日本のデリケートな題材は「外国人だから実現できた」最後の日本兵、小野田元少尉を描いた映画『ONODA』A・アラリ監督が制作秘話を語り尽くす!

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ライター:石津文子
日本のデリケートな題材は「外国人だから実現できた」最後の日本兵、小野田元少尉を描いた映画『ONODA』A・アラリ監督が制作秘話を語り尽くす!
『ONODA 一万夜を越えて』 ©2021映画『ONODA』フィルム・パートナーズ(CHIPANGU、朝日新聞社、ロウタス)

2021年7月7日、カンヌ映画祭「ある視点部門」のオープニングを飾った、アルチュール・アラリ監督の『ONODA 一万夜を越えて』。終戦後も約30年間、フィリピン・ルバング島に戦闘状態で留まり続けた最後の日本兵、小野田寛郎元少尉の姿を追うドラマは、カンヌで熱く迎えられ、鳴り止まぬスタンディング・オベーションに、アラリ監督、そして日本から参加した俳優・森岡龍たちは感無量といった面持ちだった。

翌日に行われた公式記者会見は、小野田を二人一役で演じた遠藤雄弥津田寛治も日本からリモートで参加という、特例の形で行われた。

(左から)遠藤雄弥、津田寛治 / 筆者撮影

なぜフランス人であるアラリ監督が、小野田さんの話を映画化しようと思ったのかについて、監督は「当初は冒険映画を撮りたいと考えて、スティーブンソンの『宝島』のような話を探していたんです。でも良い題材がないかと思っていたら、父が小野田さんの話をしてくれました。そして彼に関する本を読み、彼自身の揺るぎない信念に僕は引き寄せらたんです」と答えた。

1974年(昭和49年)3月の小野田さん帰国の様子を、テレビで見ていたという津田は「高度成長期の日本に、大和魂を持って帰ってきた小野田さん。その誇りをなくさないように小野田さんを演じました」語った。また日本とフランスの映画製作現場の違いについて、津田は「驚いたことに、この作品の現場ではスタッフもキャストも同じ温かい食事を一緒に食べるんです。なんと、撮影も週休2日制なんです!そして、撮影現場に子供や家族も連れてきていて、2週間ごとに家族を交えて撮影現場でパーティをしているんですよ。楽しいじゃないですか。どんなにハードな話や現場でも、楽しく撮影しなければ、この先が続いていかない、ということに気づいて、(フランスって)なんて良いところなんだ、と思いましたし、日本もそうならないといけないと思いました」とテンション高く答えて、会場の笑いを誘った。

遠藤は、「11キロ痩せて現場に行ったら、監督に痩せ過ぎと言われて。ピーナツバターや食パン を毎日食べて体型を調整しました」と撮影を振り返った。

『ONODA』アルチュール・アラリ監督 インタビュー

『ONODA 一万夜を越えて』アルチュール・アラリ監督 / 筆者撮影

―映画、素晴らしかったです。小野田さんの孤独ついて、そして記者会見で小野田さんが自分の王国の王様になってしまっていた、と仰っていましたが、その点をさらに詳しく教えてください。

僕は小野田さんに会ったこともないし、小野田さんは島になぜあそこまで長く留まったのか、日本に帰国後も真の理由を明言していません。でも、僕は小野田さんに会ったことがないからこそ、想像力を働かす余白があったかな、と思っています。僕の想像では、小野田さんはあそこにいたかったのだ、と思いました。何かここにいたいと思わせる理由があったのではないか。日本にいる自分とは違う、何か違うものになれる場所だったから、ではないか。そんなふうに思いを巡らせました。しかも、島というのは、海に囲まれ、全てから断絶されている。それは、違う何者かになりたいと思った時に、好都合だったのではないでしょうか。確かに彼の視点から見れば小野田さんは島の主のように思えますが、実情は違って島には他にも住民がいたわけです。最初は彼の仲間もいたけれど、どんどん減ってしまい、最後には小野田さん一人になってしまった。フィリピンの人たちは小野田さんのことを、森の王様とか、森の悪魔と呼んでいました。つまり、小野田さんは実際には無人島にいたわけではないし、物事には二面性があるということです。そして、島の山や川に日本の名前を付けていたのも、ある種の郷愁もあったのでしょう。こうした複雑な状況が絡み合って、彼はこの島に留まり続けてしまった、と僕は考えました。

