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世紀の歌姫ホイットニー・ヒューストンの成功と破滅『ホイットニー ~オールウェイズ・ラヴ・ユー~』

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ライター:#BANGER!!! 編集部
世紀の歌姫ホイットニー・ヒューストンの成功と破滅『ホイットニー ~オールウェイズ・ラヴ・ユー~』
『ホイットニー ~オールウェイズ・ラヴ・ユー~』© 2018 WH Films Ltd

えんだあああぁぁぁいやぁぁあああ……♪米エンターテインメント界が生んだ世界最高のシンガーのひとり、ホイットニー・ヒューストン。ニュージャージー州ニューアークに生まれ、教会でゴスペルを歌っていた少女がいかにして成功を収め、やがて破滅へと進んでいったのか?『ホイットニー ~オールウェイズ・ラヴ・ユー~』は、ポップス史に名を刻んだ偉大なミューズの真の姿に迫るドキュメンタリーだ。

ゲットー育ちの少女がゴスペル仕込みの歌声でスターダムを駆け上がる

『ホイットニー ~オールウェイズ・ラヴ・ユー~』© 2018 WH Films Ltd

当時の貴重な映像に本人インタビューや家族、親戚、関係者らの証言が重ねられる。この『ホイットニー ~オールウェイズ・ラヴ・ユー~』も同じく、特に珍しい構成ではないものの、インターネット以前の時代に生きた人物を描くドキュメンタリーはレアな映像が満載で一定の驚きを与えてくれるものだ。

ホイットニー・ヒューストンはゲットー育ち(1967年に大きな暴動が起こったニューアーク出身)で、 父が名付けたという“ニッピー”という愛称からは、彼女のおてんばっぷりが伝わってくる。アレサ・フランクリンなど大物のバックシンガーも務めた母シシーを含む音楽一族の影響から自然と教会でゴスペルを歌うようになり、あの開放的かつ伸びやかな歌声が育まれていった。

早くから娘の才能を確信していたようで、良い学校に通わせ雑音から彼女を守ったシシー。やがて親元を離れると美貌を武器にモデル活動を始めるが、当然ながら夢はシンガーになること。あくまで“歌”を重視した地道な活動にもかかわらず大手<アリスタ・レコード>との契約をゲットし、めきめきとシンガーとして頭角を現していった。

バイセクシャル疑惑、不貞の夫ボビーとの出会い

『ホイットニー ~オールウェイズ・ラヴ・ユー~』© 2018 WH Films Ltd

1985年にリリースした1stアルバム『そよ風の贈りもの』は、収録曲がいくつもビルボードチャート入りする大ヒット。続く『ホイットニーII~すてきなSomebody』は日本でも大ヒットを記録し、表題曲がCMに起用されるなどしたので比較的若いリスナーも耳にしたことがあるだろう。しかし急激にスターダムに登りつめたことで、ゴシップの格好の的になってしまう。数々のスターとの熱愛が噂される中で「しばらくの間しつこかった」と言われてしまうロバート・デ・ニーロはちょっと不憫だが、ハタチそこそこの女性を追いかけ回すおっさんは確かにキモい。

仕事も恋愛も絶好調、そんなホイットニーのそばにいつも寄り添っていたのが“親友”ロビンだ。一時期は一緒に生活していたというロビンを毛嫌いしていた家族もいたようで、それは彼女がレズビアンだったことと無関係ではないだろう。今ほど多様なセクシャリティに寛容ではなかった時代ではあるが、ロビンは娘の成功によって億万長者になった金満親父やマッチョな兄たちのエゴの犠牲者でもある。しかも、この歪んだファミリービジネスが後々ホイットニーを苦しめる原因になってくるのだから、その罪は決して小さくない。ボディーガードとは名ばかりのジャンキー兄たちに囲まれている、そんな異常な状況がもたらす結果は目に見えていた。

それでも世界中をツアーし人気を拡大していったホイットニーを待っていたのは、「売れセンを意識しすぎ」「歌い方がポップスすぎ」などという中傷だった。黒人層からも湧いた心無い声に楽屋でブーたれるホイットニーに、母が「ジャネットなんていうビッチは気にするな」とか言って慰めるシーンは思わず笑ってしまうが、まさに80~90年代のポップス戦争を象徴するようなセリフだ。ちなみにこの時の様子を撮影していたのもロビンだったようだが、こんな物騒な映像よく残しておいたものである。

そんなホイットニーの前に現れたのが、イケイケの象徴のような男、ボビー・ブラウン。ファンにしてみれば(良くも悪くも)真打ち登場といった感じで、彼との結婚もまたホイットニーを破滅の道へと導いていく。後に訪れる最悪の結末さえ知らなければ、娘クリッシーの誕生は彼女を心身ともに成長させたように見えただろう。

ドラッグ、ファミリービジネスの闇、親友との決別、そして死

『ホイットニー ~オールウェイズ・ラヴ・ユー~』© 2018 WH Films Ltd

1991年のスーパーボウルでの、歴史に残るホイットニーVer.の国歌も当時の関係者から分かりやすく解説されるのだが、そのシンプルかつ大胆なアレンジには思わず膝を打つこと必至。すべての米国民に“祖国への誇り”を抱かせた力強い国歌斉唱によって、ホイットニーが世代や人種を超越した真のスーパースターとなった瞬間だった。映画『ボディガード』(1992年)に出演したのもちょうどこの頃で、黒人女性が白人と同じポジションでラブロマンス映画に主演するということがいかに快挙だったかを後に知ったと、共演したケヴィン・コスナーが振り返っている。

このドキュメンタリーは、ここまでがちょうど前半。ここからはアーティストとしてだけでなく人としても落ちぶれていった夫ボビーとの確執、結果的に命を奪うことになった(と言われている)ドラッグ問題、スターの身内にしがみつく家族など、晩年のホイットニーが浮かび上がってくる。自分自身でもどうしようもない問題を抱え、げっそりと頬がこけ、朗らかだった性格まで変わってしまったホイットニーの姿はとても痛々しい。

つらい時期を支えたのも家族に疎まれていたロビンだったというのは皮肉だし、最終的な選択が間違いだったことはボビーや父の裏切りからも明らかだ。幼少時に親戚から受けていた性的虐待の公表は制作側の勇気ある判断だが、ホイットニーが同じ痛みを共有できたであろう“某スーパースター”と度々連絡を取り合っていたという話も納得である。

このドキュメンタリーによって、完全無欠のディーヴァというイメージは覆される。しかし歴史的ヒット曲をいくつも残し、世界中のファンに愛された偉大なシンガーという事実と功績は揺るがない。拍手喝采はできなくても、彼女の隣に寄り添って話を聞いてあげたくなる、そんなドキュメンタリーだ。

 

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『ホイットニー~オールウェイズ・ラヴ・ユー~』

圧倒的な歌唱力を備え、ポップス史上に燦然と輝くホイットニー・ヒューストン。『ボディガード』の成功とボビー・ブラウンとの結婚を境に、薬物問題、複雑な家族問題ばかりが取り沙汰される様になり、48歳という若さで不慮の死を遂げてしまう。いったい彼女に何があったのか?奇跡のミューズ、ホイットニーの実像に迫るドキュメンタリー。

制作年: 2018
監督:
出演: