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“ダーティ”という外聞の悪い言葉をヒーローに冠した『ダーティハリー』

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ライター:#齋藤敦子
“ダーティ”という外聞の悪い言葉をヒーローに冠した『ダーティハリー』
『ダーティハリー』© Warner Bros. Entertainment Inc.
2019年3月8日に監督&主演作『運び屋』公開と、御年88歳にして今なお現役のイーストウッド。そんな映画界のレジェンドでもある彼のメルマーク的作品『ダーティハリー』を齋藤敦子が解説!

権威への不信感が増す70年代アメリカに現れた、異端の刑事

『ダーティハリー』は、今や押しも押されもしない名優にして名監督クリント・イーストウッドの代表作で、その後、半世紀にわたるイーストウッドのフィルモグラフィーを語るうえで欠かせない、メルクマール的な1本だ。

舞台はサンフランシスコ。白昼堂々、ホテルの屋上プールで泳いでいた女性が狙撃されるという事件が起きる。現場にはスコルピオ(さそり座の男)と名乗る犯人(アンディ・ロビンソン)からの殺人予告が残されていた。市長(ジョン・ヴァーノン)は、10万ドル支払わなければ毎日一人殺すという犯人からの予告に、金を支払う気などなく、すべてを市警に押しつける。捜査を担当するのは、汚い仕事ばかり回ってくるので“ダーティ”だと自嘲するハリー・キャラハン刑事(クリント・イーストウッド)だ。キャラハンは、新しい相棒のチコ刑事(レニ・サントーニ)と捜査にあたるのだが…。

まず頭に入れていただきたいのは、映画が作られた70年代初期という時代である。75年にアメリカの敗北で終わるベトナム戦争が混迷を深めた時代、反戦運動が激化し、政府でも警察でも、権威あるものへの不信感が最高潮に達したときだった。そんなときに登場したのが異端の刑事“ダーティ”ハリーだった。

この映画の新しさは、“ダーティ”という外聞の悪い言葉をヒーローに冠した点にある。70年代当時、警官はまだ法律の番人であって、正義の人だった。ロドニー・キング事件からはほど遠い時代、クルーカットの警察官がデモをする長髪の若者たちを逮捕、投獄する時代だった。今見ると、当たり前に見えるイーストウッドのヘアスタイルは、映画の中では“長すぎる”と揶揄される長髪だった。70年代に長髪と言えば反体制派で、そんな異端児が警察署にいるという背景をまず頭に置いて見て欲しい。

ハリー・キャラハンが文句なしにカッコいい!

とはいえ、そんな時代背景を知らなくても映画は十分に面白い。まず、イーストウッドが映画作りのすべてを学んだという、ドン・シーゲルの無駄のない演出。シーゲルは5作まで続く本シリーズの1作目しか監督していないが、この第1作が群を抜いて面白い。撮影はイーストウッドの『荒野のストレンジャー』や『ペイルライダー』などを手がけた盟友にして名手ブルース・サーティース。冒頭の屋上プールにキャラハン刑事が登場する場面が文句なしにカッコいい。サンフランシスコの青空を背景に、ダーティハリーことキャラハン刑事が現場検証をするシネスコのスクリーンサイズを活かしたこの場面だけで、映画を見る価値があるとさえ言える。続いて、行きつけのハンバーガーショップで頼んだホットドックをかじりながら、銀行強盗を取り押さえる場面も素晴らしい。この2つの場面だけで『ダーティハリー』は見る価値がある。

ドン・シーゲル監督とイーストウッド

監督のドン・シーゲルは12年生まれ。英国ケンブリッジ大卒業後、監督を志すも、なかなか独り立ちできなかったところを、ハワード・ヒューズ(スコセッシの『アビエイター』でレオナルド・ディカプリオが演じた人)に目をかけられ、彼の映画製作会社RKOで監督になる。50年代には『ボディ・スナッチャー/恐怖の街』などのB級映画作品を監督する。そこで、3本のマカロニ・ウェスタンで名をあげて、ハリウッドに戻ったクリント・イーストウッドと運命の出会いをし、68年の『マンハッタン無宿』から子弟コンビが誕生。『真昼の死闘』、『白い肌の異常な夜』(ソフィア・コッポラがリメイク)に続くコンビ4作目にして最大のヒットになった『ダーティハリー』が誕生する。以後、『アルカトラズからの脱出』までイーストウッドと10年に及ぶ協力関係を築いた。

主演のイーストウッドは30年サンフランシスコ生まれで、現在88歳。テレビの「ローハイド」で茶の間の人気者になり、イタリアに渡ってセルジオ・レオーネ監督のマカロニ・ウエスタン三部作に主演。そのときの出演料を元にアメリカで自身の製作会社マルパソ・プロダクションを立ち上げ、現在に至るまで自身の映画をすべて製作・監督・主演する文字通りのフィルムメイカーとなった。大手の撮影所がすべてを支配するハリウッドで、圧力をはねのけながら、独立独歩を貫いてきた、そんな根っからの映画人の原点が、組織の中の反逆児、『ダーティハリー』の中にすべてある。

文:齋藤敦子

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