キューブリックの、インパクト・アイディア優先の作りは本来コメディ的

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ライター:#椎名基樹
キューブリックの、インパクト・アイディア優先の作りは本来コメディ的
『シャイニング』©2007 Warner Bros. Entertainment Inc. All Rights Reserved.
キューブリックの映画作りには、ある特徴があった?構成作家の椎名基樹が、作り手の目線で観るからこそ浮かび上がる“キューブリック観”を語る。

青春時代も今も“キューブリック”は課題だった

『2001年宇宙の旅』©1968 Turner Entertainment Co. All rights reserved.

スタンリー・キューブリックは寡作であることを気にしていたという。あまたいる映画監督の中でも、唯一無二の特別な存在として評価され、興行的にもちゃんと成功を納め、70 歳になっても豊富な資金で映画作りを許された人が、作品が少ないことを気にするものかと、なんだか不思議な気もする。そもそも寡作は自身の完璧主義が招いた結果だろう。しかし、そんな複雑な心理がプロというものなのかもしれない。どこまでも強欲だ。

私もそうであるが、青春時代にポップミュージック、映画、書籍、漫画、ゲームなどのサブカルチャー、ポップカルチャーを、まるで宿題をこなすかのように消化してきた人なら、スタンリー・キューブリックは“課題”として自然と浮かび上がってくる名だろう。何せ名前まで“キューブリック”ってなんだかカッケー。それだけでなんだか惹かれたものだ。

キューブリックの没後20 年ということで、キューブリック作品が放送されると聞いて、うかつにも、「彼の作品について書いてみたい」と編集部に言ってしまった。キューブリック作品を語るなんておこがましいと思ったが、チャレンジも含めて書いてみたいと思った。

もう一つ書きたいと思った理由として、これを機に寡作のキューブリックなら鑑賞済、未鑑賞を含めて一から見直せるのではないかと思ったからだ。何の役に立つのやら、文化作品をちゃんと押さえておきたいという欲が、いまだ抜けずにいる。それが失敗の元だった。

キューブリックが重視したのは、ストーリーより強烈なアイディア

『2001年宇宙の旅』©1968 Turner Entertainment Co. All rights reserved.

キューブリック作品は、自主制作を含めて16 本、メジャー作品だけなら13本らしい。当たり前だがこれがキツかった。全部は観られなかったことを最初に告白しておくが、頑張ってかなりの本数は観たよ、僕ちゃん。この短いコラムでそんなことしてどうするという、葛藤と戦いながら。しかし、たくさん観た事で、私なりのキューブリック像、キューブリック観というものが、おぼろげながら浮かび上がって来た。

まず感じたのは、キューブリックはリアリティーを重視していない。そう書くと言葉が足りないかもしれない。しかし、同じく巨匠と言われるフランシス・フォード・コッポラ作品のように、まるで記録映画を見ているような、重厚な世界を作り出そうとしているように感じないし、登場人物の匂い立つような存在感を作り出そうとしているようにも感じない。

キューブリックにとって大切なのは、ワンシーンごとのアイディアで、そのアイディアのコラージュによって、作品を作り上げている。外連味やサービス精神が最優先されている。その姿勢は、ストーリーまで壊してしまう。それでもOK なのだ。そして、その姿勢が完遂できている、“なんだかわからない”作品こそが、必ず彼の代表作として名前があがる作品となっている。

『シャイニング』はワンカット長回しの技術ありきでつくられた?

『シャイニング』©2007 Warner Bros. Entertainment Inc. All Rights Reserved.

アイディア優先の精神が最もわかりやすく出ているのが、『シャイニング』(1980年)だ。この映画は初めてステディカムという手ぶれがないカメラが導入された映画だという。ステディカムは、いうまでもなくワンカットの長回しで、カメラが移動していく撮影に威力を発揮する。この映像には快感があって私も大好きだ。

キューブリックはまるでおもちゃを手にした子供のように、ステディカムありきで、それに合う映像アイディアを作品に織り込んでゆく。

幾何学模様のカーペットの上を疾走する三輪車。生け垣でできた巨大迷路での追いかけっこ。雪が積もった夜の迷路を進む映像はとても幻想的だ。しかし、生け垣の巨大迷路といえばイギリス名物な気もする。映画の舞台はコロラド州だけれど。

