映画『砂の器』への尽きせぬ想い【惹句師・関根忠郎の映画一刀両断】

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ライター:#関根忠郎
映画『砂の器』への尽きせぬ想い【惹句師・関根忠郎の映画一刀両断】
『砂の器』©1974・2005 松竹株式会社/橋本プロダクション
2018年、惜しまれて亡くなった脚本家、橋本忍。第91回アカデミー賞®授賞式でも追悼された日本を代表する映画人の執念が生んだ映画が『砂の器』だ。4月には4度目となるシネマ・コンサートが行われる日本映画史に燦然と輝くこの傑作への想いを、惹句師・関根忠郎氏が語ってくれた。

感動の人間ドラマ「砂の器」回想

『砂の器』©1974・2005 松竹株式会社/橋本プロダクション

今回は、2018年1月シネマ・コンサートを開催して話題となった映画『八甲田山』(東宝:1977年)に引き続き、『砂の器』(松竹:1974年)を中心に、日本映画至高の脚本家・橋本忍(1918~2018)さんについて色々とお伝えしたいと思います。

映画『砂の器』は、リアルタイムでご覧になった方々、あるいは「午前十時の映画祭」などでの再映時に、またあるいはTV放送やビデオ等でご覧になった方々を含めると、大変多くの観客を獲得した稀有な映画だと言えます。わたしがこの映画を見たのは、確か1974年の秋のことでした。もちろん公開早々、近くの新宿ミラノ座に駆けつけて、大勢の観客と一緒に堂々143分の巨篇をじっくり堪能したのです。期待通りのまごう方なき壮大な名篇でした。思えばその頃、わたしは東映で『仁義なき戦い』シリーズ(1973年~)等の一連の実録ヤクザ映画に関わって東奔西走していましたが、これぞと思う他社の映画は邦画洋画の別なく決して見逃さず、文字通り“忙しいMOVIE DAYS”を過ごしていました。それでもこの『砂の器』には、日々の仕事や瑣事雑事の一切を忘れて、久々に全身どっぷり浸かるがごとく見入った記憶があります。何と言ってもかねてから敬愛してやまない映画『張込み』(1958年)の原作・松本清張、脚本・橋本忍、監督・野村芳太郎の名トリオによる最新作でしたから、『砂の器』はシネフィル丸出しで映画館の暗闇にジッと身を置いていました。

実はこの作品、橋本忍がシナリオの初稿を書き上げたのが公開14年前、1960年頃のこと。以来、題材が暗すぎるという理由で、なかなか映画化されずにオクラ入りしていたのですが、1973年に橋本忍が野村芳太郎監督、大山勝美プロデューサーと図って橋本プロダクションを設立。自ら製作者となって、ようやく1974年春に製作を開始するに至りました。企画から撮影開始まで14年も要したのは稀有のことでしょう。撮影期間7ヵ月、四季を通して日本中を縦断ロケ敢行。加えて豪華演技陣の華々しくも息詰まる共演とあって、製作コストは大変な額に達しました。構想雄大な物語に関わる重要な登場人物を数えれば、実に50人を超えています。それを見事に描き分けて、ミステリーにありがちな分かり難さを払拭し、多様な生を営む<人間>たちの姿を鮮やかに浮き彫りにしていきます。

人間の奥深い宿命の移動劇『砂の器』の発端

『砂の器』©1974・2005 松竹株式会社/橋本プロダクション

この作品を全く未見の若い方々のために、内容を端的に綴ってみますが、映画化に際しては前述の通り作家・松本清張の長編同名小説を原作に、橋本忍と山田洋次(当時はまだ松竹の助監督)が、多彩なアイデアを注入した大胆な脚色によってオリジナリティ溢れる脚本に仕上げました。

その前半、国鉄(現在のJR)の蒲田駅操作場で撲殺死体が発見され、直ちに捜査がスタート。ベテランの今西刑事(丹波哲郎)と若手の吉村刑事(森田健作)がタッグを組んで動き出します。捜査が紆余曲折する中、二人の刑事が事件の手掛かりを求めて徒労に苛まれながらも地道に全国各地を巡る過程が十全に描かれていきます。その昔、「捜査は足」と言われましたが、この二人の執念にも似た行動は、映画の大きなファクターである“移動”撮影の超魅力によって、深い感銘へと誘われていきます。名手・川又昂カメラマンの素晴らしい映像が今も鮮やかに目に浮かびます。“移動”劇こそ映画の醍醐味、わたしの長い映画体験から割り出した決定的な一大要素です。映画の前半は“捜査の旅”の描写に充てられた、といっても言い過ぎにはならないでしょう。

