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音楽を愛し、差別を憎め! パンク・ロックを武器にレイシズムと闘ったRARのドキュメンタリー『白い暴動』

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ライター:#久保憲司
音楽を愛し、差別を憎め! パンク・ロックを武器にレイシズムと闘ったRARのドキュメンタリー『白い暴動』
『白い暴動』photograph by Syd Shelton

音楽の力で反差別を訴えたロック・アゲンスト・レイシズム

ロック・アゲインスト・レイシズム(RAR)の活動を追ったドキュメンタリー映画『白い暴動』を観る前は、どんな映画か不安でした。本作は、1976年にエリック・クラプトンの人種差別発言に抗議することから始まったRARという抗議運動がどうやって生まれ、どう活躍したのかを検証する映画です。

『白い暴動』photograph by Syd Shelton

2000年代に日本で台頭した人種差別主義者に抗議する団体<C.R.A.C.>の一員としては、嬉しい内容の映画です。この映画を観て、1977年にイギリスで起こったことと同じ流れが00年代の日本でも起こっていて、まさにデジャヴを見ているかのようでした。僕が日本にはびこるレイシズムをやっつけないといけないと思ったのは、もちろんRARというムーブメントを知っていたから。僕もあんな風にレイシストやファシストに抗議したいと、13歳の頃から思っていたのです。

『白い暴動』

僕が17歳でイギリスに行った時には、レイシストの政治団体<ナショナル・フロント>の動きはかなり小さくなっていて、マイノリティだからとスキン・ヘッズなどからツバを吐きかけられ、追いかけ回され殴られるということはなくなっていました。ナショナル・フロントを代表するレイシスト・バンド、スクリュー・ドライヴァーのライブに行っても観客は100人くらいで、ショボい感じでした。彼らのギグに黄色人種がカメラを持って行ったら壊されるかもしれないからと写真を撮らなかったのですが、いま思うと撮っておけばよかったなと。

『白い暴動』

現代の若者たちは差別問題を当たり前のように解決している!

そして現在、『Skins – スキンズ』(2007~2013年)やNetflixオリジナルシリーズ『セックス・エデュケーション』(2019年~)など、イギリス発の青春ドラマを観たら分かると思うのですが、子供たちの間では人種差別~ジェンダー問題は完全に解決しているように見えます。誰も「自分がマイノリティだから差別される」ということでは悩んでいなくて、誰もが共通の問題で悩んでいるんです。

いまヨーロッパで誰もがのんびりと過ごせるのは、RARと、それに賛同した人たちのお陰だと思います。ただ最近では新型ウイルス騒動によって、差別的なことをされる/言われるアジア人が続出しているみたいで、ちょっと油断するとこれか……という感じなのですが。そういう差別的な行為をちゃんと見つけ、間違いを正していくのは、とっても大事なことなのです。

『白い暴動』

ザ・クラッシュの“あの映画”の謎も解ける! 当時の貴重な映像の数々

RARが、レイシストになりそうな若者たちに対話を求めていたというのは、この『白い暴動』を観るまで全く知りませんでした。スキンヘッド=レイシストのバンドと考えられていたシャム69をライブに招いていたのは、彼らのファンに語りかけたかったからということだったのです。シャム69のライブではスキンヘッズによって暴動が起こっていたというのは有名な話だったのですが、そういう背景があったということを初めて知りました。

『白い暴動』photograph by Syd Shelton

『白い暴動』のハイライトでもあるRARのヴィクトリア・パークへのデモ行進とライブで、ザ・クラッシュのステージにシャム69のヴォーカル、ジミー・パーシーが飛び入りする際に電源が落とされます。それは、レイシストの代表のようなバンドのヴォーカルが出ることは良くないと考えた、RARのスタッフがやったということがよくわかりました。

『白い暴動』Photograph by Ray Stevenson

この顛末は本作には出てこないのですが、ザ・クラッシュの映画『ルード・ボーイ』(1980年)と見比べてみてください。『ルード・ボーイ』を観ていて意味の分からなかったシーンが、『白い暴動』を観ると、「そういうことだったのか!」と納得できます。僕はずっと、RARのヒッピーか左翼みたいな学生運動くずれのスタッフが、反ヒッピーであるパンク・バンドが盛り上がるのを嫌がってサボタージュしているのかと思っていました。

マイノリティの声を政治的メッセージとして発信したRARの功績

『白い暴動』は、1977年のイギリスの状況が楽しめる映画であり、時代の“変化”が楽しめる映画でもあります。なぜパンクが登場したのか? それは、当時のロックがネトウヨみたいな存在になりつつあったことへの抗議だったんだなということが、この映画を観てよく分かりました。やっぱり、年寄りになると物事を深く考えなくなるものなのです。自分たちが、どこから来て何をしようとしていたのか、本当の理由を忘れてしまうわけです。

『白い暴動』Photograph by Ray Stevenson

イギリスの労働者の子供たちは、差別されていたアメリカの黒人音楽を聴いて、「これ俺たちの気持ちそのままじゃん」と思って、同じように楽器を持って歌いだしたのです。それなのに、成功してしまうとそんなことも忘れてしまって、苦労してイギリスに住もうとしている移民たちに「君たちは生まれた国に帰るべきだよ」なんてことを平気で言う人間になってしまうのですから。

『白い暴動』

パンクは、そうなってしまったアーティストたちへの抗議として生まれた音楽です。学校や会社から追い出された負け犬や、現在よりもっと差別されていた女性、そしてLGBTQなどのマイノリティたちが、社会的弱者の気持ちを忘れてしまったロック・ミュージシャンの音楽じゃ楽しめない! と、自分たちの音楽やレコード会社を作って始めたムーブメントでした。そんな彼らの思いを、ちゃんと政治的メッセージとして発信しだしたのがRARだったのだなということが、この『白い暴動』を観てはっきりしました。政治と音楽のモヤモヤした関係がクリアになる映画です。

文:久保憲司

『白い暴動』は2020年4月3日(金)よりヒューマントラストシネマ渋谷、アップリンク吉祥寺ほか全国順次ロードショー

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『白い暴動』

経済破綻状態にあった1970年代のイギリス。市民が抱いていた不安と不満は、第二次世界大戦後に増加した移民たちへ転嫁されていった。街は暴力であふれかえり、黒人やアジア人が襲われた。そのなかで、レッド・ソーンダズを中心に数人の仲間たちで発足された“ロック・アゲインスト・レイシズム”、略称RARは、人種や生まれによる差別の撤廃を主張し、雑誌を自費出版して抗議活動を始める。RARの発信するメッセージはやがてザ・クラッシュをはじめ、トム・ロビンソン、スティール・パルス等の音楽と結びつき、支持されていく。

1978年4月30日、RARが決行した約10万人による大規模なデモ行進と、その終着地での音楽フェスは市民が一つになった瞬間であり、観る者の心を揺さぶる。監督はBBCでドキュメンタリー番組を手掛けてきたルビカ・シャー。彼女自身もアジア系移民の家族に生まれ、両親が直面した人種差別について聞き興味を抱いたことで製作を決意。わずかな若者たちから始まり、時代を動かす程の運動へと拡がった若者たちの闘いに、当時の貴重なアーカイブと本人たちへのインタビュー、彼らに賛同したアーティストたちの圧巻のパフォーマンスで迫る。

制作年: 2019
監督: