バウハウスの教育理念を継承! モダンデザインの確立に貢献したモホイ=ナジの業績を伝える『ニュー・バウハウス』

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ライター:野中モモ
バウハウスの教育理念を継承! モダンデザインの確立に貢献したモホイ=ナジの業績を伝える『ニュー・バウハウス』
『ニュー・バウハウス』

バウハウスで教鞭を執ったラースロー・モホイ=ナジの業績とは?

バウハウスは1919年、第一次世界大戦後のヴァイマル共和政期ドイツ(ワイマール共和国)に設立された教育機関だ。初代校長ウォルター・グロピウスを筆頭とする教授陣は、デザインや工芸を含むアートと建築を教え、新しいテクノロジーと芸術的創造の融合を目指した。

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Today, exactly 50 years ago, Walter Gropius died at the age of 86 in Boston. 🖤 He founded the Bauhaus in 1919 as a new type of art school that combined life, craft and art under one roof. Gropius managed the Bauhaus as its director until 1928. He was a visionary manager who aimed to make art a social concern. He was not good at architectural drawing and even jacked his studies, but Gropius always managed to bring together the right people to help him realising his visions of the building of the future. He is famous for using glass and steel to create (cubic) buildings with huge fronts. You can see it in some of his major works in Dessau like the Bauhaus Building 🏢, the Masters’ Houses or the Fagus factory 🏭 in Alfeld an der Leine. At the Bauhaus school in Dessau, Gropius established a totally new way of teaching by having workshops, which were codirected by a craftsman (master of works) and an artist (master of form). The crafts-based work was understood as the ideal unity of artistic design and material production. According to Gropius’s curriculum, education at the Bauhaus began with the obligatory preliminary course, continued in the workshops and culminated in the building. Emigrating to USA in 1937 Gropius and other Bauhaus personalities brought the Bauhaus idea very successfully into the world and left their architectural marks. Gropius came back to Germany in the 1960ies where he designed plans for our museum in Darmstadt. These were realised in a modified form in Berlin from 1976 to 1979 after his death. | Portrait Walter Gropius, photo: Louis Held, around 1922/23, Bauhaus-Archiv Berlin @bauhaus100

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バウハウスの革新的な教育内容はすぐには世間に理解されず、1925年にデッサウに移転し、1933年にはナチスの台頭により閉校を余儀なくされてしまった。しかし、わずか14年しか存在しなかったこの学校で教え、学んだ人々は、20世紀の生活に相応しいモダンなデザインと芸術表現のアイデアをいくつも生み出して、後世に絶大な影響を与えている。

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Teachers at the Bauhaus 🙌 The Bauhaus was indeed the first art school reformed after the war to take up teaching in the new Republic. In place of the traditional professors, teaching was now given by masters. Bauhaus affairs were decided by a Council of Masters, whose powers included the right to appoint new masters. Students were to be taught by both a ‘Master of Form’ and ‘Master of Craft’. This, wrote Gropius in the Bauhaus Manifesto, would ’raze the arrogant wall between artist and artisan’, and clear the way for the ’new building of the future.’ On occasion of the upcoming #SemesterStart we are dedicating these days on Instagram to the students and teachers at the #Bauhaus. Stay tuned tomorrow for more! • Bauhaus masters and children at one of the masters’ houses by Walter Gropius in Dessau (House Schlemmer/ Muche); On top: left Lou Scheper, right Oskar Schlemmer; in the middle: left Georg Muche, right Lucia Moholy, down: left Hinnerk Scheper with daughter Britta, right Natalie Meyer-Herkert (wife of Hannes Meyer) with daughters Claudia (left) and Lydia (right), 1927, unknown photographer, Bauhaus-Archiv Berlin. Inv. No. 10065 #bauhausarchiv

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「バウハウス100年映画祭」で上映される『ニュー・バウハウス』は、バウハウスで教鞭を執ったアーティストのひとり、ラースロー・モホイ=ナジの業績を紹介するドキュメンタリーである。ハンガリー出身のユダヤ人だった彼は、バウハウスの閉校後、アムステルダムとロンドンを経由してアメリカに渡り、1937年にシカゴで「ニュー・バウハウス」を開校した。

映画はモホイ=ナジの娘で考古学者のハトゥラ・モホイ=ナジをはじめ、彼のもとで学んだ人々や、研究者たちの証言によって構成されている。加えて、モホイ=ナジ自身が遺した発言が、国際的に活躍する有名キュレーター、ハンス・ウルリッヒ・オブリストによる朗読で紹介される。また、モホイ=ナジに直接師事したわけではないが、その作品や著作で提示されたアイデアを引き継ぐアーティストとして、バーバラ・カステンやオラファー・エリアソンも登場。今日のアートとデザインにおいてモホイ=ナジがいかに大きな存在なのかを伝えている。

マルチ・アーティストであり教育者/学校経営者でもあったモホイ=ナジの先進性

絵画、写真、タイポグラフィ、立体、映像と、さまざまなメディアを駆使して創作と教育活動を展開したモホイ=ナジは、驚くべきバイタリティの持ち主だ。「なぜモホイ=ナジはピカソやマグリットほど知られていないのか」という問いに対し、ひとつの分野を専門的に追求しなかったこともその理由のひとつではないか、と娘のハトゥラは分析する。確かに、さまざまな分野で横断的に創作をおこなう活動スタイルは、当時としては全貌が掴みにくく、マーケットでも売りにくかったに違いない。それは20世紀前半には特例的だったかもしれないが、今となっては決して珍しくないやりかただ。

『ニュー・バウハウス』

また、モホイ=ナジはアーティストであるのと同時に、教育者で学校経営者でもあった。彼が「いかに芸術性・実験性と商業性を両立させ、活動資金を確保するか」という永遠の課題に取り組む姿を見て、身につまされる人は少なくないだろう。シカゴのニュー・バウハウスから生まれた商業的な成果として、現在でも世界的に有名なダヴの石鹸の形状や、クマの形のハチミツ容器「ハニーベア」があるといった事例からも、彼らの実践が現在の私たちの生活と地続きであることがわかる。

父がやりたいことをやることができたのは献身的な妻に支えられていたから、という娘の証言をはじめ、モホイ=ナジと関わった女性たちについての話も興味深い。若き日にモホイ=ナジが刺激を受けたという革新的な女性たちのコミューンについては、もっと深く知りたいところだ。ちなみに本作を監督したアリサ・ナーミアスも女性である。

『ニュー・バウハウス』

51年の決して長くない生涯に、さまざまな分野で時代を先取りする仕事を成し遂げたモホイ=ナジ。天才神話の解体が進み、ひとりひとりの創造性を育むことが重んじられるようになった現在、改めてその先進性が際立って感じられる。今後もこのマルチ・アーティストの評価がますます高まっていくであろうことを予感させるドキュメンタリーだ。

文:野中モモ

『ニュー・バウハウス』は2020年8月8日(土)より東京都写真美術館ホール「バウハウス100年映画祭」で上映

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『ニュー・バウハウス』

ハンガリー出身の画家、写真家、美術家で、後世の視覚造形芸術に多大な影響を与えたラースロー・モホイ=ナジ。彼はアートにテクノロジーを積極的にとりいれるという構成主義的な姿勢で、バウハウスの発展に貢献した。その後、米国でニュー・バウハウスを創設し、米国のデザイン教育にも足跡を残す。最新の研究を元に、彼の理念や業績、ニュー・バウハウスの展開、そしてその素顔が明かされる。

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