そして後半。やがて血の滲むような捜査の果てに被害者の身元を割り出し、そこから犯人像の浮上と共に、映画の後半は原作にはない、驚くべき展開を見せます。国鉄蒲田操作場で殺されたのは、その昔、山陰地方・亀嵩(かめだか)で巡査をしていた若い三木謙一(緒形拳)。善良で世話好きで評判だった篤志家の三木は、ある時、物乞いして歩く巡礼放浪の父・本浦千代吉(加藤嘉)とその幼子・秀夫(春田和秀)の難儀を助け、何かと世話をします。でも、重いハンセン氏病(らい病)を患う父親を病院に入れなくてはならず、一人残された秀夫を自分の許に引き取って育てることにします。この時の父と子の別離のシーンは、いま思い出すだけで胸が熱くなり、書きながら思わず涙が滲んできそうです。当時、ハンセン氏病は不治の伝染病とされ、そのため土地の人間から忌み嫌われて本浦父子は故郷を追われ、二人きりの巡礼として津々浦々を罪人のように巡り歩いたのでした。

『砂の器』©1974・2005 松竹株式会社/橋本プロダクション

三木の引く大八車に乗せられて病院に向かう病み衰えた千代吉。その父を懸命に追い駆ける秀夫。寄りとロングショットで交互に捉える別れの場面も移動ショット。しかし、その後の展開もまた、驚きに満ちていました。幼い秀夫が三木の家を飛び出し、姿を消してしまいます。

消息を絶って幾年月 ―― 今、青年となった本浦秀夫は現代音楽の旗手・和賀英良(加藤剛)として脚光を浴びる存在になっていました。その和賀英良が、なぜ、育ての親たる大恩人の三木謙一を殺害するに至ったのか。そこに行きつくまでの捜査陣の追求が間断なく描き込まれて行く緊張感。ハンセン氏病の父を持った宿命の過去をもつ本浦秀夫は、音楽の才能で築き上げた和賀英良としての栄光を捨て去るわけにはいかなかった。ここで映画は待ちに待った一大クライマックスに突入するのです。

圧巻! 捜査会議・父子巡礼・「宿命」コンサート

『砂の器』©1974・2005 松竹株式会社/橋本プロダクション

『砂の器』のクライマックスは、まさに圧巻です。新曲「宿命」の発表コンサートでオーケストラの指揮とピアノを担当する和賀英良の真摯な熱演に重ねて、殺害犯は和賀と断定していく捜査会議での今西刑事の報告、そして、幼い頃に愛する父と共に歩いた遍路放浪の果てなき旅の軌跡が描かれていきます。3つのシーンを同時進行させたシナリオの素晴らしさには絶句します。コンサート、捜査会議、父子の放浪が三つ巴に交錯し、ダイナミックに一本の縄に縒り合わさって行くヤマ場の圧巻、見事な編集による映像には目を見張ります。

更に、『砂の器』を更に特別な作品に昇華させるのが、この長丁場に高鳴る40分に及ぶ悲痛なピアノ組曲「宿命」(作曲・菅野光亮)です。宿命とは、「前世から定まっている運命」、あるいは「避けることも変えることもできない運命的なもの」。この筆舌にし難い運命の重さを負った一人の青年の苦悩と、決して許されない犯罪行為。原作にはない、映画独自のクライマックス三重奏と構成の凄みこそ、偉大な脚本家・橋本忍にして可能となった、映画史上稀有の感動的なエンディングとなりました。

このシナリオ作家には多くの名作がありますが、ここでわたしの独断でベストテンを挙げさせて頂くと、『羅生門』(1950年)、『生きる』(1952年)、『七人の侍』(1954年:共同脚本)、『真昼の暗黒』(1956年)、『張込み』『夜の鼓』(1958年)、『黒い画集 あるサラリーマンの証言』(1960年)、『切腹』(1962年)、『砂の器』(1974年)、『八甲田山』(1977年)となり、枚挙に暇がありません。

音楽監督・芥川也寸志と作曲・菅野光亮

『砂の器』©1974・2005 松竹株式会社/橋本プロダクション

ときに哀調、ときに激情、ときに悲痛。観客の胸を締めつけるクライマックス音楽は、従来の劇伴(場面ごとに付す音楽)を超えた、独立した大編成のピアノ組曲です。音楽監督・芥川也寸志のディレクションの下、ピアノ組曲「宿命」を作曲したのは菅野光亮。この二人のコンビネーションによって完成された音楽作品『砂の器』は、映画史上稀な創造として、これからのちも長く多くの人々の記憶に残っていくことでしょう。

2019年4月下旬には『砂の器』シネマ・コンサートが、東京、大阪の2大都市で開催されます。大スクリーンで上映される映像に、オーケストラによる組曲「宿命」の生演奏が重なって、号泣必至の特別な映画体験となるに違いありません。時を越えて人々の心を震わせ続ける傑作『砂の器』を、この機会に鑑賞してみては如何でしょうか。

文:関根忠郎

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『砂の器』

原作者・松本清張をして「原作を超えた」と言わしめた同名小説を、監督:野村芳太郎監督、脚本:橋本忍・山田洋次で映画化した社会派サスペンスにして日本映画界に燦然と輝く傑作。迷官入りと思われた殺人事件を捜査する二人の刑事の執念と、暗い過去を背負うがために殺人を犯してしまう天才音楽家の宿命を描く。

制作年: 1974
監督:
脚本:
音楽:
出演: