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エヴァ嫌いだった少年が『シン・エヴァ』に涙するまでの25年 ~特撮オタクミュージシャンの記憶と記録~

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ライター:#ナカムラリョウ
エヴァ嫌いだった少年が『シン・エヴァ』に涙するまでの25年 ~特撮オタクミュージシャンの記憶と記録~
筆者私物

エヴァンゲリオンとわたし

この記事を書くにあたり、まず正直に告白しておきたい。僕はエヴァが嫌いだった。

そんな人間がこの執筆を引き受ける資格があるのか? もっと適格者はごまんといるではないか。葛藤はある。でも書きたい。そんな人間だからこそ書けることがあるかもしれない。そう信じて、筆を進める。

劇中設定の深い洞察や、シリーズを総括した評論、人生をエヴァに捧げた人だけに許される魂を震わすような批評は残念ながら書けないため、他に譲りたい。この記事は世界に数千万通り、数億通りもあるであろう「エヴァンゲリオンとわたし」というストーリーの中のひとつ、「特撮オタクミュージシャンの場合」として読み進めていただければ幸いである。

以下、まず少しだけ自分語りが長くなるがお許しいただきたい。

「なんだ! こっち側の人じゃん!」

1995年。僕は14歳だった。いわゆる中2病の萌芽がクラスに蔓延る中、同級生の間でにわかに話題になり始めたTVアニメ作品。それが『新世紀エヴァンゲリオン』(1995~1996年)だった。

同じ頃にロック音楽の洗礼を受け、ギターと音楽雑誌にのめりこんでいた自分にとって、周りの仲間がガンダムでもジブリでもない訳のわからぬアニメで盛り上がっている様子は、正直に言うと居心地悪く感じた。とくに決定的だったのは、中学の卒業文集。たまたまクラスのヒエラルキー高めな男子がアニメ好きだったことで、文集の表紙は知らないうちに彼が書いた綾波レイと惣流・アスカ・ラングレーが絡み合っている若干アレなイラストが採用されていた。それを手にした自分が「……気持ち悪い」と呟いてしまったことは、どうか看過してほしい。「あーエヴァって、こういう消費のされ方をするアニメなんだな……」。僕の認識はそれから長いこと、ずっとそこで止まったままだった。

その後、TV版から『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』(1997年:以下『旧劇場版』)に至る流れの中で一大社会現象と化したエヴァは、当然無関心な自分の視界にもちょくちょく現れた。友人たちとカラオケに行くたび必ず歌われ、やたら盛り上がる「残酷ななんちゃら」や「魂のどうたら」が内心疎ましかった。ミュージシャン界隈でもエヴァファンは多く、かつて組んでいたバンドの某メンバーなどはレーベルスタッフも交えたミーティング中「芸名を“シンジ”に改名したいんです」と真顔で切り出してきて、かなり返答に困った。マティスEBフォントでデザインされたイベントチラシも何度目にしたことだろう。こんなふうに若者を怪しげで思想的なオタクの道へ先導し、惑わせている庵野秀明という人物は、邪悪な教祖みたいな奴に違いない、と勝手に決めつけていた。

そんな自分の認識が少し変わったのは2004年頃、NHKの「トップランナー」に出演していた庵野監督が「『エヴァ』は衒学的な作品なんです」と語っているのをたまたま観たときだ。衒学(げんがく)とは「知識を必要以上にひけらかすこと。内容のないものをさも重要にあるかのように見せること」。――目から鱗が落ちた。まさに僕がエヴァに抱いていた先入観を、他でもなく監督自身が自覚しており、ましてそれを公共の場で語ってみせるとは。これをきっかけに、僕の中で庵野監督の人物像はだいぶ違うものになった。と同時に、庵野監督が自分と同じくウルトラマンをはじめとする昭和特撮を深く愛してきたこともやっと知ることになり、「なんだ! こっち側の人じゃん!」と急にシンパシーを感じるとともに、これまでの己の無知を深く恥じた(とはいえ当時バンド活動一本槍だった僕は、それでもエヴァを視聴するには至らなかった)。

にわかエヴァファンの呪縛

次に大きな転機が訪れたのは2012年夏。東京都現代美術館で開催された展覧会「館長庵野秀明 特撮博物館 ミニチュアで見る昭和平成の技」だ。日本が誇る「特撮」の技術と文化の灯が消えかけている危機的状況を誰よりも自覚し、一大行動を起こした庵野氏の愛の深さに、僕は率直に胸打たれた(手前味噌だが、我々が「特撮をロックで盛り上げたい」という決意のもと科楽特奏隊というバンドを結成したのも、この展覧会が少なからず影響している)。

