“朝ドラの続き”としてではなく、「働く女性の100年」の中間報告として観る――
2024年、NHKの連続テレビ小説『虎に翼』は、朝ドラとしては珍しい種類の反響を呼んだ。日本初の女性弁護士の一人で、のちに裁判官、女性初の裁判所長となった三淵嘉子をモデルに、主人公・佐田寅子の半生を描いた作品である。憲法第14条の朗読から始まり、女性の法的無能力、朝鮮人差別、同性愛、原爆裁判、尊属殺重罰規定の違憲判決までを半年かけて扱った。放送のたびにSNSで議論が起き、法律家や研究者が解説を書いた。
その劇場版が2027年1月に公開される。脚本は引き続き吉田恵里香。完全オリジナルストーリーで、ドラマで描ききれなかった明律大学女子部時代の新しいエピソードと、「現代につながる寅子の最後の事件」が描かれるという。
人気ドラマの映画化は、ともすれば同窓会になる。だが、公表された新しい配役を眺めると、この劇場版が狙っている場所はかなりはっきりしている。
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新キャストが示す「最後の事件」の輪郭
新たに加わる役柄を並べてみる。労働省婦人少年局の職員(野呂佳代)。日本経営者連合の労務管理部門トップ(髙嶋政宏)。労働組合の婦人部代表(原ふき子)。化粧品会社の広報本部長で「キャリアウーマンの代表」(内田有紀)。労働省政務次官(松本幸四郎)。そして寅子がゼミで教える学生(南沙良)。
行政、経営側、労働側、そして働く女性の当事者。これは、雇用における男女平等をめぐる審議の場の構図そのものである。
寅子のモデルである三淵嘉子は、1979年に定年退官した後、労働省に設けられた男女平等問題専門家会議の座長を務めたことが知られている。この会議は、雇用における男女平等とは何かについて考え方を整理し、のちの男女雇用機会均等法(1985年成立、86年施行)につながる議論の土台をつくった。三淵は1984年に亡くなっており、均等法の成立を見ていない。
映画がこの史実をどこまで下敷きにしているかは、公開を待たなければわからない。ただ、配役から推測するかぎり、寅子の「最後の事件」とは法廷の事件ではなく、女性が働くことをめぐる社会的な合意づくりである可能性が高い。もしそうならば、本作は朝ドラが残した最大の空白、つまり「家庭裁判所の先」にある労働の問題に踏み込むことになる。
「保護か、平等か」という難問
均等法の前夜に何が争われたのかを知っておくと、映画の見え方が変わる。
当時の労働基準法には、女性の深夜業の禁止、時間外労働の制限、危険有害業務の就業制限といった「女子保護規定」があった。経営側の主張は明快だった。男女を平等に扱えと言うなら、保護も外すべきだ。同じ条件で働けないのに同じ処遇を求めるのは筋が通らない、と。
労働側、とくに女性労働者の多くは反発した。男性並みの長時間労働を前提にした「平等」は、家事と育児を担わされている女性にとって、職場から出ていけというに等しい。保護を外すなら、まず男性の働き方を人間らしいものに変えるのが先ではないか。
この対立は、どちらかが間違っていたという話ではない。問題の根は、「標準的な労働者」が、家のことを誰かに任せて無制限に働ける人間、つまり専業主婦を持つ男性として設計されていたことにある。その標準に女性を合わせるのか、標準そのものを変えるのか。成立した均等法は、募集・採用・配置・昇進の男女均等を事業主の「努力義務」にとどめ、強制力を欠いていた。企業は「総合職」と「一般職」というコース別の雇用管理を導入し、形を変えた男女別扱いを続けた。
化粧品会社の広報本部長という役柄は、象徴的である。女性を主な顧客とする業界は、比較的早くから女性管理職を登用してきた。メディアはそうした女性を「キャリアウーマン」と呼んでもてはやした。だが、彼女たちの多くは、結婚や出産をあきらめるか、誰よりも長く働くことで、ようやく席を得ていた。成功した女性の存在が、「やればできるのだから、できないのは本人の問題だ」という論理に使われる。この構図は、いまも変わっていない。
