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【追悼】あなたの知らないエンニオ・モリコーネ「7つの秘密」~名作を支えた映画音楽の巨匠の素顔

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ライター:#セルジオ石熊
【追悼】あなたの知らないエンニオ・モリコーネ「7つの秘密」~名作を支えた映画音楽の巨匠の素顔
Ennio Morricone @ Taormina July 2002 / photo by Sergio Ishikuma

2020年7月6日、エンニオ・モリコーネが身罷った。享年91。転倒して大腿骨を骨折し、入院中に合併症を併発したという。ほんの1年前には90歳にしてローマでファイナル・コンサートを指揮し、今後はジュゼッペ・トルナトーレ監督の映画音楽のみを書いてのんびり暮らすということだったのに……残念無念、そして合掌RIP。世界の映画&音楽ファンを唸らせる名曲・奇曲を新たに聞くことはできないのは残念だが、今ごろ、セルジオ・レオーネと一緒に、天国のサッド・ヒルでゆっくりチェスでも指していることだろう。それこそが全世界のモリコーネファンにとっては“黄金のエクスタシー”だ。

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モリコーネといえば、セルジオ・レオーネの『荒野の用心棒』(1964年)『夕陽のガンマン』(1965年)『続・夕陽のガンマン/地獄の決斗』(1966年)『ウエスタン(後に『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト』に改題)』(1968年)『夕陽のギャングたち』(1971年)や、セルジオ・コルブッチ監督の『殺しが静かにやって来る』(1968年)『ガンマン大連合』(1970年)など、激しく荒々しくカッコよく、そして時に哀しくも美しいマカロニ・ウエスタンのスコアで知られている一方、ジュゼッペ・トルナトーレ監督の出世作『ニュー・シネマ・パラダイス』(1989年)に代表される、メロディアスで泣かせる名曲も数多い。

しかし、モリコーネ自身は、こう言っている。

「“テーマ曲を聴かせてください、綺麗な曲を、 美しい曲を!”と言われるたびにウンザリします。傷つくことすらありますよ」

(アメリカでのある授賞式で「メロディスト」と紹介されて)
「まるで素人の作曲家みたいな扱いでしたね。メロディを作っても、そのあとで他人がアレンジしなければならないのなら、その作曲家は素人ですよ」 

<ジュゼッペ・トルナトーレとの対話集「エンニオ、ある巨匠」より(以降=※1)>

また、同書でトルナトーレは冗談めかして、「エンニオを怒らせたければ、美しいテーマ曲を作曲するよう頼むがいい。彼はメロディのない難解な、誰にも理解できないような音楽を書くのが好きなんだ。でも、美しいメロディを書かせたら、世界一素晴らしいんだ」と記している。

「エンニオ、ある巨匠」
「ENNIO un Maestro」Ennio Morricone e Giuseppe
Tornatore (Harpercollins Italia 2018)邦訳未定(※1)

筆者も末席を汚している東京エンニオ・モリコーネ研究所では、モリコーネのドキュメンタリー映画を製作していたトルナトーレ監督がまとめたという、この「エンニオ、ある巨匠」や、モリコーネに弟子入りを申し込んだ若い作曲家アレッサンドロ・デ・ローザによる「モリコーネ:あの音を追い求めて」などを研究し、エンニオ・モリコーネの知られざる姿を追い求めてきた。その過程でわかってきたことを少し紹介しよう。

「モリコーネ: あの音を追い求めて」
Inseguendo quel suono. La mia musica, la mia
vita. Conversazioni con Alessandro De Rosa」
(Mondadori 2016)邦訳未定(※2)

ちなみに、わが国ではエンニオ・モリコーネの研究本はモリコーネ研究所による「エンニオ・モリコーネ映画大全」(2015年:洋泉社[絶版])以外、ほぼ皆無。唯一紹介されている訳書が「エンニオ・モリコーネ、自身を語る」(アントニオ・モンダ:河出書房新社[2013年])だが、残念ながら取材・執筆者は小説家で、映画にも音楽にも詳しくはないらしく、コーヒーやサッカーに関する記述はともかく、興味深い部分は多いものの、ファンには不満の残る内容だった。

1:「さすらいの口笛」はアメリカのフォークソングだった!

