映画『バイス』― 史上最悪の副大統領、その名はチェイニー【映画の今、世界の今】

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ライター:越智道雄
映画『バイス』― 史上最悪の副大統領、その名はチェイニー【映画の今、世界の今】
『バイス』©2019 ANNAPURNA PICTURES, LLC. All rights reserved.
息子ブッシュ政権でアメリカ史上もっとも権力を握った副大統領であり、9.11後の同国をイラク戦争へと導いたとされる男、ディック・チェイニーを描いた社会派エンタテインメント映画が登場! クリスチャン・ベールがすさまじい肉体改造によって副大統領になりきり、アカデミー賞メイクアップ&ヘアスタイリング賞を獲得した。

チェイニーを本気にさせた恋人からの三行半

『バイス』©2019 ANNAPURNA PICTURES, LLC. All rights reserved.

日本では『バイス』として公開される本作の原題は「VICE」である。このタイトルには「副大統領」と「悪」の両義性が込められている。主人公のチェイニーはワイオミングという広大な田舎州で育ち、こういう背景の持ち主にありがちな病的な出世志向に駆られてイェール大学に入るが、アイビー・リーグでも有数の名門志向の高い環境についていけず、退学の憂き目にあう。皮肉にも代々イェール大学を出てきたブッシュ息子の副大統領に自分がおさまることになるとは、本人も思わなかったことだろう。

退学後、電気工として働き始めたチェイニーだが、酒癖が悪く交通事故を起こす。警察から引き取ってくれた成績優秀な恋人リンには「愛想が尽きた」と最後通告されてしまう。思わぬ三行半に心機一転、チェイニーは再び出世の亡者となる。ワイオミング大学で政治を学び、ウィスコンシン大学院時代には、当時の州知事ウォーレン・ノルスのスタッフに。1968年、ワシントンD.C.で連邦議会のインターンシップとなり、型破りな下院議員ラムズフェルドと出会う。そしてホワイトハウスで働き始めたとき、満面の微笑みでリンに電話をするのである。

史上二例目の父子大統領誕生

『バイス』©2019 ANNAPURNA PICTURES, LLC. All rights reserved.

「東部エスタブリッシュメント」を牛耳り、代々イェールを出てきたブッシュ家の領袖は、早晩「東部エスタブリッシュメント」の命脈が尽きると見て、ブッシュ父子をテキサスに移す。この州には英系移民最後の「第4波」が集中し、独特の荒々しい気性が培われた。映画『記者たち~衝撃と畏怖の真実~』(2019年)でも触れたように「第4波」は北アイルランドで、20世紀終わりまでアイルランド・カトリックと殺し合ってきたスコットランド系の英国国教徒であり、来米以降「スコッチ=アイリッシュ」と自称する。「第4波」だと良い土地は残っておらず、彼らはメキシコから奪ったテキサスに集中、独特な気性の荒さを身上とした。

テキサスに地盤を変えた後もブッシュ家は相変わらずイェールへ通い続けた。「レガシー・ティップ」の特典があるからである。代々イェールを出てきた実績が「遺産(レガシー)」となって成績が悪くてもイェールに入れるのだ。これを「レガシー・ティップ」と言い、ブッシュ息子ジョージはさんざんな成績でも受け入れられ、最も権威ある学生クラブ「スカル&ボーンズ」のメンバーとなり、過度な飲酒からアルコール依存症になる。この愚なるジョージが大統領選に出馬を決意する。副大統領候補を要請されたチェイニーは、目の前の大統領候補に生返事を繰り返しながら、したたかに政治の実権を握る筋道を見つける。

2001年1月、アメリカ史に残る世紀の接戦となった大統領選挙が開票され、僅差でジョージが大統領に就任。ブッシュ父子が史上二例目(第二代大統領アダムズ、第六代のアダムズ以来)の父子大統領になれたのは、ブッシュ家領袖たちの先見の明だった。

同時多発テロが生んだ、政治の実権を握る“影の大統領”

『バイス』©2019 ANNAPURNA PICTURES, LLC. All rights reserved.

政界での世渡りに慣れたラムズフェルドは国務長官となり、愚鈍な大統領を補佐すれば最高の権力を振るえるとチェイニーを諭す。副大統領となったチェイニーがその本領を発揮するのは、「9.11」同時多発テロ直後の対応だ。副大統領として即断即決の指示を出すチェイニー。そして憲法や国際法を拡大解釈し、新大統領のジョージを手玉にとって、サダム・フセインを仕留めるべく挫折した父ブッシュの弔い合戦を起こすのである。

従順な日本の占領行政に威力を発揮した“菊と刀”を持って続々と占領担当者らがイラク入りしたのは事実だが、どっこい、イラクの指導者等は日本人ほど甘くはなかった。サダム・フセインの公開処刑は日本の極東裁判の模倣だったかも知れないが、完全に逆効果に終わる。日本でも蠢動した陸軍強硬派を凌ぐイスラミストの出現でイラク親米政権は手を焼く。おそらく、ここがダブル・ミーニングの「悪」の部分だろうが、現実のブッシュ息子は上流育ちの父より機を捕らえるのに敏感だった。

『バイス』©2019 ANNAPURNA PICTURES, LLC. All rights reserved.

例えば「9.11」の現場でハンド・マイクが聞き取れないという群衆の声に対して、ブッシュ息子はすかさず「おれには聞こえるぞ」と聴衆に即座に応じて、彼らの「9.11」テロへの反撃の意志を代弁してみせたように。映画のブッシュ息子は間抜け度が高すぎる気がする。何かと出しゃばるチェイニーに閣議で苦言を呈する場面も別の映画では描かれていたと記憶している。もっとも、飲酒癖には苦しみ、キリスト教右派にすがったのだが。

とはいえ、この映画はあくまでチェイニーの人物像の掘り下げが主題で、広大な州に議会選挙区が1つしかないワイオミングで娘がこの議席をものにし、別の娘は同性愛という苦労を舐めている。イェールまで入りながら退学する回り道(「レガシー・ティップ」のかけらもなく入学したのに、途中で逃げ出す無駄の多い人生)、この回り道がもたらした「悪」の次第である。

文:越智道雄

『バイス』は2019年4月5日(金)より TOHOシネマズ日比谷ほか全国ロードショー

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『バイス』

大統領を差し置いてアメリカを操り、世界をメチャクチャにした悪名高き副大統領<バイス>、その名はディック・チェイニー。実話&社会派ブラック・エンターテインメント!

制作年: 2018
監督:
出演:
  • BANGER!!!
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