40年後の現在地
均等法の施行から40年。数字は、変わったものと変わらなかったものを示している。
女性の就業率は大きく上がった。出産期に女性の労働力率が落ち込む、いわゆるM字カーブはほぼ解消した。育児休業制度が整い、セクシュアルハラスメントの防止は事業主の義務になった。2025年には、日本で初めての女性首相も誕生した。
その一方で、世界経済フォーラムが毎年公表するジェンダーギャップ指数で、日本は2025年、148か国中118位だった。主要7か国で最下位である。フルタイムで働く女性の賃金は男性の7割台半ばにとどまり、管理職に占める女性の割合は1割台。働く女性の半数以上が非正規雇用である。M字カーブは消えたが、代わりに、出産を機に正社員の比率が下がり続ける「L字カーブ」が現れた。
無償の家事・育児にかける時間は、女性が男性の何倍にもなるという状況も、国際比較で際立っている。つまり、均等法前夜に争われた問い、「標準的な労働者とは誰か」は、解かれないまま今日に持ち越されている。女性は男性並みに働くことを許された。男性は女性並みに家のことをするようにはならなかった。そのつけを払っているのが、少子化という形で表れた社会全体である。
変化の兆しがないわけではない。2022年からは、一定規模以上の企業に男女の賃金の差を公表することが義務づけられ、対象となる企業の範囲も広げられつつある。数字が表に出れば、言い訳はしにくくなる。男性の育児休業の取得率も、この数年で急速に上がった。ただし、取得日数は女性に比べてはるかに短い。制度の利用が「取った」という実績づくりにとどまるのか、家庭内の役割分担を本当に変えるところまで進むのかは、これからの課題である。
選択的夫婦別姓は、1996年に法制審議会が導入を答申してから30年、いまだ実現していない。ドラマの中で寅子が結婚後の姓に悩んだ場面は、昭和の話ではなく、令和の話でもあった。
なぜ「はて?」は必要とされたのか
ここで『虎に翼』が広く支持された理由を、社会心理の面から考えてみたい。
寅子の口癖「はて?」は、怒りの言葉ではない。相手を論破する言葉でもない。納得できないことを、納得できないと表明するだけの、ごく短い言葉である。脚本の吉田恵里香は、この言葉に対話のために必要なものが詰まっているという趣旨のことを語っている。
日本の職場や家庭で、多くの女性は、違和感を覚えても口にしない訓練を受けてきた。場の空気を壊さない。面倒な人だと思われない。笑って受け流す。「はて?」は、その訓練をやわらかく解除する言葉だった。怒鳴らなくていい。理論武装しなくていい。ただ、立ち止まって首をかしげていい。視聴者がこの言葉に飛びついたのは、それだけ多くの人が、言えなかった違和感を抱えていたからだろう。
同時に、このドラマは激しい反発も受けた。「朝から思想を押しつけるな」「現代の価値観で過去を裁くな」。この反発は、作品が的を射ていた証拠でもある。娯楽の時間に、自分が当たり前だと思ってきたことを問われるのは不快だ。その不快さを引き受けた視聴者と、拒んだ視聴者のあいだに、いまの社会の分断線が走っている。
劇場版は、みずからチケットを購入して観に来る観客に向けられる。朝の茶の間に流れてくるテレビとは違う。すでに共感している人だけが集まる場所で、作品は何を語るのか。身内の結束を固めるだけなら、映画にする意味は薄い。経営側の論理を体現する人物が、どれだけ手強く、説得力をもって描かれるかが鍵になる。
三淵嘉子が歩いた道
寅子のモデルとなった三淵嘉子の経歴を、簡単に振り返っておく。
戦前の日本で、女性は弁護士になれなかった。弁護士法が改正され、女性にも資格が開かれたのは1930年代のことである。その改正を見すえて、明治大学は1929年に女子部を設け、女性に法律を教え始めた。ドラマの「明律大学女子部」のモデルだ。三淵はここで学び、1938年、高等試験司法科に合格する。同じ年に合格した女性は三人。日本で最初の女性法律家たちである。