誰でも知っている、荒野に鳴り響く口笛のメロディとムチと鐘の音……『荒野の用心棒』のテーマ曲「さすらいの口笛」は世界中で大ヒット、日本でも洋楽チャートを席巻した。歌もなく、メロディを奏でるのは口笛だけにもかかわらず、一曲で世界中にマカロニ・ウエスタン・ファンを生みだした。

ところが、この曲には元ネタがあった。アメリカの有名なシンガーソングライター、ウディ・ガスリーの「みのりの牧場(PASTURES OF PLENTY)」を“イタリアに在住していたアメリカ人”ピーター・テーヴィスが、1963年にイタリアでカバーしてレコードを発売。そのアレンジを担当したのがモリコーネだったのだ。聴いてみれば、口笛以外は、ムチと鐘の音、途中から登場する男性コーラスとオーケストラまで、ほとんど同じ。さらに、このテーヴィスの「みのりの牧場」は日本でもすでにシングル盤で発売されていたというから驚きだ。

『荒野の用心棒』は黒澤明の『用心棒』(1961年)の盗作だと騒ぎになったのだが、まさか主題曲まで盗作……ではなく使いまわしだったとは!

モリコーネと小学校の同級生だったセルジオ・レオーネが、たまたまテレビ番組で「みのりの牧場」を聴き、西部劇にぴったりだとモリコーネに言ってきたのだという(※1)。そもそも製作費が足りなかったこともあり、モリコーネはアレッサンドロ・アレッサンドローニの口笛をフィーチャーし、男性コーラスの歌詞を少し変えただけで、まさにマカロニ・ウエスタンのアイコンのような主題曲を創り上げ、世界中で大ヒットを飛ばすことになるのだ。

ちなみに、レオーネに連れていかれて映画館で黒澤の『用心棒』も観たというモリコーネは、インタビュアーから「映画は気に入りましたか?」と尋ねられ、こう答えている。

「いえ全然。(「さすらいの口笛」は)世界的に認められはしましたが、今でもあの音楽は、私の映画音楽の中では駄作に属するもののひとつと思っています」(※2)

2:『荒野の用心棒』だけでなく『夕陽のガンマン』も盗作だった!?

セルジオ・レオーネは、第2作『夕陽のガンマン』でも前作で大成功した口笛とトランペットを使った音楽を要求してきたという。同じことを繰り返したくないモリコーネは、シチリアに伝わる口琴=マランツァーノ(一般にはジューズ・ハープなどと呼ばれる)をリズム楽器のように使い、口笛とエレキ・ギターと男性コーラスをフィーチャーしたまったく新しい西部劇音楽を創り上げ、再び世界的大ヒットを記録する。

ところが、ある作曲家が『夕陽のガンマン』の主題曲を自分の曲の盗作だと言い出したのだ。それはイタリア・カンツォーネ界の大御所ジョルジオ・コンソリーニが1958年に歌った「情熱のジャマイカ」なる歌だった。

「私はその曲を知りませんでしたが、調べてみたらそっくりであることに気づきました」(※2)

モリコーネはそう言っているが、はたしてそうだろうか。「ジャマ~イカ~♪」というサビ部分が聴きようによってはちょっと似てるかもなあ、って程度……どう考えても言いがかりだろう。

この問題は、『夕陽のガンマン』からレオーネ作品のプロデューサーとなったアルベルト・グリマルディがやり手の弁護士だったことですぐに解決したようだ。

「彼はある作曲家に30万リラほど支払いました」(※2)

そして、このことをモリコーネが知ったのは、ずっと後になってのことだったそうである。

「彼のように監督や作曲家を尊重し、優しくしてくれるプロデューサーはいません」(※1)

