「推し」の国と「歴史問題」の国。その両方を生きる日韓の若者を、在日3世の監督はどう撮ったか――
佐賀県唐津市から韓国・釜山までは、直線でおよそ200キロ。東京までの5分の1ほどの距離である。晴れた日には、唐津の北にある呼子の高台から、壱岐、そして対馬の方角が望める。その向こうが朝鮮半島だ。
映画『3ミリの恋』は、その近さを題名にした。歴史の教科書に載っている日韓の地図で、唐津と釜山の距離を定規で測ると、わずか3ミリ。主人公の高校生は、それに気づいてある決断をする。
監督は、在日韓国人3世の全辰隆(チョン・ジニュン)。日韓の歴史を背負う男女を描いた短編などで評価され、本作が長編商業映画のデビューとなる。配給は東映。大手が、新人監督による日韓の青春映画を全国公開する。そのこと自体が、ひとつの時代の変化を示している。
©2026「3ミリの恋」製作委員会
物語と、舞台の選択
唐津で釣りに明け暮れる高校生タツヒコ(黒川想矢)のクラスに、夏
休みを前に、釜山から留学生ユンスル(キム・ジアン)が転入してくる。彼女がなぜ唐津を選んだのかは、ともに過ごす時間の中で少しずつ明らかになる。二人は親しくなるが、タツヒコの何気ない一言がユンスルを傷つけ、彼女は翌日、突然韓国に帰ってしまう。
注目すべきは、舞台が東京でも大阪でも福岡でもなく、唐津であることだ。
唐津は、その名のとおり「唐(から)への津(みなと)」、大陸と半島への玄関口として栄えた町である。そして市内の北部には、名護屋城の跡がある。16世紀の終わり、豊臣秀吉が朝鮮半島へ出兵するために築かせた巨大な城だ。全国の大名がここに陣を構え、十数万の兵が海を渡った。朝鮮半島では、この戦争は「壬辰倭乱」と呼ばれ、国土を荒廃させた侵略として記憶されている。
唐津の名産である唐津焼も、この歴史と切り離せない。その発展には、朝鮮半島から渡ってきた、あるいは連れてこられた陶工たちの技術が深く関わったとされる。町が誇る伝統工芸の根に、400年前の戦争がある。
釜山から来た少女が、数ある日本の町の中からなぜ唐津を選んだのか。あらすじはその理由を伏せている。だが、この土地の歴史を知っていれば、彼女の選択が偶然ではないだろうことは想像できる。そして、地元で育ったタツヒコが、その歴史をどれだけ知っていたのか。おそらく、ほとんど知らなかった。「何気ない一言」は、その非対称から生まれたのだと推測できる。
©2026「3ミリの恋」製作委員会
悪意のない言葉が、なぜ人を傷つけるのか
この映画の中心にあるのは、悪意のない加害である。
タツヒコは、ユンスルを傷つけようとしたのではない。むしろ好意を持っていた。それでも言葉は相手を刺した。差別的な意図のない、日常の何気ない言動が、相手の属する集団への偏見や無理解を伝えてしまうことを、心理学ではマイクロアグレッションと呼ぶ。「日本語うまいね」「韓国の人ってみんなそうなの?」「昔のことをいつまで言うの」。言った側は、なぜ相手が黙り込んだのかわからない。
日韓のあいだでは、この種のすれ違いが構造的に起きやすい。理由は、歴史教育の厚みの差にある。韓国の学校では、近代の植民地支配の歴史に多くの時間が割かれる。壬辰倭乱も、国民的な記憶として繰り返し語られる。日本の学校では、歴史の授業は古代から始まり、近現代は学年末に駆け足で扱われることが多い。豊臣秀吉は天下統一を成し遂げた英雄として教わり、朝鮮出兵は教科書の数行で通り過ぎる。
同じ出来事について、片方は家族の物語として知っていて、片方は年号すら覚えていない。この差は、どちらかが正しくどちらかが間違っているという話ではない。ただ、知らない側は、自分が“知らないということを”知らない。知らないまま発した一言が、相手の祖父母の記憶に触れてしまう。
タツヒコが教科書の地図に定規を当てる場面が、あらすじの転換点として紹介されているのは示唆的だ。彼は、彼女を傷つけた後で、はじめて教科書を開いたのだ。距離の近さに気づくと同時に、その近さについて自分が何も知らなかったことに気づく。3ミリという数字は、近さの発見であり、無知の発見でもある。
©2026「3ミリの恋」製作委員会
「好き」と「わからない」が同居する世代
