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31年目の『ボディガード』 ホイットニーに「エンダー♪」を歌わせた立役者は? 名匠の脚本が“15年のお蔵入り”を経て大ヒット

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ライター:#齋藤敦子
31年目の『ボディガード』 ホイットニーに「エンダー♪」を歌わせた立役者は? 名匠の脚本が“15年のお蔵入り”を経て大ヒット
『ボディガード』© 1992 Warner Bros. Entertainment Inc. All rights reserved.
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『ボディガード』は1992年に公開され、世界中で大ヒットしたロマンチック・サスペンス映画だ。凄腕ボディガードが警護についたスーパースターと恋に落ちる。真面目に考えるとありえないストーリーだが、主演が男盛り37歳のケヴィン・コスナー、相手役がこのときキャリアの絶頂だったホイットニー・ヒューストンとすれば話は別。驚くことに今でも少しも古びて見えないのは、ホイットニーがカヴァーしたカントリーの名曲「オールウェイズ・ラヴ・ユー」の力が大きい。

ボディガード (字幕版)

© 1992 Warner Bros. Entertainment Inc. All rights reserved.

なぜ『スター・ウォーズ』の名匠による脚本が15年もお蔵入りしたのか?

――主人公はレーガン大統領狙撃事件を阻止できなかったことに責任を感じて退職し、今は個人で仕事を引き受けているボディガードのフランク・ファーマー(ケヴィン・コスナー)。ある日、人気歌手で女優のレイチェル・マロン(ホイットニー・ヒューストン)のマネージャー、ビル(ビル・コッブス)から警護を依頼される。数か月前から不審な事件が起こっていたが、ついに殺人を予告する脅迫状が送り付けられたというのだ。

ビルの熱意に負けたフランクがハリウッドの豪邸に行ってみると、レイチェルは一人息子フレッチャー(デヴォーン・ニクソン)、姉ニッキ―(ミシェル・ラマー・リチャーズ)、PR担当のサイ(ゲイリー・ケンプ)、それに護衛のトミー(マイク・スター)ら取り巻きに囲まれてはいるものの、警備体制は穴だらけ。しかも脅迫状のことを知らされていないレイチェルから冷たくあしらわれる。しかし、ライヴハウスで危ないところを助けられたレイチェルは次第にフランクを信頼し、心を開き、ついには一夜を共にしてしまう……。

『ボディガード』© 1992 Warner Bros. Entertainment Inc. All rights reserved.

『ボディガード』は、『スター・ウォーズ』シリーズなどで知られる名脚本家ローレンス・カスダンがプロに転向するきっかけとなった作品である。当初はスティーヴ・マックイーン、ダイアナ・ロスの主演を想定して書かれていた。が、映画化は難航、カスダンによれば67回断られたという。その後、カスダンはスピルバーグに認められて『スター・ウォーズ/帝国の逆襲』(1980年)や『レイダース/失われた《聖櫃》』(1981年)などの脚本を担当、また『白いドレスの女』(1981年)で監督デビューすると、『再会の時』(1983年)、『偶然の旅行者』(1988年)などで監督としてのキャリアを積んでいく。

お蔵入りしていた『ボディガード』脚本に再び光が当たったのは、ケヴィン・コスナーが製作に乗り出してから。脚本が書かれて15年後のことだった。

『ボディガード』© 1992 Warner Bros. Entertainment Inc. All rights reserved.

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『ボディガード』

世界屈指の実力を持つボディガード、フランクは、歌手兼女優のスーパースター、レイチェルの護衛を依頼される。脅迫状が届くなど、最近、彼女の身辺で不穏な事件が発生しているのだ。始めはフランクを邪魔者と思っていたレイチェルだが、コンサート中、彼に助けられたことから心を開いてゆく。

監督:ミック・ジャクソン
出演:ケヴィン・コスナー ホイットニー・ヒューストン
    ビル・コッブス

制作年: 1992