これぞ元祖“全裸監督”!? 哲学を語り女性と乱交し荒野で銃をぶっ放すデニス・ホッパーは本当のホッパーなのか?『アメリカン・ドリーマー』

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ライター:セルジオ石熊
これぞ元祖“全裸監督”!? 哲学を語り女性と乱交し荒野で銃をぶっ放すデニス・ホッパーは本当のホッパーなのか?『アメリカン・ドリーマー』
『アメリカン・ドリーマー』©Palaris Communications.inc

『イージー★ライダー』(1969年)に続くデニス・ホッパー監督第2作『ラストムービー』(1971年)がリバイバル公開中。そこへさらに、『ラストムービー』編集中のデニス・ホッパーに密着したドキュメンタリー『アメリカン・ドリーマー』(1971年)が、日本で初めて正式に公開された。

『アメリカン・ドリーマー』©Palaris Communications.inc

監督・撮影は、『暴力脱獄』(1967年)にスチールカメラマンとして参加し、出演していたホッパーとは顔見知りだったローレンス・シラー。フォト・ジャーナリストとしてマリリン・モンローやユージン・スミスの写真集「MINAMATA(ミナマタ)」の出版にかかわったほか、『明日に向って撃て!』(1969年)の印象的なフォト・モンタージュを担当したことでも知られていた。共同監督として同行したのは、「ローリング・ストーン」誌で映画評論を書いていたL・M・キット・カーソン(後に『パリ、テキサス』(1984年)や『悪魔のいけにえ2』(1986年)の脚本を書き、テキサスで映画祭を主宰してウェス・アンダーソンやオーウェン・ウィルソンらを育てる)。2人は、ホッパーがペルーで「映画についての映画」を撮影し、ニューメキシコ州タオスにヒッピー・コミューンを作って「虚構にはまり込んで、映画のキャラクターそのものを生きていると聞いた」ことで、カメラを持ってタオスまで出かけていったのだ。

『アメリカン・ドリーマー』©Palaris Communications.inc

『アメリカン・ドリーマー』でホッパーは、映画を語り、写真を語り、哲学を語り、女性を語り、マリファナ煙草を巻き、荒野で銃をぶっ放し、白昼の住宅街で全裸になって闊歩し、裸の女たちとバスタブで乱交を繰り広げる……。

『アメリカン・ドリーマー』©Palaris Communications.inc

デニス・ホッパーがデニス・ホッパーを“演じる”ドキュメンタリー

アレハンドロ・ホドロフスキーの勧めで『ラストムービー』の撮影現場となったペルーのチンチェロ(標高3800メートル、車で40分ほどかかる近くの町クスコよりも高地にあった)には、「ニューヨーク・タイムズ」「エスクァイア」「ローリングストーン」「ライフ」など有名マスコミが取材に押しかけていた。『イージー★ライダー』のデニス・ホッパーは当時、まさにメディアの注目の的、時代の寵児だったのだ。

『アメリカン・ドリーマー』©Palaris Communications.inc

当然、ドキュメンタリー制作の話も舞い込んでいたのかもしれないが、シラーとカーソンを気に入ったホッパーは2人に許可を与え、話し合いの末に一つのアイディアにたどり着く。それは、「デニス・ホッパーがデニス・ホッパーを“演じる”ドキュメンタリー」だった。

『アメリカン・ドリーマー』©Palaris Communications.inc

シラーによれば、「ホッパーは監督であり俳優であるからして、映画作りのプロセスをすべてわかっている。だから、単純にドキュメンタリーを撮ったとしても、被写体である彼がカメラの前で“リアル”あるいは“役を演じていない状態”になることはあり得ない」。というわけで、『アメリカン・ドリーマー』の中のデニス・ホッパーは、それが「本物のホッパーなのか、ホッパーが演じているホッパーなのか」見分けがつかないことになる。そのことを知ったうえで『アメリカン・ドリーマー』を観ると、面白さは100倍になる。

『アメリカン・ドリーマー』©Palaris Communications.inc

これが本当の元祖“全裸監督”! ホッパーの映画はすべてが象徴的だ

冒頭、シラーとカーソンが編集作業が行われていたタオスのメイベル・ドッジ・ルーハン・ハウス(小説家のD・H・ロレンスや女性画家ジョージア・オキーフが住んでいたこともある)のドアを叩くと、半裸のデニス・ホッパーが迎え入れ、「髪を洗うところなんだ」と全裸になってバスルームへカメラを誘う。ドキュメンタリーの撮影隊をこんな形で迎え入れる被写体がいるだろうか……。