と、モリコーネは全幅の信頼を寄せていたようだ。事実、モリコーネは以降、アルベルト・グリマルディが製作した映画は、『復讐のガンマン』『豹/ジャガー』(共に1968年)、『ピエル・パオロ・パゾリーニ/ソドムの市』(1975年)など、多忙でもできるだけ引き受けていた。

レオーネのために『用心棒』のリメイク権を得ようともしなかった『荒野の用心棒』のプロデューサー、ハリー・コロンボ&ジョージ・パピ組とは大違いだったのだ。

3:曲が難解すぎて大コケした映画のために、無償でやり直しを申し出る!

1950年代から60年代、20代から30代のモリコーネは、国営放送局のラジオ番組や流行歌(カンツォーネ)の編曲を手がけ、その仕事の速さ(1日で4曲編曲したという)と技術&センスでイタリアで最も優秀なアレンジャーとされていた。しかし、モリコーネが作曲法を学んだローマのサンタ・チェチーリア音楽院での師は、当時のイタリアを代表する現代音楽(純音楽)作曲家ゴッフレド・ペトラッシ。のちにモリコーネが映画音楽を担当するようになっても、ムチの音、ゲップ、口笛からトイレを流す音まで、およそ通常の音楽家が取り扱わないような音源を次々と採用するなど、師匠譲りの実験精神は生かされていた。

そんなころ、エリオ・ペトリ監督によるサイコ・ホラー映画『怪奇な恋の物語』(1969年)を担当することになったモリコーネは、大胆に現代音楽を導入、忙しい中をぬって“純音楽”仲間たちと結成していた即興演奏グループ「ヌオヴォ・コンソナンツァ」の一員として、自らトランペットを吹いて演奏にも参加した。

しかし、当時世界中のゴシップ欄を騒がせていた国際的スター・カップル、フランコ・ネロとヴァネッサ・レッドグレーヴ共演作にもかかわらず、映画は商業的に失敗。モリコーネは、

「見事な映画なのに、難解な音楽が流れたせいでヒットしなかった。私ひとりのせいだと思いました」(※1)

と全責任を背負いこみ、プロデューサーに無償で音楽を作り直すと申し入れたのだ。

しかし、その要求はプロデューサーに一蹴される。その人は『夕陽のガンマン』のアルベルト・グリマルディだった。おかげで、この奇っ怪にして恐ろし気な音楽(個人的には日本の和楽の影響もあるように感じるのだが……)はそのまま残され、21世紀になってブルーレイ・ディスクにも納められることになった。

4:幻となったキューブリックとの夢のコラボ

「結果的に自分が関われなかった映画の中で、激しく悔やまれる作品がひとつだけあります。『時計じかけのオレンジ』です。スタンリー・キューブリックとは何度も話しあって、すべて意見がまとまっていました。『殺人捜査』を思わせるような曲が欲しいということでした。そっくりな曲を望むほど、『殺人捜査』を気に入っていたというのです」(※1)

『殺人捜査』(1970年)は、モリコーネが『怪奇な恋の物語』に続いてエリオ・ペトリ監督のために音楽を担当した作品で、カンヌ映画祭審査員特別グランプリ、アメリカのアカデミー外国語映画賞を受賞していた。

ちょうどレオーネと『夕陽のギャングたち』(1971年)の仕事を終えたばかりだったモリコーネは、キューブリック側と報酬の話もまとまり、『時計じかけ~』(1971年)の仕事に入る準備万端だった。ところが、間の悪いことに、キューブリックはレオーネに電話をかけ、『時計じかけ~』にモリコーネを起用すると伝え、レオーネの了解を取ろうとしてしまった。するとレオーネは「それは無理だ、エンニオはわたしとの仕事でかかりっきりになっている」と答えたというのだ。おかげで、キューブリックはモリコーネをあきらめ、アメリカのシンセサイザー奏者ウォルター・カーロス(のちにウェンディ・カーロス)を起用することとなる。