その後、怪獣映画では異例の日本アカデミー賞7冠を成し遂げた『シン・ゴジラ』(2016年)、NPO法人「ATAC」(アニメ特撮アーカイブ機構)の設立、そして福島県須賀川市の特撮アーカイブセンター開館など、多方面に渡って自身のルーツである特撮を守り、刷新しようという姿勢を見るにつけ、気づけば僕にとって庵野秀明という人物はエヴァの監督である以前に、巨大なる特撮オタクとして常に意識せずにはいられない、分かりやすく言えば「庵野くんのことを考えると、ぽかぽかする」存在になっていた。

そんな流れの中で、いよいよ僕はパンドラの匣を開ける気持ちでエヴァを鑑賞するに至ったのである。新劇場版3作(2007~2012年)を皮切りに、TVシリーズ、旧劇場版を補完。だが、後追いでエヴァを観始めた人の宿命とでも言うべきか、このときのエヴァ体験は「補完」というより「補習」に近かった。

というのも、当初カウンターカルチャーとして存在していたエヴァがすっかりメジャーコンテンツになった結果、それを「未知の体験」として鑑賞することはかなり難しかったのだ。「逃げちゃダメだ」「笑えばいいと思うよ」「あなたは死なないわ。私が守るもの」などの名台詞が登場しても、はたまたTV版終盤のカオス展開を観ても、「ほーん、これがかの有名なアレね」と、どこか観光名所をガイドマップと照らし合わせるような気分が先に来てしまう。『シン・ゴジラ』公開時に散々指摘された「エヴァっぽさ」を逆引きで確認することに気を取られてしまう。それは作品の表層をなぞるのみに過ぎないのに。

これが、にわかエヴァファンの呪縛なのか。『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』(2012年)を観ても腹が立たず、むしろ示唆に富んでいて斬新な作品だと感じる自分は間違っているのだろうか。今更ながら、エヴァを無視した14歳の自分を少しだけ憎らしくも思った。

そんな僕でも、やっと完全に未知の作品として出会える「エヴァンゲリオン」。それが『シン・エヴァンゲリオン劇場版』(以下『シン・エヴァ』)だった。これまでエヴァを「待った」経験がなかった僕にとって、幾度かの公開延期という憂き目さえも、新作を待ち遠しく感じられる愛しい時間だと思えたのが本音だ。

約25年間にわたるエヴァの歴史に落とし前をつける壮大な最終話

※注意:以下、物語の内容に一部触れています。

さて、実はここまでの文章を書いたのは、『シン・エヴァ』を鑑賞するより前である。新作を観た結果、自分の記憶に何らかのバイアスがかからぬうちに書き残しておいたものだ(瑣末な文法表現以外は手を加えていない)。

というわけで、ここからがやっと本題のレビューということになる。

2021年始早々、本作の公開に備え、改めてTV版、新旧劇場版、漫画版を取り憑かれたように繰り返し観た。その結果、以前よりずっとクリアにこの物語を捉えられた感覚があった。

難解で謎めいた設定こそ多々あるが、そんな衒学的要素になぞらえて描かれていることすべてが「庵野秀明総監督の心の旅(マインド・ジャーニー)である」という視点で観れば、きわめて明快で普遍的な物語だということにやっと気づいたのだ。

巨大なるオタクである庵野総監督が自分自身に葛藤し、他者とのコミュニケーションに悩み、それでも自らの「好き」を通すことに執心する過程。それをビジュアライズしたのがエヴァなのではないか。そう解釈したとき、僕はストーリーの展開や、設定の数々がやっと腑に落ちた気がして、改めて強く感動した。

庵野氏が『シン・ウルトラマン』(2021年初夏公開予定)の製作を引き受け、その中に込めた想いが垣間見えてきた今だからこそ、エヴァの見え方の解像度も高まったのかもしれない。そして『シン・エヴァ』に関するひとつの予感を抱いた。

今の庵野総監督が、この作品をどのように終わらせるか。筋書きの展開こそ予想もつかなかったが、きっと自分自身のルーツや、ずっと愛してきたものに帰ってゆく(還ってゆく)物語になるのではないか。そう思った。そう願った、というほうが正しいかもしれない。

果たして実際に『シン・エヴァ』を鑑賞した結果、その予想は当たっていた、とも言えるし、そんな狭量な解釈は軽く飲み込んでしまう作品だったとも言える。

予告編で何度も繰り返された「決着」という単語や、劇中で再三発せられた「落とし前」という言葉が示唆するとおり、この作品はエヴァの全てのキャラクターのみならず、関わってきたスタッフ、製作されたシリーズ、さらに日本社会を巻き込んだ約25年間のエヴァの歴史そのもの、それら全てに落とし前をつける壮大な最終話だったと思う。

