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若尾文子の魅力爆発!『卍(まんじ)』は気品とエロスを備えた名女優と「半沢直樹」ばりの大仰演技が見もの!!

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ライター:#椎名基樹
若尾文子の魅力爆発!『卍(まんじ)』は気品とエロスを備えた名女優と「半沢直樹」ばりの大仰演技が見もの!!
『卍(まんじ)』© 1964 KADOKAWA

『男はつらいよ』でもアンタッチャブルなマドンナだった若尾文子!

『男はつらいよ』(1969~1995年、2019年)の全作品を鑑賞しようと思い立ち、一作目から順番に見ていった。レンタルビデオで数本ずつ借りて毎日見続けた。今から数十年前の話。多分、私は大学生で時間が有り余っていたのだろう。

それは自然と日本を代表する女優たちのカタログとなった。一作ごと変わる「マドンナ」を見ることで、女優たちそれぞれの個性を知った。その中で1番の美女だと思ったのが若尾文子だった。顔立ちが美しいだけでなく気品があり、それでいて非常に色気がある。エロティックで神々しい。冷めた眼差しには、悪女の雰囲気すらある。

若尾文子がマドンナの『男はつらいよ 純情篇』(1971年)では、ほとんど寅さんとの恋愛は描かれない。岡惚れした寅さんが、体調を崩して寝込む程度である。いつものように片思いに熱を上げた寅さんが、マドンナにサービスしまくる、そんなシーンすらない。若尾文子の美しさがあまりにもアンタッチャブルで、それすら不自然に映ってしまうからだと思う。

半沢直樹か! キャスト陣の過剰な演技が映画『卍』の個性であり魅力

夫婦の夫と妻両方と、ハンサムな青年を恋の虜にする『卍(まんじ)』(1964年)の主役・徳光光子は若尾文子に適役である。若尾文子の美しさと色気は、他人を虜にするキャラクターとして説得力充分。悪女的な魅力は、他人を支配したがる光子の異常な性格にも合致する。

原作は文豪・谷崎潤一郎の小説「卍」である。文芸作品が原作ということで、私はこの作品を格調が高い難しい映画であることを覚悟して鑑賞した。しかし、実際は非常に通俗的でエンターテイメント性あふれる作品であることに驚いた。

真っ先に驚いたのは、俳優たちの演技が非常に過剰であることだ。「半沢直樹か!」と思わずツッコミを入れた。といっても私は半沢直樹のテレビドラマを見たことがない(笑)。ただ番組のCMで、このドラマの売りが過剰なキャラクターたちの過剰な台詞の応酬であることは知っていた。それはまさに映画『卍』の1番の個性と同じである。

まず、岸田今日子が演ずる本作のストーリーテラーであり、もう1人の主役である柿内園子のキャラクターが強烈だ。美術学校で出会った光子の美しさの虜になり、同性愛にひた走る。光子を見つめる園子の目から発せられる、目に見えぬ“好き好き光線”の圧がすごい。岸田今日子が情念たっぷりの演技をすると言っただけで、その迫力をを想像するのはたやすいと思う。

『卍(まんじ)』
価格:DVD¥2,800+税
発売・販売元:株式会社KADOKAWA

谷崎潤一郎による原作小説を忠実に映画化! 詰めは甘いがエンタメ作品としての勢いアリ

さらに特筆すべきは、川津祐介演ずる、光子につきまとうインポテンツのストーカー男・ 綿貫栄次郎である。自己中心的で粘着質で猜疑心の強い男。ことあるごとに誓約書にサインすることを要求する。今の時代の負の典型のようなキャラクターに思える。1964年の映画公開当時なら、同性愛以上に綿貫のキャラクターはインパクトがあったのではないだろうか。また、1928年にこの小説を発表した谷崎潤一郎の先見性に驚く。

この綿貫の狂気の怪人ぶりは、今の時代なら彼を主役にしたスピンオフ作品が作られるのではと思うほどの悶絶キャラクターなので、ご覧になる方は、ぜひ注目して欲しい。それにしても、こんなに恐ろしい男が「くいしん坊!万才」のMCを務めていたなんて!