映画ファンならだれもが夢見るスタンリー・キューブリックとエンニオ・モリコーネ夢の競演を邪魔したのは、だれあろう、セルジオ・レオーネの(おそらく)男の“嫉妬”だった。『夕陽のギャングたち』の最終ミキシングの際(おそらくキューブリックとの電話の前)、疲れ果てて眠るモリコーネを見ながら、レオーネはこんなソネット(イタリアで生まれた定形詩)を書き残していたという。

眠る君を見た

君のいびきを耳にした

しかし、この美しい音楽

この素晴らしい調べ

いつの間に作曲したのだろうか?

(※1)

5:大作曲家の“曲”ではなく“名前”そのものを取り入れた珍作曲法

一般的に作曲家といえば、髪を振り乱してピアノを弾きながら楽譜に音符を書き込んでいるイメージがあるが、モリコーネの場合、あまりあてはまらない。

「作曲にピアノは要りません! 断じて! それは素人のやる事です。作曲しているものをピアノで弾く必要はありません。むしろ真の作曲家は、ピアノの力を借りることなく作曲するものだと知るべきでしょう」(※1)

けっして乱れることなくいつもきっちり整えられた髪型、大きな眼鏡がまるで科学者のような容貌のモリコーネは、チェスの愛好家で、あのボビー・フィッシャーのライバルだったボリス・スパスキーとも対局したことがあるという。モリコーネによれば、

「巷間では、数学者と音楽家に優れたチェスプレイヤーがいるとされています。音楽と数学とチェスは関連性があるのです」(※1)

対局でのチェスのコマの動きに合わせて音楽を奏でるというアイディアもあったというのが、さすが純音楽(現代音楽)出身だ。さすがに実現はしなかったらしいが。“理詰め”というべきか、感覚よりも“あるルール”に従って事を進める、つまり作曲(あるいは編曲)することは、モリコーネにとって、別に珍しいことではなかったのかもしれない。

「エンニオ、ある巨匠」でトルナトーレ監督に説明している言葉だけではすべてを理解できそうにないのだが、なんと、モリコーネは尊敬する作曲家バッハ(BACH)の名前を使用して作曲していたという。

それは、BACHをドイツ語の音階からドレミファ~に直すと、B=♭シ、A=ラ、C=ド、H=シとなる。この4つの音で曲を構成するということらしい。例としてジャン・ギャバン、アラン・ドロン、リノ・ヴァンチュラ主演の大作フレンチノワール『シシリアン』(1969年)、個人的にモリコーネの三大美メロ・サントラの一つに入ると思う傑作『ある夕食のテーブル』(1969年:日本未公開)などが挙げられ、モリコーネは、

「多分、君の映画にもバッハの名は出てますよ」(※1)

と聞き手であるジュゼッペ・トルナトーレにも嬉しそうに語っている。

6:世界唯一、これがほんとの映画のオープニング主題歌

1950年代から60年代にかけて、映画にはいろいろ凝ったオープニング・タイトルが作られた。とくに有名なのはソウル・バスが担当したヒッチコック映画や、モーリス・ビンダーの『007』シリーズ(1962年~)だろう。当時は、メインキャスト、映画タイトル、監督名だけでなく、すべてのキャスト・スタッフ名が最初のオープニング・タイトルで紹介されるのが普通だったし、観客にとっても本編が始まる前に凝りに凝ったタイトル・シークェンスを見るだけで、期待とワクワク感がいやがおうでも高まったものだった。

それに対抗してかひがんでか、あっと驚くアイディアを作曲家に持ちかけた監督がいた。イタリアの異端の芸術家ピエル・パオロ・パゾリーニだ。パゾリーニは、『大きな鳥と小さな鳥』(1966年)で、映画のオープニング=メイン・タイトルで紹介される人名を、すべて歌にして歌ってしまうことにしたのだ。