現在の日韓関係を数字で見ると、奇妙な二重構造が浮かぶ。
人の往来は、かつてない規模に達している。日本を訪れる韓国人は年間900万人前後にのぼり、訪日外国人の中で最多を争う。日本から韓国への渡航者も年間300万人を超える。2025年は国交正常化から60年の節目だった。
若い世代ほど、相手国への親近感は高い。日本の10代・20代にとって、K-POPや韓国ドラマ、コスメ、食は日常の一部である。韓国の若者にとっても、日本のアニメや旅行は身近だ。各種の世論調査でも、相手国に親しみを感じると答える割合は、若年層で際立って高い。
その一方で、歴史認識をめぐる溝は埋まっていない。徴用工や慰安婦の問題、教科書、領土。政治の世界で対立が再燃するたびに、SNSには互いへの罵倒があふれる。
文化は好きだが、歴史の話になると黙る。これが、多くの若者の実際である。「推し」の話では盛り上がれるのに、8月15日が相手の国では解放を祝う日だということには触れられない。触れれば気まずくなるとわかっているから、避ける。避けているかぎり、関係は表面の心地よさにとどまる。
本作は、その回避がある日突然破れる瞬間を描いている。恋愛という、相手を深く知りたいと願う関係だからこそ、表面では済まなくなる。相手を好きになることは、相手が背負っているものを知らなければならなくなることだ。
©2026「3ミリの恋」製作委員会
在日3世という視点
監督の全辰隆が在日韓国人3世であることは、この作品の視点を決定づけている。
在日コリアンは、日本で生まれ育ち、日本語を母語としながら、日本社会では「韓国人」として扱われ、韓国に行けば「日本から来た人」として扱われる。二つの国のどちらにも完全には属さない立場は、不安定であると同時に、両方が見える場所でもある。日本人の高校生が何を知らないのかも、韓国人の留学生が何に傷つくのかも、両側からわかる。
これまで在日コリアンを描いた日本映画の多くは、差別と闘う姿や、アイデンティティの葛藤を正面から扱ってきた。崔洋一監督の『月はどっちに出ている』、行定勲監督の『GO』、井筒和幸監督の『パッチギ!』。いずれも、在日の主人公が日本社会の壁にぶつかる物語だった。
本作は構えが違う。主人公は日本人の少年と韓国人の少女で、在日の人物は中心にいない。監督は自分の属性を物語の題材にするのではなく、視点として使っている。主要スタッフに韓国のクリエイターが多く参加し、『パラサイト 半地下の家族』のチャン・ヘジンら韓国の実力派俳優も出演する。撮影は2025年の夏、唐津と釜山、そして両者を結ぶ航路の船上でも行われたという。作り手の布陣そのものが、国境をまたいでいる。
©2026「3ミリの恋」製作委員会
主演の黒川想矢は、是枝裕和監督の『怪物』で注目され、『国宝』では主人公の少年時代を演じた、同世代を代表する若手俳優である。相手役のキム・ジアンとともに、十代の俳優が、国と国のあいだに横たわる重い主題を、理屈ではなく身体で演じる。言葉が通じきらない相手に何かを伝えようとするときの、もどかしさや照れ。それは演出でつくれるものではなく、実際に異なる言語を持つ若い俳優同士が向き合うことでしか生まれない。日韓の合作や共同製作は近年増えているが、その多くは市場の拡大を狙った企画である。本作のように、二つの社会のすれ違いそのものを主題に据えた作品は、まだ多くない。
背景として、日本社会の現状にも触れておく。2016年にヘイトスピーチ解消法が施行されたが、罰則のない理念法であり、ネット上の差別的な書き込みはなくなっていない。在日コリアンの集住地域を狙った放火事件も起きた。「何気ない一言」の先に、明確な悪意の世界が地続きで存在している。無知と悪意は違う。だが、無知が放置される社会では、悪意が育ちやすい。
©2026「3ミリの恋」製作委員会
海峡のこちら側の日常
唐津を含む九州北部にとって、韓国は「外交問題」である前に、日常である。
福岡と釜山のあいだには、長く高速船やフェリーが行き来してきた。釜山から来る観光客は、九州の温泉地や商店街にとって欠かせない存在だ。佐賀空港にはソウルとの定期便が就航し、県は誘客に力を入れてきた。韓国語の看板、韓国語を話す店員は、珍しい光景ではない。
