。出演者たちとスタッフの協働によって生まれた映画は、2025年の山形国際ドキュメンタリー映画祭、東京国際映画祭で上映され、多くの観客に驚きと深い感動をもって迎えられた。

『魂のきせき』には2つの意味が込められている。深い傷つきとともに歩んできた魂たちの〈軌跡〉。そして、孤独な魂と魂とが、まるで地下水脈のように深いところで、いつか静かにつながりあう〈奇跡〉。その〈きせき〉の先に、何があるのか?
本作は、このかすかな希望に目を凝らし、耳を澄まし続けた、9年間の記録である。

監督:小林茂
出演:森永都子、高橋和枝、にのみやさをり、小林茂
撮影:⼩⽥⾹ 録⾳:川上拓也 編集:秦岳志
歌:結華
制作事務局:須藤伸彦
プロデューサー:⻑倉徳⽣ 秦岳志
製作:カサマフィルム
配給:アギィ 配給協⼒:リガード

制作年: 2026