『シャイニング』の原作者のスティーヴン・キングは映画の出来がひどく不満であったという。そもそも“シャイニング”とは、テレパシーのような超能力のことで、その能力を持つ子供と、老人が思念で連絡を取り合って、老人が救出に向かうのだが、発狂したジャック・ニコルソンとのファーストコンタクトであっけなく殺されてしまう。

原作はきっとこの“シャイニング”の二人が活躍するのだろう。しかし、それはキューブリックの撮りたい映像ではなかったらしい。結果、ストーリーらしいストーリーは省かれ、ただ男が発狂していく様の報告になってしまった。

あと、『シャイニング』のサービス精神溢れるシーンとして、是非触れておきたいのが、それは素晴らしい、ド迫力の「階段落ち」があることだ。蒲田行進曲のヤスもきっと尻込みするだろう。スタントマンは無事だっただろうか。

とにかく汚い言葉をしゃべり倒す『フルメタル・ジャケット』

『フルメタル・ジャケット』©1987, Package Design & Supplementary Material Compilation © 2012 Warner Bros. Entertainment Inc. Distributed by Warner Home Video. All rights reserved.

『フルメタル・ジャケット』(1987年)もアイディア満載だ。特にセリフの面白さ、それも口汚い言葉を際立たせるためのアイディアに知恵を絞っている。キューブリックはこの映画を“とにかく汚い言葉をしゃべり倒す”作品にしたかったのではないか。北野武のデビュー作『その男、凶暴につき』(1989年)を見た時も同じように思った。

映像美ばかりがクローズアップされがちなキューブリックだが、どぎつい言葉のセリフ回しが白眉であり、それを常に意識しているように思える。何よりきわどい台詞は、それが最もコンプライアンスの制約を受けない映像媒体である「映画」であることを意識させてくれる。キューブリックの遺作となった『アイズ ワイド シャット』(1999年)の最後の台詞が「Fuck」なのは象徴的だ。

物語は完全に二部構成になっている(それだけでも変な戦争映画だ)。前半は兵士の訓練所であり、そこに凶悪下品な訓練官を登場させることで、若者のイニシエーションという大義名分の元、自然に(?)下ネタを連呼する状況を作り出している。

後半の戦場では、主役であるジョーカーを軍の報道部員にすることで、映画をメタ構造にしている。ジョーカーが兵士にカメラを向けているから、兵士はカメラに向かって、つまり観客に向かって台詞を吐く。土嚢の中で「笑点」よろしく横並びなった兵士たちに順番にカメラが向けられ、まるで下品な言葉の大喜利でもしているかのように、台詞が吐き捨てられていく。

キューブリック作品が、なぜだか妙に笑えるワケ

『2001年宇宙の旅』©1968 Turner Entertainment Co. All rights reserved.

キューブリックの、ストーリーや作品のテーマなどよりも、ワンシーン、ワンシーンのインパクトやアイディアを優先する映画作りは、本来コメディ的である。コメディはストーリーよりも、何分かに1 回笑いを取る事が重要だからだ。だからなのか、キューブリック作品はなぜだか妙に笑える。

私が一番笑ってしまったのは、『シャイニング』のジャック・ニコルソンが凍死するシーンだ。あれだけ恐ろしかった男があんな間抜けな死に様ってある?

『2001 年宇宙の旅』(1968年)の冒頭の猿人と野豚のような、本物の動物が入り乱れるシーンも、猿人の中に入った役者のことを思うと笑けてくる。

『ロリータ』(1961年)は中年男が少女にのめり込み破滅していく話であるが、そのストーリーよりも、物語に出てくる人々が奇妙過ぎて、それに心を奪われたまま最後まで見てしまう。この感覚は「ツイン・ピークス」に似ている。特にロリータの母はまるで“板尾の嫁”のようで、やはり笑える。

しかし、そんな“何だか笑えるキューブリック”が唯一撮ったコメディの『博士の異常な愛情』(1964年)は、ちっとも笑えなかった(笑)。

キューブリックのように、シーンごとのインパクトやおもしろさを優先させると、エンターテインメントからかけ離れて行きがちだと思う。しかし、キューブリックの場合、どの作品もちゃんとおもしろいというところが、巨匠たる力量なのだろう。

文:椎名基樹

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