―アラリ監督は、なぜ今まで日本の監督が小野田さんの話を映画にしなかったと思いますか?監督の私見で構いません。テレビドラマにはなっているのですが、これほど有名な話なのに、劇映画は今まで実現しませんでした。小野田さんは、帰国後、日本に馴染めず、結局ブラジルに移住してしまったという事情もありますが。

僕の意見では、テレビドラマにはなっていたりするので、おそらく小野田さんが全部断っていたわけではないとは思います。あくまで推測ですが。じゃあ、なぜ日本では映画化されなかったのかといえば、日本ではこのテーマがデリケートな問題を孕んでいるからだと思います。僕は日本の政治状況や軍事状況にすごく詳しいわけではありませんが、小野田さんが帰還した直後というのは、全てが彼のいた世界とは変わっているわけですよね。軍隊に対する考え方も、政治的状況も、全く違う。かつて日本が持っていたある種の闇というか、軍国主義や、その後の敗戦の悲しみ、というのを経験した全く違う価値観を持った日本の社会に、小野田さんが遠い昔から帰ってきたわけです。時間を越えて。その小野田さんをある種の英雄として称揚する人もいれば、彼を批判する人もいる。小野田さんは、操り人形にされてしまったような気がしたのかもしれません。その状況の中で劇映画を作るというのはとてもデリケートなことだったでしょう。もう一つ言えるのは、僕がこの映画の製作を始めたとき、日本では興行的に難しい題材だ、とも言われたんです。でも、僕がフランス人であることで、僕以外の外国人監督の可能性も含めて、外国人だから実現できた、ということはあるかもしれません。

『ONODA 一万夜を越えて』 アルチュール・アラリ監督 / 筆者撮影

―ルバング島はフィリピンですが、映画を主にカンボジアで撮った理由は?

僕も元々は、フィリピンのルバング島で撮るのが夢でした。でもルバング島は孤島で、なかなか行くのが大変な場所なんです。それに加えて、フィリピンは台風の脅威にいつもさらされている。物理的に撮影は難しいし、政治的にも不安定なので、共同製作をしやすいカンボジアで撮ることにしました。日本のシーンも一部はカンボジアで撮ったのですが、わかりましたか?

―背景の山が日本らしくないので、そうだろうなと思っていました。小野田さんが訓練を受けた陸軍中野学校二俣分校は、実際には静岡県にあったはずなので。

そうなんです。学校のシーンもカンボジアで撮っています。日本とは校舎の形が違うので、日本らしい建物を探すのに苦労しました。でも、あの学校は、裁縫を教える学校だったのですが、実は日本から寄贈されたものなんです。だから、カンボジアの他の学校とは違い、日本の学校らしい校舎の作りになっているんです。一方、仲野太賀さん演じる青年が、小野田さんの上官だったイッセー尾形さんを探しに行く場面は、日本でロケをしています。

―アラリ監督は日本や日本文化に元々興味があったのですか?

小野田さんの話を知る以前にも日本文化には興味がありましたが、それは全て映画を通してです。二人のクロサワ、黒澤明、黒沢清という偉大な監督をはじめとして、若松孝二やたくさんの敬愛する監督がいます。そして漫画もです。水木しげる、つげ義春、などの作品を通して日本に興味を持ちました。といっても、日本文化なら何でも好き、というわけではないんです。あくまで、映画や漫画というものを通して、ですね。ただ、無意識に日本やアジアの文化に惹きつけられる部分があったのかもしれません。僕は全てにおいて、映画を通してものを見て、感じるところがあるんです。それは僕の欠点かもしれませんね。

―若松孝二監督の作品に影響を受けたそうですが、彼はとても特異な監督だと思います。どのようなところに惹かれましたか?

若松孝二監督の作品には、とても暴力的な瞬間があります。『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』(2007年)では、削ぎ落とされた中にある狂気を感じたし、若さというものがどう失われていくのか、が描かれていた。『ONODA 一万夜を越えて』 を撮っているときは気づきませんでしたが、無意識のうちに、そういった部分に感化されていたのではないのでしょうか。話していて思いましたが、もし日本で小野田さんの話を映画にできるとしたら、若松監督しかいなかったでしょうね。

取材・文:石津文子

『ONODA 一万夜を越えて』は、2021年10月8日(金) TOHOシネマズ 日比谷ほか全国公開。

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