アメリカン・ニューシネマの〈第二陣〉とは?古きハリウッドに“先祖返り”した西部劇フォーマットの名作たち
『ビリー・ザ・キッド/21才の生涯』© MCMLXXIII by Metro-Goldwyn-Mayer Inc. All Rights Reserved.
『大いなる勇者』© Warner Bros Entertainment Inc. All rights reserved.
『大列車強盗』(1972年)© Warner Bros Entertainment Inc. All rights reserved.
狭義の「アメリカン・ニューシネマ」
1960年代末から1970年代にかけて、ハリウッドでは“アメリカン・ニューシネマ”と呼ばれる作品が矢継ぎ早に登場した。だが、一般にアメリカン・ニューシネマと呼ばれる作品の定義はまちまちで、一体どこからどこまでの作品が含まれるのかは人によって見解が異なる。
狭義には1967年の『俺たちに明日はない』、『卒業』から、1973年公開の『ミーン・ストリート』、『セルピコ』辺りまでを指すことが多いが、広義には1978年の『ディア・ハンター』、1979年の『地獄の黙示録』辺りまで含めることもある。
だが、1974年以降の作品では、それまで反体制的な立場で、映画業界の中でもTV畑出身などアウトサイダー的なポジションにあったニューシネマの作り手たちが、むしろメインストリーム化してきた側面があるので、従来のハリウッド映画を変えた新しい映画(ニューシネマ)という本来的な意味からすると狭義に捉えたほうが良さそうだ。
ニューシネマの“第一陣~第二陣”とは?
その狭義のアメリカン・ニューシネマも、実は第一陣と第二陣とがある。第一陣は『俺たちに明日はない』、1969年の『真夜中のカーボーイ』、『イージー・ライダー』、『明日に向って撃て!』、1970年の『ファイブ・イージー・ピーセス』、1971年の『バニシング・ポイント』といった作品群。特徴としては主人公とその相棒はアンチ・ヒーローで、最後には体制側に敗北して死ぬ(『卒業』は異なるが)。
ヴァリエーションを増してきた第二陣は、ジャンル的にはむしろ古いハリウッドに先祖返りしたように西部劇というフォーマットに落とし込んだ作品が多くなる。『イージー・ライダー』を手掛けたデニス・ホッパー、ピーター・フォンダそれぞれの次作が『ラストムービー』(1971年)、『さすらいのカウボーイ』(1971年)だったのが象徴的で、『卒業』、『真夜中のカーボーイ』のダスティン・ホフマンもニューシネマ西部劇『小さな巨人』(1970年)に主演する。
第二陣のニューシネマ西部劇①
『ギャンブラー』(1971年)
そんなアメリカン・ニューシネマ第二陣の秀作の一つに、『俺たちに明日はない』の主演で鮮烈な印象を残したウォーレン・ベイティ主演、『M★A★S★H マッシュ』のロバート・アルトマン監督による『ギャンブラー』(1971年)がある。
『ギャンブラー』(1971年)© Warner Bros Entertainment Inc. All rights reserved.
『明日に向って撃て!』の原題が「Butch Cassidy and the Sundance Kid」だったように、『ギャンブラー』の原題は「McCabe & Mrs. Miller」で、つまりはニューシネマ特有の二人の主人公によるバディ・ムービーなわけだが、ここでは男同士の相棒ではなく、売春宿を経営するビジネス・パートナー同士のベイティとジュリー・クリスティという男と女がバディとなっているのが特徴。二人はベッドを共にすることはあっても恋人同士というわけではなく、クリスティは他の売春婦よりも高い代金で客をとったりもする。
『ギャンブラー』(1971年)© Warner Bros Entertainment Inc. All rights reserved.
実は、『イージー・ライダー』というタイトルは、“バイクに乗って自由気ままに旅する者”ではなく、“娼婦を恋人に持つ男”の隠語で、つまり金を払うことなくその娼婦の上に“乗る”ことができる男という意味。この『ギャンブラー』のベイティはまさしく“イージー・ライダー”を地で行く男だ。
成り上がり者への横やりで巨大企業によって殺し屋三人を差し向けられるベイティに、クリスティは「逃げて!」と懇願するものの、ベイティは一対三の不利な戦いをやり遂げようとする、という内容で、その意味ではオールド・ハリウッドの西部劇『真昼の決闘』(1952年)同様の“嫌々ながらのヒーロー(Reluctant Hero)”だが、ニューシネマたるゆえんはその終わり方にある。