だからこそ、この地域は、国と国の関係が冷え込むたびに、じかに影響を受けてきた。2019年、輸出管理をめぐる対立から韓国で日本製品の不買と旅行の自粛が広がったとき、九州各地の観光地から韓国人客の姿が消えた。航空路線は運休し、宿泊施設や土産物店は大きな打撃を受けた。東京で交わされる強い言葉のつけを払ったのは、海峡に面した町の人々だった。
地方の高校に海外から留学生が来る、という設定にも現実の裏づけがある。少子化で生徒数が減る中、国際交流を学校の特色として打ち出し、海外の学校と提携する地方の高校は増えている。韓国では、日本語を学ぶ若者や、日本での進学・就職を考える若者も少なくない。唐津の教室に釜山の少女が座っているのは、絵空事ではない。
国家という単位で見れば、日本と韓国は別の国である。だが、海峡をはさんだ地域という単位で見れば、両岸は古くから一つの生活圏だった。漁師は同じ海で魚を追い、商人は船で行き来した。タツヒコが釣りに明け暮れる少年として設定されていることは、その意味で示唆的だ。海は、隔てるものであると同時に、つなぐものでもある。
©2026「3ミリの恋」製作委員会
生まれる前のことに、責任はあるのか
この種の主題に触れると、必ず出てくる反応がある。自分が生まれる前のことで、なぜ責められなければならないのか。その感覚は、理解できる。400年前の戦争にも、80年以上前に終わった植民地支配にも、いまの高校生は関わっていない。
ただ、直接の罪がないことと、関係がないことは違う。戦後のドイツで繰り返し語られてきた考え方に、次のようなものがある。後から生まれた世代に罪はない。しかし、過去に何があったかを知り、それを記憶し、同じことを繰り返さない責任はある。責任という言葉が重すぎるなら、応答と言い換えてもいい。目の前の相手が、歴史に由来する痛みを抱えているとき、それを知ろうとするかどうか。
タツヒコに求められているのは、国を代表して謝ることではない。好きになった相手が、なぜ傷ついたのかを知ることである。それは政治の話ではなく、人と人との礼儀の話だ。そして、その礼儀を一人ひとりが持てるかどうかが、結局は国と国の関係の土台になる。
©2026「3ミリの恋」製作委員会
この映画をどう観るか
本作は、歴史の授業ではなく、青春映画である。釣り竿を持った少年と、海の向こうから来た少女の、ひと夏の話だ。重い主題を背負わせすぎるのは、作品に対して公平ではない。そのうえで、観る側にできることを三つ挙げたい。
ひとつめは、「何気ない一言」が何だったのかを、自分ならどう言ったかに置き換えて考えること。その言葉を、自分も口にしたことがないか。あるいは、言われて黙った側に立ったことはないか。
ふたつめは、傷つけた後の行動に注目すること。人は誰でも、知らずに人を傷つける。違いが出るのは、その後だ。「そんなつもりじゃなかった」と自分を守るのか、相手がなぜ傷ついたのかを知ろうとするのか。タツヒコの「ある決断」が何であれ、彼は少なくとも定規を手に取った。謝罪より先に、知ることから始めた。
みっつめは、鑑賞後に地図を開くこと。唐津と釜山のあいだには、壱岐と対馬がある。対馬は長く朝鮮半島との外交と交易の窓口であり、江戸時代には朝鮮通信使がここを通って江戸へ向かった。戦争の歴史だけでなく、往来と友好の歴史もまた、この海にはある。
3ミリを、近いと感じるか、それでも越えられないと感じるか。日本と韓国の若い世代は、互いの文化を浴びるように吸収しながら、その問いの前に立っている。政治が何度こじれても、海を渡る若者は減らなかった。この映画は、その事実に賭けている。
【作品情報】
『3ミリの恋』 2026年11月6日公開/監督・脚本・編集:全辰隆(チョン・ジニュン)/出演:黒川想矢、キム・ジアン、荒木飛羽、早瀬憩、パク・ジファン、チャン・ヘジン、MEGUMI、大谷亮平ほか/配給:東映、東映ビデオ
公式サイト
※本稿は公開前の時点で、公表されている作品資料と監督の経歴、公的統計および歴史に関する公開情報をもとに執筆した。「何気ない一言」の内容など本編の詳細は公表されておらず、該当箇所は筆者の推測である。