『アメリカン・ドリーマー』©Palaris Communications.inc

つまり、この場面はデニス・ホッパーが「おれはこの映画ですべてをさらけ出してやるぜ」と宣言しているわけだ。これぞ本当の“全裸監督”だ。当然、それは打ち合わせをした上でのパフォーマンスである(カメラがついてくるので「信じられないな」と言うのがわざとらしいくらいだ)。

『アメリカン・ドリーマー』©Palaris Communications.inc

『イージー★ライダー』は、長髪の若者たちが南部人に差別され、殺される話だった。ホッパーは「長髪には意味がある。アメリカ独立戦争のとき、長い髪をリボンや蝶ネクタイで結んでいるのが独立軍(アメリカ)の目印だった」と語っている(径書房「『イージー★ライダー』敗け犬(ルーザー)たちの反逆~ハリウッドをぶっ壊したピーター・フォンダとデニス・ホッパー~」より)。ここにも、ホッパーが長い髪を洗うところから映画が始まる意味がある。

『イージー★ライダー』© Sony Pictures Entertainment (Japan) inc.

そして、ホッパーは長髪・ヒゲ面でハリウッドへ出かけていき、映画会社の人間と立ち話をして帰って来る。『運び屋』(2018年)の前半でクリント・イーストウッドが乗っていたようなピックアップトラックを自分で運転し、タオスと空港(アルバカーキか?)を往復して。ハリウッドは、まさに“長髪の独立軍”=デニス・ホッパーが立ち向かう敵だった(イーストウッドが監督第1作『恐怖のメロディ』(1971年)をユニバーサル社で撮るのはこの半年ほど後のことだ)。

タオスにほど近いロス・アラモスの町の住宅街で、文字通り“全裸”になって歩く場面も、カメラが事前の打ち合わせ通りに離れたところで待っていたことは一目瞭然だ。「核兵器を作っている皆がいい生活をしている町」を全裸で闊歩することは、ホッパーにとって「象徴的なこと」なのだ。

『アメリカン・ドリーマー』©Palaris Communications.inc

「アメリカン・ドリームに女はつきものだから」と女たちを集めて乱交を繰り広げるのも、ホッパーの自己演出だ。この撮影の少し前に元ママス&パパスのミシェル・フィリップス(クエンティン・タランティーノの『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』でシャロン・テートと一緒にプレイボーイ・マンションで踊っていた)と結婚するが、わずか8日間で離婚したこと(こんな生活には耐えられないと彼女が一方的に別れを告げて去った)がそうさせたのか。

『アメリカン・ドリーマー』©Palaris Communications.inc

映画の中で、恋人のようにホッパーの傍らにいる東洋風の女性を「ミシェルと別れた翌日に来た。すぐに純潔を奪い娼婦にしようとした」と語るのも、あまりに演劇的すぎる。彼女が一時的な恋人だったのか、映画のための“配役”なのかは今となってはまったくの謎。それでも、ホッパーがときおり見せる哀しげな表情や空虚なセックスシーンなどには、意外と純情で一途な男が失恋の痛手に耐えながら、映画を完成させなければならないプレッシャーと戦う苦悩が垣間見える。

『アメリカン・ドリーマー』©Palaris Communications.inc

全米の学生たちに向けて上映された“アンチ・ハリウッド”な非商業映画

実はこの映画、1989年に開催された「第1回東京デニス・ホッパー・フェスティバル」で2回だけ上映されたことがある。当時アメリカに1本しか現存していなかった上映用プリントを、アメリカの美術館の担当者が手荷物で持ち込んで上映するという“密輸”上映だった(当然、字幕はなし)。当時、担当者を空港へ迎えに行ったり都内見物のエスコートをしたのが、故・川勝正幸さんとわたしなのだが、それはともかく、こうした“非商業的”な上映こそ、『アメリカン・ドリーマー』そのものの姿に近かった。

シラーとカーソンが完成させた『アメリカン・ドリーマー』は、1971年4月からアメリカの各大学のキャンパス内で上映された。このとき『ラストムービー』は撮影から1年以上経ってもまだ編集途中で完成しておらず、ようやく観客の目に触れるのは8月のヴェネチア映画祭(C.I.D.A.L.C.賞を受賞)で、アメリカで限定公開されたのは9月だ。

『アメリカン・ドリーマー』©Palaris Communications.inc

つまり『アメリカン・ドリーマー』は、取材対象だったはずの映画よりも半年近く早く公開され、しかも一般の商業映画館での興行ではなく、学生たちに見せるための“ハリウッド映画とは全く違う”映画として上映されたのだ。ここにも、シラーとカーソン、そしてホッパーが『アメリカン・ドリーマー』を単なる『ラストムービー』のドキュメンタリーではなく、独立した“映画”ととらえていたことがわかる。

