性と暴力に満ちた挑発的な問題作!過激な性愛描写で禁忌に踏み込む 聖女か、罪人か?『ベネデッタ』が問う罪の正体
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ポール・ヴァーホーベン監督の『ベネデッタ』は、信仰と欲望、奇跡と疑惑が絡み合う濃密な宗教ドラマだ。17世紀イタリアに実在した修道女ベネデッタ・カルリーニを題材に、修道院という閉ざされた空間で、身体を抑圧する教えと、そこに生きる人間の欲望がぶつかり合う。権力、反抗、暴力、性愛。監督が長年描いてきたテーマが、この一作に凝縮されている。
その中心にいるのが、ベネデッタを演じるヴィルジニー・エフィラだ。神とのつながりを訴える彼女は、信仰に身をささげる女性にも、周囲を操る野心家にも見える。エフィラは、その二つの顔を同時に感じさせる。神の存在を確信しているのか、それとも奇跡を利用しているのか。どちらかに簡単には決められない演技が、人物の危うさと魅力を支えている。
ダフネ・パタキア演じるバルトロメアとの関係も、物語に熱を与える。二人の間にあるのは、激しい欲望だけではない。互いを求め、距離を縮めていく姿には、新しい恋が始まるときの初々しさもある。大胆な性愛描写の中にも、その喜びが息づいている。
性愛描写は、裸身を見せるだけにとどまらない。二人が身体を重ねる場面をあからさまに描き、木製の聖母像を性的な道具に作り替えるという、宗教的な禁忌に踏み込んだ場面まで登場する。聖なるものと肉体的な快楽を直結させる大胆さは、ヴァーホーベンならではだ。ろうそくの光に包まれた情事には、かつての官能スリラーを思わせる艶があり、背徳的な題材に美しさと悪趣味な笑いが同居している。
この過激さは、身体を敵とみなし、苦しみによって救いへ近づこうとする修道院の教えとも結びついている。愛する相手と喜びを分かち合うことは、なぜ罪になるのか。映画は、欲望を抑え込む教えに対して、身体の快楽そのものを肯定する視点を差し出す。荘厳な宗教画のような場面に、排泄をめぐる笑いまで持ち込む演出も、人間の身体を、その営みごと描こうとする姿勢につながっている。
修道院内部の駆け引きも見応えがある。奇跡は信仰の問題であると同時に、寄付や巡礼者を呼び込む利益にもなる。ベネデッタへの疑いと、彼女がもたらす恩恵。その間で揺れる組織を描くことで、聖なる場所にも世俗的な計算が働いていることを浮かび上がらせる。シャーロット・ランプリング演じる修道院長の冷静さと皮肉が、その緊張を際立たせている。
宗教劇から恋愛、ブラックユーモア、疫病が迫る恐怖へと、映画は次々に表情を変える。終盤、ランベール・ウィルソン演じる教皇大使が介入すると、個人の信仰と欲望をめぐる物語は、権力者の虚栄や腐敗を問う展開へ踏み込んでいく。人々を救うはずの権威が、誰を裁き、何を守ろうとするのか。ベネデッタの存在が、その矛盾をあぶり出す。
『ベネデッタ』©︎2020 SBS PRODUCTIONS – PATHE FILMS – FRANCE 2 CINEMA – FRANCE 3 CINEMA