監督の増村保造は、あの「スチュワーデス物語」(1983~1984年)の脚本家でもある。濃いキャラクターが熱いセリフをぶつけ合う作風は、増村保造の元来的な資質のようだ。ところで「スチュワーデス物語」の生みの親であるのならば、増村はドラマ「半沢直樹」シリーズ(2013年)の曾祖父さんくらいの存在であると言えなくはないだろうか。

『卍』が通俗的だと感じた理由は過剰な演技の演出だけではなく、ご都合主義とも取れるストーリーにもあった。特に疑問に感じた部分は「睡眠薬の致死量の調整を素人がそうやすやすとできるのだろうか?」というところである。しかしそのギミックが、二転三転のジェットコースターストーリーを可能にし、意表をつく結末を成り立たせている。

あまりにエンターテイメント性が強いので、原作が気になり読んでみた。すると、この映画が非常に忠実に原作を再現していることに驚いた。ストーリーはそのままだし、セリフやト書きの部分も非常に効率よく抜粋されている。

この小説は愛欲をテーマにしながら、様々な謀略が張り巡らされ、その首謀者が誰であるかという謎解きが趣向のサスペンス小説の要素も強い。物語は“先生”と呼ばれるだけで何の説明もない男(つまりは谷崎潤一郎なのだが)に対する、園子の独白のみで綴られていく(その設定は映画でも採用されている)。全編関西弁なのだが、その関西弁はかなり適当だという。谷崎潤一郎がノリで書いた関西弁なのだ。そんなところからも、谷崎がエンタメ作品として「卍」を世に送り出したと推測するできる。

性愛映画であり、サスペンス映画であり、ホラー映画でもある、若尾文子の妖艶さを堪能できる映画!

増村監督による演技の演出は大衆作品的であるが、映像センスは非常に洗練されている。特に人物の背中や襖、ドア、柱などで画面を断ち切り、その中に人物を置く構図が印象的だ。独特な画面の切り取り方はスタイリッシュでサスペンス作品に似合っている。またテンポが非常に良く、シーン変わりの冒頭の人物の表情等で、これから起こる展開がエクスキューズされていてとてもわかりやすい。

映像的に印象的だったのは、光子と園子がやりとりした大量の手紙が紹介されるシーンだ。アップになった便箋には、トカゲ、孔雀、トランプのクイーンなどが極彩色で描かれている。カラフルで美しくおどろおどろしくもあり、とても印象的なシーンだ。

原作にもこのシーンがある。しかし、谷崎が便箋のディテールで描きたかったのは「東京の女ならば嫌悪するような極彩色の便箋を使う関西女の悪趣味である」という意味のことが小説の中に書いてあって、私はなんだか唖然としてしまった(笑)。

『卍』は若尾文子の妖艶さを確認するには最適の映画である。また、有名な文芸作品を押さえておきたいと思うならば「卍」の小説を読まずとも、この映画で充分だと個人的に思う。小説は長編と呼ばれる分量があるが、情報量的にはこの1時間30分あまりの映画にほぼ収まっているように感じるからだ(笑)。

性愛映画であり、サスペンス映画であり、ホラー映画でもある、とてもユニークなエンタメ作品である。ただ1時間30分あまりであっても、ものすごく濃いキャラたちがコテコテの関西弁で絡み合うので、鑑賞後はかなりお腹いっぱいになる。

文:椎名基樹

『卍(まんじ)』はCS映画専門チャンネル ムービープラスで2020年10~11月放送

「若尾文子映画祭」は角川シネマ有楽町ほか全国で上映中

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『卍(まんじ)』

弁護士の妻・柿内園子は、美術学校で出会った若き令嬢・徳光光子に恋心を描いていた。学校内で同性愛の疑いを掛けられた2人は、それをきっかけに仲を深めていく。だがある日、光子に綿貫という情夫がいることが発覚。綿貫は「光子への愛を2人で分け合おう」と園子に持ち掛けてくる。

制作年: 1964
監督:
出演: