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「銃乱射事件のミュージカル化」は“不謹慎”なのか?映画祭を騒がせた衝撃作『ラン・アモック』の狙いとは

「銃乱射事件のミュージカル化」は“不謹慎”なのか?映画祭を騒がせた衝撃作『ラン・アモック』の狙いとは
『Run Amok』: X / @sundancefest

今年のサンダンス映画祭でプレミア上映された映画『ラン・アモック/Run Amok(原題)』が、欧米のメディアで大きく取り上げられ議論を呼んでいる。NB・メイジャー監督の長編デビュー作となる本作は、「銃乱射事件」という銃社会が抱える出口の見えない病理を、あえて“ハイスクール・ミュージカル”という形式で描いているのだ。

映画『ラン・アモック』の舞台と主人公の背景

海外の複数メディアによると、物語の主人公は14歳の新入生メグ。彼女が通う学校では、10年前に凄惨な銃乱射事件が発生しており、当時教師だった彼女の母親はその犠牲者の一人だった。彼女は事件から10年の節目とするイベントが開催されることを知り、激しく心を揺さぶられる。

しかしメグは母を失った喪失感と向き合い、自らのトラウマを浄化するために、事件を題材にしたミュージカルを制作しようと決意する。彼女をサポートするのは、パトリック・ウィルソン演じる合唱部の指導教師マックスだ。

殺人事件の“ミュージカル化”は不謹慎?

本作が議論を呼んでいるのは、凄惨な事件を軽快な音楽やダンス、そして時としてコメディ的なトーンで描いている点にある。悲劇を娯楽の形式に落とし込むことが犠牲者への冒涜になりかねない、という懸念がつきまとうのは当然だろう。

だが多くの観客が抱くかもしれない居心地の悪さは、むしろ監督が意図的に仕掛けたものだろう。日常化してしまった凶行、悲劇に対し、あえて挑発的な形式をぶつけることで観客の感情を揺さぶる構造は、いまでは珍しいものではない。監督自身もインタビューで、本作の狙いが単なるショック療法ではないことを明言している。

制作陣が明かす「真の目的」

NB・メイジャー監督は、銃乱射事件が繰り返される中で「祈りと追悼」という言葉が形骸化し、アメリカ社会がこの悲劇に対して感覚麻痺に陥っている現状を指摘している。つまり、悲劇を“不謹慎な”ミュージカルとして再構成することで、この凄惨な現実を「異常なもの」として再認識させ、悲劇を定型文の哀悼(祈りと追悼)で済ませてしまう文化そのものを突き崩すことが狙いなのだろう。

モリー・リングウォルドやマーガレット・チョーと並ぶ本作のスターキャストであり、プロデューサーを兼任したパトリック・ウィルソンも、映画上映後のティーチインで銃暴力が続く現状、加害者にも犠牲者にもなる若い世代への想いを語っている。この映画は単なる娯楽ではなく、止まらない暴力のサイクルに対する切実な叫びを、映画ならではのサタイア(風刺)でもって創られたのだ。

倫理観の遵守か、モラルへの挑戦か

もちろん鋭い風刺と全体のテーマのバランス感覚は重要だし、そこが評価の分かれるところでもあるだろう。また、実際に事件の遺族やサバイバーがどのように受け止めるかという倫理的な課題もあり、それは一般公開されてみないとわからない部分だ。

銃犯罪とは(基本的には)無縁の日本では、果たしてどのような反響があるだろうか? 日本公開は今のところ全く未定だが、映画という表現手段によって悲劇を語る際の“既存のモラル”に挑戦し、また社会の痛みについてどこまで踏み込めるかを問う『Run Amok』は、2026年の最注目作品になるかもしれない。

 

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