山本勘助は実在したのか? 騎馬部隊はいなかった? 戦国オタク芸人が『風林火山』でトリビア解説

山本勘助は実在したのか? 騎馬部隊はいなかった? 戦国オタク芸人が『風林火山』でトリビア解説
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戦国オタク芸人が戦国映画への愛をぶちまける!【戦国芸人見聞録】

初めまして、お笑い芸人ほたるゲンジの桐畑トールと申します。わたくし自称・戦国オタク芸人でございまして、兎に角、戦国時代が大好きでございます。戦国武将も好き、鎧・甲冑も好き、武器は槍が好き、古戦場に行くのも好き、お城は、石垣に天守閣のお城よりも、土塁・空堀の戦国時代中期の山城が好き、というタイプの戦国馬鹿なのです。

20年ほど前、コーエー(KOEI)というゲーム会社から出された「決戦」というゲームの中に、聞いたこともない戦国武将が次々と出てきて、この人たち誰? と興味を持ち始め、そこからこの武将は誰の家臣で、どこの地域の人で、なんの戦さで活躍した、などなど覚えていったのです。

それから、あれやこれやの戦国ゲームをやりまくり、書店の歴史コーナーの書籍からコンビニで売っている戦国本まで読み漁るようになりました。そしてこの頃から、子供の時は親と一緒に一台しかないテレビで仕方なく見ていたNHKの大河ドラマも、戦国時代のモノならばと毎週観るようになり、戦国物の映画であれば必ず映画館に足を運ぶように変わっていったのです。

そんな戦国馬鹿があらためて過去の戦国映画を観て、独自の見解も含め書き綴ってみました。今回見た映画は1969年(昭和44年)公開の『風林火山』でございます。

世界のミフネに石原裕次郎も! オールスター共演の戦国時代劇『風林火山』

この作品は、世界のミフネこと三船敏郎が主役(三船プロダクション制作)の超大作でございまして、共演には東映が生んだ大スター中村錦之助(萬屋錦之介)や、日活の大看板だった石原裕次郎も出演しているオールスター共演の作品です。

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タイトルから、この映画が武田信玄がらみの映画だと解ると思うのですが……えっ! 解らない人もいる!? ならば戦国馬鹿から『風林火山』を説明しますと、“風林火山”とは中国の軍略家・孫子が書いた兵法の一部で、「速きこと風の如し 静かなること林の如し 侵略すること火の如し 動かざること山の如し」という言葉が大のお気に入りだった武田信玄は、自軍の旗に風林火山と書いて掲げたのです。

ただ主役の三船敏郎は武田信玄ではなく、武田家の家臣の天才軍師・山本勘助を演じていて、武田信玄には中村錦之助、ライバルの上杉謙信を石原裕次郎が演じています。

山本勘助は架空の人物と思われていた!?

ここでも戦国馬鹿から山本勘助の豆知識を挙げますと、江戸時代、元武田家の家臣が書いたと云われている<甲陽軍鑑>という書物の中に、この山本勘助なる人物が出てくるのですが、明治時代になると山本勘助は実在の人物ではなく、話を面白くするために創られた架空の人物だと、当時の歴史学者に認定されてしまうのです。

それから時は過ぎ昭和44年、NHKの大河ドラマ『天と地と』の中で武田信玄からの書簡、今で言う手紙が画面に映されるのです。それを見た北海道在住の人が「あんな様な手紙、うちの蔵にもあったな~」と出してきて専門家に鑑定して貰うと、戦国時代に武田信玄から出された本物の書簡だと認定されるのです。そしてなんとその中に、漢字の表記は“山本管助”と異なるのですが、彼の名前が出てくるのです。これをきっかけに、現在では山本勘助は実在の人物となっております。

朱く染められた武器や鎧がトレードマーク! 最強部隊“赤備え”とは?

話を映画に戻しますと、他にも若き日の田村正和が信玄の愚直な弟・武田信繁を演じていたり、中学生の中村勘九郎(18代目 中村勘三郎)が信玄の息子・武田勝頼を演じています。大御所では黒澤映画常連の名優・志村喬が、武田家最強の赤備えを率いる飯富虎昌を演じて脇を固めています。ただこの映画の中では、赤備えを志村喬の飯富虎昌ではなく、三代目 中村翫右衛門演じる、武田家重臣の板垣信方が率いています。

さて“赤備え”とはなんぞや? ですが、そもそも赤備えとは甲冑や具足を赤に統一された部隊で、敵からは恐れられた軍団なのです。では何故そんなに恐れられていたのかというと、戦国時代は戦さで手柄を立てた者には赤い槍、朱槍を主君から贈られたのです。さらに手柄を立てた者は赤い具足を身に纏う様になっていきました。そんな、いくつもの手柄を立てた侍たちが部隊を編成しているわけですから、敵から見ると「どんだけ強い奴らが集まってるんだよ!」と恐れられたわけです。さらに武田の赤備えが強かったので、“赤備えイコール最強部隊”というイメージが定着していき、その後の真田幸村の真田の赤備えや、徳川四天王の一人・井伊直政率いる井伊の赤備えと、様々な武将が赤備えの精鋭部隊を編成する様になっていったのです。

映画『風林火山』の中でも、中村翫右衛門が率いる赤備えが戦さの先陣を斬り、見事勝利を収めています。やっぱり赤備えが活躍するシーンは戦国馬鹿にはたまりませんね。また、ドローンなど存在しない時代に、戦場に向かう、延々と続く武田軍をたっぷりと上空から撮影されてるあたりも超大作ならではのスケールで壮観です。

想像すると微笑ましい!? 当時の日本には“ポニー”しかいなかった!

クライマックスの川中島の戦いの中で、武田の騎馬隊が戦場を縦横無尽に駆け回りますが、ここでも戦国豆知識を申しますと、当時の日本には映画やドラマで出てくる様な、アラブ種のサラブレットは一頭もいないのです。この頃の日本の馬は、人がまたがる馬の背の高さが平均140センチ。現在では馬の背の高さが147センチ以下の馬はポニーと位置付けられ、お祭りやイベントなどで子供たちを乗せて活躍しています。

つまり戦国時代はポニーにまたがって、戦国武将は戦いに出ていたのです。ですが、ポニーに乗ったまま闘うことなどあり得ませんでした。みな武将は移動に馬を使い、戦場では馬から降りて戦ったのです。さらに、馬に乗れる武将クラスには最低14~15人の歩兵家臣が付くのが常識だったので、馬だけで編成された騎馬部隊も、この時代には存在しなかったのです。

ただ史実がそうであっても、やっぱり映画の中では大きな馬にまたがって、勇猛果敢な戦国武将が槍や刀を振り回してスクリーン狭しと暴れ回る姿には、戦国馬鹿でも興奮を隠せません。と、まぁ~戦国馬鹿のウンチク話を長々と書きましたが。このステイホームの機会に戦国映画というジャンルに触れてみてはいかがでしょうか?

文:桐畑トール(ほたるゲンジ)

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『風林火山』

群雄割拠の戦国時代。一介の軍師であった山本勘助は甲斐の名君と謳われる武田晴信に仕官しようと画策、一計を案じて武田家の家老・板垣信方に恩を売り、晴れて武田家の家臣となった。晴信は勘助のすすめにより、信濃の諏訪頼茂を攻めることとしたが……。

制作年: 1969
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  • BANGER!!!
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