弁護士にはなれても、裁判官と検察官への道は閉ざされていた。戦争で夫を亡くし、幼い子を抱えた三淵は、戦後、新しい憲法のもとで裁判官に任官する。1972年には新潟家庭裁判所の所長に就任し、女性として初めて裁判所の長となった。東京地裁時代には、原爆投下の違法性が問われた、いわゆる原爆裁判を担当した裁判官の一人でもあった。少年事件や家庭の問題に長く携わり、家庭裁判所という新しい制度を育てた一人に数えられる。
映画が女子部時代の新しいエピソードを描くというのは、原点に戻るということだ。女子部は、女性が法律を学ぶこと自体が珍しがられ、嘲笑された時代の、小さな避難所だった。ドラマで女子部の仲間たちは、華族の令嬢、朝鮮半島からの留学生、弁護士の妻、男装の苦学生と、それぞれ異なる事情を抱えていた。そして、彼女たちの多くは、試験に受からなかったのではなく、家の事情や時代の圧力によって、道を断念させられた。
成功した一人の背後に、成功できなかった多くの女性がいる。『虎に翼』が単なる偉人伝に終わらなかったのは、この視点を最後まで手放さなかったからである。劇場版が女子部に立ち返るなら、問われるのは「寅子は何を成し遂げたか」ではなく、「去っていった仲間たちの分まで、何が実現し、何が実現しなかったか」だろう。
法曹界の現在
では、彼女たちが切り開いた法律の世界は、いまどうなっているか。
司法試験の合格者に占める女性の割合は3割前後になった。裁判官と検察官に占める女性は、それぞれ3割弱。一方、弁護士では2割ほどにとどまる。最高裁判所の15人の裁判官のうち、女性は長く少数で、複数の女性が同時に在任するようになったのは比較的最近のことだ。夫婦別姓を認めない民法の規定が合憲かどうかが争われた2015年の最高裁の判断では、女性の裁判官が違憲の意見を述べる一方、多数を占める男性裁判官の合憲の意見が結論を決めた。誰が裁くのかは、何が裁かれるのかに影響する。
弁護士の世界でも、出産や育児を機に仕事を減らすのは女性に偏り、大きな法律事務所の経営に関わる立場の女性は少ない。収入の男女差も指摘されている。法律家という、もっとも平等の理念に近いはずの職業でさえ、こうである。寅子が戦った相手は、法律の条文から職場の慣行へと場所を移して、まだそこにいる。
三の視点から観る『劇場版 虎に翼』
三つの視点を提案したい。
ひとつは、経営者団体の人物の言い分を、悪役の台詞として聞き流さないこと。「平等を求めるなら保護を手放せ」という論理は、現在の「女性活躍」政策の中にも形を変えて生きている。活躍せよ、ただし男性と同じ土俵で、という要求である。その論理のどこに無理があるのかを、自分の言葉で説明できるかどうか。
ふたつめは、学生役の存在に注目すること。女子部時代のエピソードと現代につながる事件を並べる構成は、世代から世代へ問いが手渡される様子を描くためだろう。寅子の世代が開けた扉を、次の世代はどう通ったのか。あるいは、扉が開いたことで見えなくなったものは何か。
みっつめは、観終わった後に、自分の職場を見渡すこと。会議で発言しているのは誰か。お茶を片づけているのは誰か。育児休業を取った男性は、その後どう扱われたか。昇進の候補から、いつのまにか外れている人はいないか。
三淵嘉子が座長としてまとめた議論から、およそ半世紀が経つ。彼女が見ることのなかった法律は成立し、何度も改正され、それでも問いは残った。寅子の「最後の事件」は、劇中では決着するのかもしれない。現実のほうは、まだ審理中である。
【作品情報】
『劇場版 虎に翼』 2027年1月15日公開/監督:梛川善郎/脚本:吉田恵里香/出演:伊藤沙莉、岡田将生、森田望智、土居志央梨、戸塚純貴、南沙良、内田有紀、髙嶋政宏、松本幸四郎ほか/配給:東宝