『ジェニー・ペンはご機嫌ななめ』
6月12日(金)全国ロードショー
人は平等に歳をとり、老いて死ぬ。何年生きていようとも、その人生がどんなものであろうも、老後は穏やかであってほしい……子供たちが活気と笑顔で溢れているべきであるように、終わりも同じくありたい。 だが、世の中そんなに簡単ではない。学校でのヒエラルキーや、会社のパワーバランス、地域コミュニティでの格差――要は、しがらみや怨みや嫉妬。そんな力に振り回されるのが世の常だ。
映画『ジェニー・ペンはご機嫌ななめ』の舞台はケアセンター。入所してきたばかりのステファンは検事だが、裁判中に脳卒中で倒れ、車椅子生活を余儀なくされたのだ。彼は判事らしく気難しく気取り屋で、ほとんど独りで暮らしていた。ところが、ある夜、人形を手にはめた長身の老人デイヴに、同室のガーフィールドが虐められているのを目撃する。
デイヴは、夜な夜な入居者を虐めるケアセンターの支配者だった。自身のプライドをかけて抵抗するステファンだったが、執拗かつ巧妙、陰湿な彼のやり口に追い詰められていく――。
『ジェニー・ペンはご機嫌ななめ』©2024 Hyenas Rule Ltd
徹底的に不安で埋め尽くす“老後”を描いた理由とは?
ジェームズ・アッシュクロフト監督インタビュー
ジョン・リスゴー演じるデイヴの鬼気迫る演技が目を引く、ケアセンターでの虐めという世知辛いテーマを扱った本作、じつはオーウェン・マーシャルの同名小説が原作だ。
マーシャルはニュージーランド屈指の短編作家で、若者の叶わぬ夢、中年の諦め、孤独な老人といった人物たちの小さな夢と挫折を描いてきた。原作小説はすこぶる評判が良く、「心が疲れている時に読むのは避けるべき」と評され、老人デイヴは「最も忌まわしい創造物」と称されている。
さて、穏やかであってほしい老後を徹底的に不安で埋め尽くす原作を映像化した意味とは? 監督のジェームズ・アッシュクロフトに話を伺った。
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「こんなにも普遍的でありながら、これまで描かれてこなかった世界」
――本作の着想について伺いたいと思います。ケアセンターというのは穏やかな場所というイメージがありますよね。そこに暴君が生まれるというのは非常にユニークな設定だと思うのですが、原作小説にどんな映画的可能性を感じたのか、また映画化にあたって加えた要素があれば教えてください。
いい質問ですね。私には幼い子が三人いるので、いじめというものをかなり身近に意識して生きているんです。でも、この短編を読んで初めて、自分の親が老いてから同じ目に遭う可能性があるということに気づいた。人生の黄昏時にいじめが起きるなんて、まったく考えたことがなかった。だからこそ、これは他に類を見ないアプローチだと思いました。
『ジェニー・ペンはご機嫌ななめ』©2024 Hyenas Rule Ltd
私自身、こういった世界のことを多少は知っていましたが、ここまで深く描かれた作品はなかった。私はマオリ系なんですが、マオリの文化では高齢の親は最期まで家族が自宅で看るんです。でも、ニュージーランドでは介護は一大産業になっている。だから、こんなにも普遍的でありながら、これまでこういう形では描かれてこなかった世界に入っていきたいと思ったんです。
自分たちの多くに待ち受けているかもしれない未来。そこで出会う最悪の人間。自立を奪われていく恐怖。もう、それだけで十分に怖い。
原作から変えた一番大きな点は視点です。原作はデイヴ、つまり加害者の目線で書かれているんですが、映画では新しく施設に入ってくる人物、ステファンの視点に切り替えました。そうすることで、観客も一緒にその世界に放り込まれる感覚を体験できる。自立した人生が少しずつ奪われていく、そのリアリティをより強く感じてもらえると思ったんです。これは最悪のケースを描いていますが、起こりうることではあります。
『ジェニー・ペンはご機嫌ななめ』©2024 Hyenas Rule Ltd
「“隅に追いやる”姿勢が、弱者が被食者になりやすい環境をつくっている」
――“最悪のケース”というお話とも繋がるんですが、作中では介護施設という大きなビジネスの構造的な問題も描かれていますよね。デイヴの行為そのものより、誰もそれを止められないというシステムへの批判がより怖い。一方でそれはホラーの文法でもあって、「助けを求めても信じてもらえない」という設定が恐怖の土台になっている。意図的に盛り込んだ部分ですか?