それでいて、半ば力技で舞台をアニメから特撮にすげ替える演出や、過去の特撮映画からの大胆な引用など、オタクの信念を感じさせる「本気の遊び」もかつてないほどふんだんに取り込まれている。そこに込められた、和製SF映画黎明期に荒地を耕し、道を拓いた先人たちへのメッセージに気づくたび、僕は暗涙にむせぶしかなかった。

登場人物たちのたどり着く先も様々だ。積年の想いを果たす者、贖罪を全うする者、想いを新たにする者。その結末の意味は観た人の数だけ解釈があるだろう。ただエヴァに関して言えば、キャラクターたちの行く末が示されたことこそが「ファンの魂の浄化」にも繋がっていくように思う。実に見事な幕切れだと思った。

途方もない創作の旅の終わりに、心からのリスペクトを

僕が常々感じているのは「庵野秀明という人は、とても信用できる人物だ」ということ。

庵野氏ほど好きなものと嫌いなものがはっきりしていて、それを明確に表現できる人はそういないだろう。正しいと感じることを徹底的に正しいと描ける。その逆もしかり。仮にも同じクリエイターの末席を汚す身として、これは本当に羨ましいことだ。

かといって、独りよがりな孤高の表現者ではない。きちんと大衆の共感を呼ぶものをロジカルに作れる力も持ちあわせている。チームを大切にし、集団で大きなものを作る行為に多大なリスペクトを払っている。それでいて、最後には「自分の好きに」作品を破壊することもできる。「君らも好きにしろ」と問いかけてみせる。そういうことを、何十年もブレずに繰り返し続けている。

『シン・エヴァ』ではそれに加え、特撮博物館やATACの活動にも通じる庵野総監督の「感謝と労い」がはっきり描かれていた。それは前述の特撮作品だけでなく、自分についてきてくれた盟友、スタッフ、家族にも。劇中の登場人物たちにも。そしてエヴァを見守り続けてくれた全てのファンにも。さらに言えば、庵野秀明自身にもだ。

『シン・ウルトラマン』が、ウルトラマンのデザインを生み落とした芸術家・成田亨がかつて抱いていた想いを昇華する試みであることを庵野氏は明言しているが、だとすれば『シン・エヴァ』は、彼自身が幼い頃から抱き続けてきた想いを昇華する作品に他ならないと僕は思う。

特撮。鉄道車両と線路。工場のある町。それらをこよなく愛した遠き日のアンノ少年への、優しい眼差しを画面から感じずにはいられなかったからだ。

以前、庵野氏が出演した「課外授業 ようこそ先輩」(NHK)を何気なく見返す機会があった。1999年に放送されたそれは、39歳当時の彼が故郷・山口県宇部市の母校の教壇に立ち、慣れない小学生相手に戸惑いつつもアニメを教えるという内容であった。

その中で庵野氏は、宇部の工場地帯を懐かしそうに一望しながら「いつか僕の描く舞台は、ここに戻ってくると思います」と語っていたのである。

『シン・エヴァ』の終劇を見送りながら、僕は不意にその言葉を思い出し、庵野総監督の憧憬が自分の胸の中にも静かに染み渡っていくのを感じた。

――創作者は常に自分の奥に新しい扉を探し、こじ開けるような作業を続けている。それでいて会心の作品というのは、そこに過去の全ての自分が映し出されているものだったりする。人生の半分近い時間を費やし、この途方もない創作の旅を終えたことに、僕は心からリスペクトを送りたい。

すでに『シン・エヴァ』を鑑賞したたくさんの人たちから、数多くの言葉が作品に手向けられている(あの卒業文集のイラストを書いたM君も観ただろうか。いつかまた会う日が来たら、そんな話がしたくなった)。自分もこうして言葉を残せたことに感謝でいっぱいだ。

「ありがとう」「おつかれさまでした」「さよなら」「おめでとう」。この作品の感想を一言で表す選択肢はたくさんあるが、僕は僕なりに、こう締めくくりたいと思う。

おかえりなさい、庵野さん。

文:ナカムラリョウ

『シン・エヴァンゲリオン劇場版』は2021年3月8日(月)より公開中

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『シン・エヴァンゲリオン劇場版』

新たな劇場版シリーズの第4部であり、完結編。 ミサトの率いる反ネルフ組織ヴィレは、コア化で赤く染まったパリ旧市街にいた。旗艦AAAヴンダーから選抜隊が降下し、残された封印柱に取りつく。復元オペの作業可能時間はわずか720秒。決死の作戦遂行中、ネルフのEVAが大群で接近し、マリの改8号機が迎撃を開始した。一方、シンジ、アスカ、アヤナミレイ(仮称)の3人は日本の大地をさまよい歩いていた……。

制作年: 2020
監督: