パニック映画ブームが生んだ2大スター競演作『タワーリング・インフェルノ』
リーの弟子として葬儀に参列したスティーヴ・マックイーンは、1970年代前半の時点では世界で最も高額ギャラを取るスターで、それより前の1960年代中頃は彼よりも5歳上のポール・ニューマンこそが最大のスターだった。
マックイーンとニューマンは『傷だらけの栄光』(1956年)で共演しているが、この時はニューマンが主役だったのに対して、マックイーンはその他大勢のチンピラの一人としてチラッと映っただけ。その後、マックイーンの人気がぐんぐん上がり、1960年代末にはほぼ互角の地位にまでなった。そして、ニューマン最大のヒット作となった『明日に向って撃て!』(1969年)で二人の競演が画策されたのだが、ギャラの交渉で折り合わずに、マックイーンが演じる予定だった役はロバート・レッドフォードのものとなった。
こうした因縁を持つ二人が、はじめて互角の立場で本格競演したのが『タワーリング・インフェルノ』。日本公開は翌1975年6月だったが、製作・アメリカ公開は1974年の作品だ。
これは、似た企画を同時に進行させていたワーナー・ブラザースと20世紀フォックスが話し合いの末、二本の別々の企画を合体化させて共同配給することになった前代未聞の映画。当時の“パニック映画ブーム”の中で常態化していたオールスター・キャストのグランドホテル形式の映画の中でも、マックイーンとニューマンという、いわば東西両横綱が初めて本格競演する、当時の映画ファンにとっては夢のような作品だった。
ショーン・コネリーがキャラ変に成功『オリエント急行殺人事件』
同じく、日本公開は1975年5月だったものの、製作・英米公開は前年だった1974年の作品として、『オリエント急行殺人事件』が挙げられる。
同名の映画が2017年にも製作され、ケネス・ブラナーが主人公の名探偵ポアロを演じ、その後シリーズ化されたので、そちらの方になじみがある映画ファンも多いと思うが、出演者たちの豪華さという点では1974年版のほうが遥かに上の“真のオールスター映画”、とオールドファンとしては確信している。
ポアロ役は名優アルバート・フィニーで、英米の主演スター・クラスが何と14名。一人ひとりを紹介するのは紙幅の都合で出来ないが、女優だけでも、ハンフリー・ボガートとのコンビで一世を風靡したフィルム・ノワールのヒロイン=ローレン・バコール、共にアカデミー賞受賞経験のある英国女優のウェンディ・ヒラーとヴァネッサ・レッドグレイヴ、そして本作での演技で三度目のオスカー受賞となったスウェーデンが生んだハリウッドの名花=イングリッド・バーグマンなどのヴェテランから、花の盛りのジャクリーヌ・ビセットまで、目も眩むほどの顔触れ。
そして男優陣の中では、当時、『007』シリーズのジェームズ・ボンド役を降りて新しい役柄を模索中だったショーン・コネリーの登場が注目の的だった。コネリーは1974年8月に公開された『未来惑星ザルドス』、そして本作のあと『風とライオン』(1975年)、『王になろうとした男』(1975年)でイメージ・チェンジに成功し、俳優として第二の黄金期に突入していった。
“Love may not make the world go round, but I must admit that it makes the ride worthwhile.”
— StudiocanalUK (@StudiocanalUK) October 31, 2020
A legend of the big screen - we’re deeply saddened to hear of the passing of Sir Sean Connery. Seen here in one of his many iconic roles as Col. Arbuthnot in Murder on the Orient Express. pic.twitter.com/tRshUlsSmh
その他の“1974年の映画たち”はどんな顔ぶれだったか?
さて、『燃えよドラゴン』が日本中の小学生たちに真似され、『タワーリング・インフェルノ』と『オリエント急行殺人事件』が製作された1974年という年には、ほかにどんな作品が日本で公開されたのか?
『ある愛の詩』(1970年)で知られるライアン・オニールが先ごろ82歳で亡くなったが、そのオニールが実娘テイタム・オニールと共演してテイタムが史上最年少の10歳でアカデミー賞助演女優賞に輝いた『ペーパー・ムーン』が3月に公開されている。
一方、6月に公開された『続・激突!/カージャック』で劇場用映画の監督デビューを果たしたのがスティーヴン・スピルバーグで、彼も2023年で77歳になったが、何せユニヴァーサル映画と7年契約したのが21歳の若さで、『激突!』(1971年:日本では劇場公開)など何本かのテレビ映画での注目を経て本作で長編デビューした時点でまだ26歳だったから、2024年の今もバリバリの現役監督であることはご承知の通り。
7月に公開された『エクソシスト』(1973年)もまた、“オカルト映画ブーム”の火付け役となった。悪魔に取りつかれた少女リーガンの母親を演じたエレン・バースティンは当時40歳だったが、2023年に公開された『エクソシスト 信じる者』でも50年振りに同じ役で登場(出演時は90歳!)し、往時のファンを感激させた。
そして、この年の大トリとして日本中に一大ブームを巻き起こしたのが、12月公開の『エマニエル夫人』だった!?
……こうして振り返ってみると、たった一年の間に“カンフー映画ブーム”、“パニック映画ブーム”、“オカルト映画ブーム”、そして“エマニエル・ブーム”といった大流行が起こったのだから、映画というものの社会的な影響力がいかにスゴかったのか、改めて感じさせてくれる。
文:谷川建司
『燃えよドラゴン』『タワーリング・インフェルノ』『オリエント急行殺人事件』はCS映画専門チャンネル ムービープラスで2024年2月放送