そこは確かに意識していました。「訴えても信じてもらえない被害者」というのはホラーの定番のトロープですよね。ただ、リサーチの過程で実際にいくつもの施設を訪問しましたが、そもそも介護業界を批判したいわけではまったくないんです。
私が見た施設の多くは本当によく運営されていて、温かくて、職員と入居者の間にいい関係がありました。ただ、どの施設でも否めないのは人手不足ということです。入居者の数に対してケアする人が足りていない。そのゆがみの中で――コミュニケーションが断絶した、ちょっとした隙間の部分で――悪い行為や、いじめが起きやすくなる。それに西洋社会には、「高齢者は施設に預けてしまえばいい、そこが最後の場所だ」という意識がある。そういう「隅に追いやる」姿勢が、弱者が被食者になりやすい環境をつくっている。
『ジェニー・ペンはご機嫌ななめ』©2024 Hyenas Rule Ltd
このストーリーで興味深いのは、権力を濫用するのが介護職員ではなく入居者だということです。かつて社会的な力を持っていなかった人間が、施設の中では身体能力や精神的な強さがまだあるがゆえに、突然“支配者”になれる。だからデイヴが最も激しく攻撃するのは、かつて力と地位を持っていた人間なんです。元スポーツヒーローのガーフィールドが最大の標的になるのも、ステファンが次のターゲットになるのも、それが理由です。この小さなマイクロコスモスの中に起きる権力の二重構造が、非常に面白かった。
『ジェニー・ペンはご機嫌ななめ』©2024 Hyenas Rule Ltd
「私たちは今、非常に暴君的な時代に生きていると思う」
――権力の濫用というテーマに関連して、監督が以前インタビューで「暴君は雑草のようなもの。放っておけば育つ」とおっしゃっていたのを読みました。それを聞いてショックを受けたんですが――とすると、雑草は抜くべきなのか、それとも理想的には抜かなくてもいい方向に社会が育っていくべきなのか。この映画を通じて何かサジェストしていることはありますか?
とても素晴らしい問いかけですね。これはジョン・リスゴーにとっても非常に重要な点でした。彼は最初「監督に会ったら断ろう」と思っていたんです。怖かったから。
でも私は彼に、デイヴが自分の過去を振り返って語る、ある台詞のことを話しました。デイヴは悪役ですが、悲劇的な悪役です。どこかに共感できる瞬間を作ることが重要だと思った。今の彼は、もう抜け殻です。愛も、友情も、情熱も何もなく生きてきた人間。残っているのは憤り、苦々しさ、嫉妬、そして腐食性の強い権力への執着だけです。
『ジェニー・ペンはご機嫌ななめ』©2024 Hyenas Rule Ltd
雑草を抜くか育て直すかという問いに対して言えば……悪い行為が育つのは、コミュニティの中に関係性が欠けているところです。コミュニケーション、共通性、つながりが強い環境では、悪い行為は自然と呼び出され、認識され、抑制される。それが最も健全な状態だと思います。
私たちは今、非常に暴君的な時代に生きていると思います。でも同時に、これほどまでに人々がいじめや権力の乱用に対して声をあげることを促されてきた時代もない。権力者というのは急激に台頭するのと同じくらい、リソースが枯渇すれば急速に崩れ落ちる……リチャード三世を思い浮かべるといいでしょう。
愛も情熱もない孤独な人生は、条件さえ揃えば暴君を生む。だから社会の誰に対しても、そのことを意識していなければならないと思います。
『ジェニー・ペンはご機嫌ななめ』©2024 Hyenas Rule Ltd
「デイヴを演じるためには“喜び”を体現できる俳優が必要だった」
——ジョン・リスゴーのキャスティングについて聞かせてください。私は『トワイライトゾーン/超次元の体験』(1983年)で、彼が飛行機恐怖症の役を演じているのを見たときから、どこか哀れみを誘うような役がしっくりくる人だなと思っていたんです。今回、デイヴという役をオファーした決め手は何でしたか? また、二面性のある人物の演出は、彼との対話の中で生まれていったものですか?
