セックス、孤独、自己破壊…色情狂のヒロインの告白 映画史上最もセンセーショナルな問題作『ニンフォマニアック』が突きつける欲望の正体
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ラース・フォン・トリアー監督の『ニンフォマニアック Vol.1/Vol.2』は、セックスから甘さやロマンを徹底的に剥ぎ取り、その先にある依存、孤独、罪悪感、自己破壊を見つめた心理ドラマだ。
雪の降る路地裏で倒れていた女性ジョーは、通りかかった独身男性セリグマンに助けられる。彼の部屋に運ばれたジョーは、自分が色情狂であると告白し、幼少期から現在に至るまでの性体験を語り始める。現在のジョーをシャルロット・ゲンズブール、若き日の彼女をステイシー・マーティンが演じている。
露骨な描写が続くものの、そこに官能的なムードはほとんどない。ジョーにとってセックスは愛情表現ではなく、満たされない何かを埋めるために繰り返す行為だ。快楽を追い求めるほど感覚は鈍り、人とのつながりも失われていく。過激な映像以上に胸に残るのは、自分を制御できなくなった女性が静かに崩れていく姿だ。
『ニンフォマニアック Vol. 1』©2013 ZENTROPA ENTERTAINMENTS31 APS, ZENTROPA INTERNATIONAL KÖLN, SLOT MACHINE, ZENTROPA INTERNATIONAL FRANCE, CAVIAR, ZENBELGIE, ARTE FRANCE CINÉMA
前編となるVol.1には、意外なほどブラックユーモアがある。列車内で男性を誘惑して人数を競うゲームや、浮気された妻を演じるユマ・サーマンの強烈な登場など、笑っていいのか迷うような場面が次々と飛び出す。欲望を重苦しく語るだけではなく、人間の滑稽さとして描いているからこそ、物語は長尺でも不思議な勢いを失わない。
ジョーの告白を聞くセリグマンは、彼女の体験を釣りや数学、音楽、宗教、文学に結びつけて解釈していく。あらゆる知識を使ってジョーを理解しようとするセリグマンと、自分を罪深い人間だと言い張るジョーの対話は、作品を単なる性遍歴の告白で終わらせない。
Vol.2に入ると、Vol.1にあった軽妙さは薄れ、物語は一気に暗くなる。欲望は快楽から苦痛へ変わり、ジョーは肉体的にも精神的にも追い詰められていく。ジェイミー・ベル演じる男とのSMをはじめ、目を背けたくなるような過激場面も増える。この後編を「重すぎる」「前編よりまとまりに欠ける」と見る意見がある一方、ジョーが払う代償を最後まで描いたことで、悲劇としての深みが生まれた。
なかでも圧倒的なのが、シャルロット・ゲンズブールの演技だ。彼女はジョーの苦しみを大げさに表現せず、疲れ切った表情や乾いた声、虚ろな佇まいだけで人生の重さを伝える。大胆な場面に挑んでいること以上に、自分を嫌悪しながらも他人から安易に許されることを拒む、矛盾した人物像を成立させている点がすごい。
若きジョーを演じたステイシー・マーティンも鮮烈だ。奔放でありながら妖艶さを前面に出さず、少女の好奇心と冷淡さを同居させている。遊びのように始まった行為が、やがて数字や規則に支配された衝動へ変化していく。その過程を無機質な美しさで見せ、後年のジョーへ無理なくつないでいる。
4時間を超える上映時間、大量に盛り込まれた引用や比喩、救いを簡単には与えない展開は、間違いなく観る人を選ぶ。特に終盤は、それまで積み上げてきた対話を鮮やかに反転させたと評価できる一方、あまりに皮肉が露骨だという批判が出るのも当然だ。
それでも『ニンフォマニアック』が単なる問題作で終わらないのは、女性の欲望を美化も断罪もせず、その人間の人生として描こうとしているからだ。セックスの回数や過激さではなく、欲望を抱えた女性が社会からどう見られ、自分自身をどう裁いてしまうのか。その残酷な問いを、ブラックユーモアと知的な遊び、シャルロット・ゲンズブールの壮絶な演技によって突きつける作品になっている。
『ニンフォマニアック Vol. 2』©2013 ZENTROPA ENTERTAINMENTS31 APS, ZENTROPA INTERNATIONAL KÖLN, SLOT MACHINE, ZENTROPA INTERNATIONAL FRANCE, CAVIAR, ZENBELGIE, ARTE FRANCE CINÉMA