『ラストムービー』©1971 Hopper Art Trust, 2018 Arbelos

当時、大学内で映画を上映するケースが増えてきていて、すでに『卒業』(1967年)『いちご白書』『…YOU…』(1970年)といった現代(当時)のアメリカの若者たちを描いた作品から、『メイキング・オブ「明日に向って撃て!」』(1970年)や核戦争の恐怖を描いたBBCのドキュメント・ドラマ『THE WAR GAME』(1966年)、ジャン=リュック・ゴダール、ピエル・パオロ・パゾリーニ、アンディ・ウォーホル作品といった、町の映画館では上映されない映画が人気を集めていた。シラーは『明日に向って撃て!』で知り合ったロバート・レッドフォードからカレッジ・キャンパス映画専門配給会社を紹介され、『アメリカン・ドリーマー』はホッパーとユニバーサルとの契約のスキをついて、初の「キャンパス・フィルム・プログラミング」独占公開作品として公開されたのだ(しかし、配給会社に保存されていたネガフィルムは、火災によって焼失してしまった)。

『アメリカン・ドリーマー』©Palaris Communications.inc

『ラストムービー』は、難解すぎるとユニバーサル社から再編集を要求されたホッパーがそれを拒絶したことで、小規模に上映されただけで、ほとんど人の目に触れることもなくおクラ入りとなり、幻の映画となった。同時に、アンディ・ウォーホルが描いたホッパーの肖像をジャケットにしたサントラ・レコードも発売されることなく、幻に終わった。

『アメリカン・ドリーマー』サントラ付録ポスター©Palaris Communications.inc

一方で『アメリカン・ドリーマー』のサントラ盤(オリジナル・サウンドトラック・レコーディング)はジーン・クラーク、ジョン・バック・ウィルキン(『ラストムービー』にも出演)らの歌を収録して発売され、音楽ファンの間では名盤としてコレクターズアイテム化。銃とタバコを手にしたホッパーをシラーが撮影したポスターが付録についていた。このサントラに曲を提供したシンガーソングライターのジョン・マニングのソロアルバム「ホワイト・ベア」のジャケット写真には、『アメリカン・ドリーマー』のポスターが貼られた部屋が映っている(『アメリカン・ドリーマー』でホッパーがホワイト・ベア=白熊のことを話していたのも意味深だ)。

『アメリカン・ドリーマー』オリジナル・サウンドトラック・レコーディング
発売元:アダンソニア
定価:3000円+TAX

今回の日本“初公開”に合わせて、32ページブックレット付のデジタル・リマスター版CDが劇場限定で発売される。直輸入盤にブックレットの翻訳や解説、ミニポスターがついた超限定版とのことなので、ぜひ映画館へ走ってほしい。

文:セルジオ石熊

『アメリカン・ドリーマー』は2020年2月1日(金)より渋谷ユーロスペースにて、以後全国順次公開

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『アメリカン・ドリーマー』

『イージー★ライダー』でカンヌ映画祭新人監督賞、ハリウッド・システムをぶち壊したアメリカン・ニューシネマの旗手として一躍世界中の若者&マスコミの注目を集めたデニス・ホッパーは、監督第2作として「映画とは何か」を鋭く問いかける問題作『ラストムービー』に取りかかった。ピーター・フォンダ、トーマス・ミリアン、ミシェル・フィリップス、サミュエル・フラーなど豪華出演陣を起用してペルーの山村で撮影したフィルムをニューメキシコ州のD・H・ロレンスの元別荘に持ち込んだホッパーは、1年以上かけて編集作業に没頭する。そこへドキュメンタリー映画を撮りたいと現れたのがローレンス・シラー(フォトジャーナリストとしてユージン・スミスの「ミナマタ」の出版に携わり『明日に向って撃て!』のスチール写真モンタージュも担当)とL.M. キット・カーソン(ゴダールの『勝手にしやがれ』のリメイク『ブレスレス』や『パリ、テキサス』の脚本家)だった。
シラーとカーソンを迎えたデニス・ホッパーは、[ドキュメンタリー映画を作ることを拒否]、代わりに[『ラストムービー』を作っているデニス・ホッパーを、デニス・ホッパー自身が演じる映画]を提案する。
かくして、チャールズ・マンソンのような長髪&髭スタイルのデニス・ホッパーが、砂漠で哲学を語り、編集作業に悩み議論し、カメラの前でマリファナたばこを巻き、ライフルや拳銃を撃ちまくり、バスタブで3Pを繰り広げ、住宅街を全裸で闊歩する……。

制作年: 1971
脚本:
出演:
  • BANGER!!!
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