まず個人的な話をすると、私は5歳のころから『サンタクロース』(1985年)でジョンの演技を見ていて、ずっと大好きだったんです。いつか一緒に仕事がしたいとずっと思っていた。だから彼と組めたのは夢が叶った感じでした。
それと同時に、デイヴを演じるためには「喜び」を体現できる俳優が必要だったんです。デイヴは人生の黄昏で初めて喜びというものを体験している人間です。悪事によって手にした権力に完全に酔いしれている。だからこの役には、それを大きく、喜びとして表現できる俳優が必要だった。
それにジョンは舞台俳優ですよね。私はそこに惹かれました。表の場面では、デイヴはジェニー・ペンという人形の影に隠れて静かにしている。でも裏に回ると、舞台いっぱいに広がるような存在感がある。これはデイヴにとっては全てエンターテインメントなんです。私がよく使うたとえが「世界最悪のコメディアンのステージに閉じ込められる」というもので、他の入居者はそのルーチンを延々と見せられ続けるしかない。
そしてジョンは、本当に楽しんで演じてくれました。忌まわしいことをしているキャラクターだけれど、デイヴ自身は人生を謳歌している。その喜びを体現しながらも、同時にどこかに弱く小さな人間が透けて見える。190センチ近い大きな体の中にある、小さくて弱い存在。その二面性を、ジョンはちゃんと出してくれました。観客が惹きつけられながらも完全に嫌悪する、あの“プッシュプル”の感覚は彼がいてこそです。
『ジェニー・ペンはご機嫌ななめ』©2024 Hyenas Rule Ltd
「権力は本質的にとても空虚なもの。ジェニー・ペンの目はそれを体現している」
——その二面性の鍵となるジェニー・ペン人形について聞かせてください。認知症ケアで使われるディメンシャドールからインスピレーションを得たと聞きましたが、あの目のないデザインはどこから来ているんでしょうか?
原作の人形とは全然違うんですよ。原作では入居者の孫が作った紙製の手作り人形なんです。でも、共同脚本家のイーライ・ケントとリサーチをしている中でディメンシャドールというものを知った。そして「老いた男性が腕に人形を抱いている」というイメージ、それ自体が持つ二面性――人生のサイクルのようなもの――にすごく惹かれたんです。
それと、あの人形たちって特徴がないんですよ。表情がない。だからわざわざ怖く作る必要がなかった。むしろ“不気味の谷”的な平凡さを使いたかった。良いことのために作られたものが悪に転用されるという二面性をね。
『ジェニー・ペンはご機嫌ななめ』©2024 Hyenas Rule Ltd
目については、最初から目がない状態にしたかったんです。マスクの後ろに何があるのか、決してわからない。でもジョンがパペット使いのポール・ルイスと作業する中で、「目がなければ繋がれない、何か必要だ」と言ってきた。だから妥協として、非常に小さなクリップオンのパーツを人形の内側につけて、かろうじて瞳のように見えるけれど、やっぱり空洞というデザインになりました。
これは大切なことで、権力というのは本質的にとても空虚なものです。だから底が見えない、理解できない、だから怖い。ジェニー・ペンの目はそれを体現しているんです。
『ジェニー・ペンはご機嫌ななめ』©2024 Hyenas Rule Ltd
――『ジェニー・ペンはご機嫌ななめ』は、シンプルなサイコスリラーとしても楽しめる。だが、やはりというか当然、社会的意味もしっかり存在していた。雑草は抜くべきか? アッシュクロフト監督の答えはシンプルだ。関係性が育つ土壌に、暴君は根付けない。ジェニー・ペンの空洞の目が映しているのは、デイヴの空虚さであり、人と人の間に育てることを怠った何かの影だ。
――空っぽの目が、こちらを見ている。
取材・文:氏家譲寿(ナマニク)
『ジェニー・ペンはご機嫌ななめ』は6月12日(金)より新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国公開
『ジェニー・ペンはご機嫌ななめ』
正義感が強く、法を守る強い信念とプライドで長年判事を努めてきたステファン・モーテンセン(ジェフリー・ラッシュ)に訪れた突然の悲劇。病に倒れ、車椅子生活を余儀なくされた彼は郊外のケアハウスに入居する。だが、そこにはジェニー・ペンという名のドールセラピー用の指人形を手に陰湿ないじめで老人たちを支配するデイヴ・クリーリー(ジョン・リスゴー)という1人の入居者がおり、彼と敵対したステファンはいじめの標的にされてしまう。繰り返されるデイヴの理不尽で屈辱的な嫌がらせ、そしてエスカレートする邪悪な行為。正義のために戦い続けてきた男の人生最後の戦いは、想像を絶する死闘と化していく…。
監督・共同脚本・製作総指揮:ジェームズ・アッシュクロフト
出演:ジョン・リスゴー、ジェフリー・ラッシュ、ジョージ・ハナレ
| 制作年: | 2024 |
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2026年6月12日(金)より新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国公開