いわく「♪アルフレード・ビーニ(製作)がお送りする~大きな鳥と小さな鳥~お話を書いたのはピエル・パオロ・パゾリーニ~エンニオ・モリコーネは曲を書き~マリオ・ベルナルドとトニノ・デッリ・コッリは撮影だ♪」

歌ったのはイタリアの歌手のドメニコ・モドゥーニョで、モリコーネは人名それぞれに楽器を変えて楽しそうにアレンジし、自分の名が歌われるところには笑い声を重ねた。

「あの、高笑いは、私なんです。少なくともあそこは上手く歌えました」(※1)

とんでもないアイディアを出す監督も監督だが、見事にクレジットを歌にしてしまった作曲家もすごい。しかも、笑い声までサービスするとは。モリコーネの自由で柔軟な仕事ぶりがわかるエピソードだ。

ちなみに、『大きな鳥と小さな鳥』のオープニング画面にはクレジットが文字でも登場する(歌とシンクロしていくわけだ)。が、後にフランスのクロード・ルルーシュ監督が、オープニング・クレジットを字幕も出さずにただ自分で読み上げるという手法を2、3度使っている。実際問題、文字を入れなければオプチカル代がかからないので製作費が安上がりになる。「映画がヒットしたら税金払いますよ」とかジョークを入れたりしているが、ルルーシュの盟友である名作曲家フランシス・レイは、冗談が通じないのか本当に予算がないのか、クレジットを歌にはしてくれなかったようだ。

7:実はブルック・シールズのために作曲されていた、あの名曲

マエストロ・モリコーネ自身がセルジオ・レオーネの最高傑作と認める『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(1984年)。主人公ヌードルズが、初恋の美少女デボラのことを想う美しくも懐かしく哀しき調べが「デボラのテーマ」だ。イントロを聴いただけで、当時13歳のジェニファー・コネリーの可憐さを思い出して思わず泣けてしまうファンも世界中に大勢いることだろう。

ところが、なんとこの曲はレオーネ作品のために書き下ろされたのではなかった。モリコーネは『ロミオとジュリエット』(1968年)の名匠フランコ・ゼフィレッリ監督から依頼され、ブルック・シールズ主演の青春恋愛物『エンドレス・ラブ』(1981年)の音楽を担当していた。モリコーネが仕上げた(のちに「デボラのテーマ」となる)曲を聴かせると監督は気に入ってくれた。ところが、あろうことか、この後、ゼフィレッリとモリコーネの間にはこんな会話が交わされたというではないか。

「ここにダイアナ・ロスが歌う曲が入る。作曲者は君じゃない」

そこで、私は答えた。「そうすればいい。僕はこの仕事を降りる、それじゃ」(※1)

あの手この手で引き止めようとするゼフィレッリをふりはらい、モリコーネはロサンゼルスからローマへ戻ったそうだ。

実際に映画で使われたのはライオネル・リッチーとダイアナ・ロスがデュエットした「エンドレス・ラブ」で、アカデミー歌曲賞候補にもなり、ヒットチャートでは大ヒットを記録した。しかし、西洋版「八百屋お七」みたいな映画自体はゴールデン・ラズベリー賞主要7部門にノミネートされるほど酷評され映画史から姿を消した。

その後、完成までに時間がかかっていた『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』のために、モリコーネはレオーネにこのときの曲を聴かせた。

「セルジオは大喜びでした。実は、ひそかに私も気に入っていたのです。私が愛してやまない音楽の要素である“無音”や“休止”で、構成された曲ですから。ゼフィレッリのためにロサンゼルスで作曲した時のまま、一音たりとも変えていません」(※1)

こうして名曲「デボラのテーマ」はブルック・シールズではなく、ジェニファー・コネリーへ、そして世界の映画ファンへ捧げられることとなったのだ。

文:セルジオ石熊
翻訳協力:真壁邦夫(東京エンニオ・モリコーネ研究所研究員)

※1「エンニオ、ある巨匠」より引用
※2「モリコーネ: あの音を追い求めて」より引用

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